「この世にいなくなっていい人はいない。生きているだけで価値がある」
それじゃ死刑制度って何なのよ
カルト宗教の教祖を死刑にしたのは何でだよ
通り魔にも「生きているだけで価値がある」って言えんのかよ
そもそも「生きている」のは結果であって 何で価値がなきゃいけないのかもわからんわ
自分自身にとって「生き続けるだけの価値」がないなら死んだ方がマシなのは当たり前の話であって
社会的存在価値がなきゃいけないんなら「多重障害者は死ね」ってことになる
生きていること自体に価値があるんじゃなくて 生き続けるだけの価値が見つけられないから終わりにしたくなる
主体的に生き続けることの価値があってこその生き続ける意味があるんであって 苦しむだけの人生だったら死んだ方がマシだろ
動物の本能的に「死にたくない」なんていう強迫観念だけでは生き続ける意味になんぞならんのに 多数派同調圧力的に「死んだらいけない」などと生存だけを強要されるなんぞ地獄でしかない
別に死を選ぶことは本人の自由であって どうせ皆最後は死ぬことに違いはない
ただ漫然と永遠に生きたところで意味があるわけでもなかろう
毎日のように誰かが殺されるような社会で 生き続ける意味なんぞどこにある
生きるに価するだけの主体性を親教師大人達が大切にしないから 子供が自ら「終わり」を選んでしまう
どこの馬の骨が作ったのかもわからん学力偏差値なんつう 認知科学的には知能の論証にもならん基準で子供をランク付けしておいて 子供自身が持っているはずの個性に由来する能力を蔑ろにしているから それこそ「主体的に終わりを選択」してしまうことになる
生きることは強制されることではなく 生きていることに楽しみとか慈しみを「感じ」られる社会であることにこそ「生き続ける意味」がある
社会的にはどうでも良いような事でも 主観的に素敵だと感じられるなら 別にネコの写真ばっか撮ってても良いんだよね
岩合光昭なんてそういう仕事だもの
本当に好きなことだったら 多少の苦痛とか苦難とかどうでも良くなる
TBSの「クレイジージャーニー」とか見てりゃ どう考えても苦痛だろうと思うようなことを率先してやっている人達ばっか紹介している
クレイジーであることには二種類あって 本当に主体的に好きなことなら他人の迷惑にも配慮が出来るけど
多数派同調とか人気取りが動機でやっていると「悪ノリ投稿」的に暴走することになる
バカは嫌いだが 迷惑がかからないバカなら好き嫌いなんつう主観はどうでもよろしい
本当の意味において身勝手になれれば 他人の好き嫌いも許容できるようになる
戦前の日本陸軍皇道派によるリベラル拒絶というのは 軍隊という主体性を一切許容しない組織だからこそ起きるものであって 個人の好き嫌いを一切排除し 統率的な協調性を暴力によって強要されていた兵隊達が 自分達の個人的好き嫌いを認めてもらえなかったことに対し 認知的不協和を解消する形で事後正当化に邁進した結果である
イジメをやるような子供というのは 家庭内において軍隊のようなヒエラルキーによって主体的な好き嫌いを一切認めてもらえない環境で育っているからであって いわば「かわいそうな子供」がイジメをやるのである
家庭内で「下」として扱われ 親を「上」だと順位序列を強制されていることを正当化するためには 学級内部で誰かを「下」と見なして蔑んでいなければいられない哀れな子供なのである
イヌは平等が嫌いで 順位序列を決定しておかないと不安で仕方ないため その場限りに「上」と見なした相手に媚びへつらい 同時に「下」と見なした相手をバカにする
客観的に見れば こうしたイヌの序列意識(本能由来の無意識的条件反射)に人間性が伴うわけがないのだが 統率協調行動が生存にとって有利に働くことだけを抽出して「先天的な人間性」だと言い張るのがバカな生物学者や哲学者達である
自己客観性が伴わない者にとって 自分がイジメをやるような卑劣な人格であることについては意識が働かない
そこは見えないようになっているのである
地下鉄に毒ガスを散布することが「人類の救済」だと信じ込んでいる盲目性も同じメカニズムである
視野の半分が本当は見えていないにも関わらず 見えていないことに気付かない「半側無視」の症状と同じで これはヒトの脳の感覚が促す錯覚である
こうした「見えない」症状というのは 実は一般健常者においても「盲点」という「見えない点」そのものが知覚出来ないのと 構造は同じである
「見えないなら存在しない」というのはバカの発想である
たとえ見えなくても論理客観的に存在することを理解認識することは可能であり
「誰も見ていない月」だからといって いきなり潮汐力の影響までもがなくなるわけではないのである
ダークマターやダークエネルギーが「見えない」からといって それ無しでは宇宙の成り立ちを説明出来ない以上 それは存在しているのである
他人の迷惑に配慮が出来ない人達というのは 著しく何かが「見えていない」のであり それは「かわいそうな人達」でもある
だから そうい哀れな人達には関わらない方が得策である
「逃げるは恥」だが 「恥」とは多数派からの同調圧力に由来する恐怖心に過ぎない
ナチス政権下において ユダヤ人をかくまうのは「恥」であり
天動説の社会で地動説を唱えて火炙りにされることも「恥」だったのである
そんな基準は社会安全性において糞の役にも立ちはしない
Ende;