死刑執行された。
新聞の記事になる度に、胸がいたむ。
どこか、うしろめたいような気持ちになる。
私の立場を単純にすれば、死刑執行には反対だ。
殺人を犯した人を殺す。ということにとても抵抗を感じる。
たいへん難しい問題なので、こんな単純なことでは済まないとは
思っている。
けれど、根っこのところでは、死刑執行には反対だ。
しかし、今日取り上げたいことは、それと少しずれる。
谷垣法務大臣はこれまで、
「国民感情、被害者感情などから見ても
死刑制度を設けていることは相応の根拠があるものと思っている」
「国際的動向より、治安維持、国民の安心安全の確保を考えるべきだ」
などと発言しており、死刑制度の見直しは必要ない、としている。
死刑制度が犯罪抑止に効果的か、疑問だとか、
様々な議論が含まれているが、私が一番ひっかかったのは、
「国民感情」という言葉だ。
被害者の遺族という立場の感情は、思い量っても余りある。
しかし、国民感情、と十把一絡げにするのは、どうか。
「国民みんなの気持ちを考えてる」という意味だろうか?
どうも、「国民感情」というと、「日本国中がこう感じている」
と言っているように思えてならない。
そんなもの、あるんだろうか?
親子や恋人同士だって気持ちが合わないことが多くて
いざこざは絶えないのに、日本中1億人あまりの気持ち、なんてもの
有り得るのか?
もしこの死刑執行が国民感情に即したものなら、
私はさしずめ非国民だ。
「国民感情」という、大きな一括りの言い方には、個を見ない危険を感じる。
「進め一億火の玉だ」と「日本国中」が叫んでいた時代にも、
憲兵の目を恐れずに反対していた個はあったし、
全体を恐れて声をあげられはしなかったが疑問を感じていた個も多くあった。
横一列、みんなと一緒、というのは安心しやすい。
政治家が「国民感情」と言えば、自分もそう感じるのが妥当だと思わされる
という側面もあるだろう。
もっと、人は個人的に自分が感じることを大事にしていいんだと思うよ。
新聞の記事になる度に、胸がいたむ。
どこか、うしろめたいような気持ちになる。
私の立場を単純にすれば、死刑執行には反対だ。
殺人を犯した人を殺す。ということにとても抵抗を感じる。
たいへん難しい問題なので、こんな単純なことでは済まないとは
思っている。
けれど、根っこのところでは、死刑執行には反対だ。
しかし、今日取り上げたいことは、それと少しずれる。
谷垣法務大臣はこれまで、
「国民感情、被害者感情などから見ても
死刑制度を設けていることは相応の根拠があるものと思っている」
「国際的動向より、治安維持、国民の安心安全の確保を考えるべきだ」
などと発言しており、死刑制度の見直しは必要ない、としている。
死刑制度が犯罪抑止に効果的か、疑問だとか、
様々な議論が含まれているが、私が一番ひっかかったのは、
「国民感情」という言葉だ。
被害者の遺族という立場の感情は、思い量っても余りある。
しかし、国民感情、と十把一絡げにするのは、どうか。
「国民みんなの気持ちを考えてる」という意味だろうか?
どうも、「国民感情」というと、「日本国中がこう感じている」
と言っているように思えてならない。
そんなもの、あるんだろうか?
親子や恋人同士だって気持ちが合わないことが多くて
いざこざは絶えないのに、日本中1億人あまりの気持ち、なんてもの
有り得るのか?
もしこの死刑執行が国民感情に即したものなら、
私はさしずめ非国民だ。
「国民感情」という、大きな一括りの言い方には、個を見ない危険を感じる。
「進め一億火の玉だ」と「日本国中」が叫んでいた時代にも、
憲兵の目を恐れずに反対していた個はあったし、
全体を恐れて声をあげられはしなかったが疑問を感じていた個も多くあった。
横一列、みんなと一緒、というのは安心しやすい。
政治家が「国民感情」と言えば、自分もそう感じるのが妥当だと思わされる
という側面もあるだろう。
もっと、人は個人的に自分が感じることを大事にしていいんだと思うよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます