[あらまし] 同居母87歳パーキンソン病ヤール4要介護5認知症状少々。
食卓の上に、過去の手紙や契約書や写真や結婚前に夫からもらった手紙や
デイサービスで作った折り紙や漢字テストや何や
紙類が山のようになっている。
ご本人曰く「書類を整理している。」のだが、
ある時に曰く「こっちの物をあっちへやって、あっちの物をこっちへやるのを繰り返しているだけだと気付いた。」と。
こう言った後も”書類の整理”は続いている。
毎日、犬の点滴を手伝いに来てくれている近所の友人Mはこの食卓の上の”書類”の山を
テーブルマウンテンと呼ぶ。
うまいこと言いやがる。
実際のテーブルマウンテンは上が平地であるが、
当家のテーブルマウンテンは平たい物が積み上がっている割には平坦ではない。
斜めに折り重なった”書類”は時折なだれも起こす。
※
食卓の上で、と言うより、テーブルマウンテンの上で食事をする。
「立って食べたほうが手に力が入りやすい」と言う。
シンクに向かって立って食べていたり、
そこから振り返ってテーブルマウンテンの上に食器を移したりする。
さきほども書いたとおり、テーブルマウンテンと言っても当家のものは
斜面を形成しているので、
そこに置いた食器は安定しない。
しかも、食器をつかんだ手を放さないまま本人が歩いて移動したりする。
バランスを取るために手に力が入ると、食器が傾く。
中身がこぼれる。
※
ある時は、食器を持って、食卓の自分の席とは反対のほうへ歩いて行く。
席はこっちですよ、と言うと、
「なるべく歩いたほうがいいと思って」と言う。
リハビリはリハビリの時間にやりなさい。
食器を持って歩き回ったら
転んだりこぼしたりのリスクが増えるだけだ。
道理で部屋中のあちこちに食べこぼしが有ると思った。
※
食べこぼしの中心はテーブルマウンテンの一角である。
”整理”されている”書類”は、食べこぼしを浴びてしまう。
古い写真など、惜しい。
けれど、口を出すと強く抵抗するので、何も言わないことにしている。
あまりにも惜しい物が見つかったら、そっと取って他の所に保管する。
※
テーブルクロスはあっという間と言うか、一回食事をしたら
タレで汚れる。
いちいち交換できないから、友人Mの発案で、ランチョンマット的な布を掛けている。
それもすぐに汚れるが、交換しやすい。
しかし、汚れると本人がその布を外してしまい、
新しい布を置くわけでなく、また食事をする。
結局テーブルクロスが汚れる。
テーブルクロスを洗濯したい。
汚れていると、本人が掃除する。
掃除とは、ビショビショの布巾でそこいらを拭う、ということで、
それはシミと水気を広げる。
本人が気にかけるのに先回りして洗濯したいが、
上に”書類”の山ができているので、なかなかテーブルクロスを交換することができない。
※
ある日、
母がテーブルクロスを畳んでいる。
食卓の上はテーブルマウンテンが残っている。
テーブルクロスだけ抜いたのか。
あんたは堺正章か。
それで代わりのテーブルクロスを掛けるわけでもないのに。
手間が増える。
頭に来るが、当人は「何を怒ってるのかわからない」と言う。
そうだ。分かるわけが無い。
腹を立てても自分が傷付き消耗するだけだ。
と分かっちゃいるけど。
※
外したテーブルクロスは、汚れた面を内側にきちんと畳まれている。
※
何かのときに、「〇〇だよ」と言ったら、
「だよ、だって」と母が言う。
言葉遣いが気に入らないのだ。
戦中戦後の学習院でお育ちあそばされたので、
言葉遣いの価値観がお高い。
「テメエこの野郎クソばばあ」とかなんとか言ったのを注意されるのなら分かるが、
「~だよ」くらいの言葉を指摘されていては、
会話ができない。
しかしこれも初めてのことではない。
こういう人だ、と分かっていて、気を付けていたのだが。
この道はいつか来た道
ああ、そうだよ
食卓の上に、過去の手紙や契約書や写真や結婚前に夫からもらった手紙や
デイサービスで作った折り紙や漢字テストや何や
紙類が山のようになっている。
ご本人曰く「書類を整理している。」のだが、
ある時に曰く「こっちの物をあっちへやって、あっちの物をこっちへやるのを繰り返しているだけだと気付いた。」と。
こう言った後も”書類の整理”は続いている。
毎日、犬の点滴を手伝いに来てくれている近所の友人Mはこの食卓の上の”書類”の山を
テーブルマウンテンと呼ぶ。
うまいこと言いやがる。
実際のテーブルマウンテンは上が平地であるが、
当家のテーブルマウンテンは平たい物が積み上がっている割には平坦ではない。
斜めに折り重なった”書類”は時折なだれも起こす。
※
食卓の上で、と言うより、テーブルマウンテンの上で食事をする。
「立って食べたほうが手に力が入りやすい」と言う。
シンクに向かって立って食べていたり、
そこから振り返ってテーブルマウンテンの上に食器を移したりする。
さきほども書いたとおり、テーブルマウンテンと言っても当家のものは
斜面を形成しているので、
そこに置いた食器は安定しない。
しかも、食器をつかんだ手を放さないまま本人が歩いて移動したりする。
バランスを取るために手に力が入ると、食器が傾く。
中身がこぼれる。
※
ある時は、食器を持って、食卓の自分の席とは反対のほうへ歩いて行く。
席はこっちですよ、と言うと、
「なるべく歩いたほうがいいと思って」と言う。
リハビリはリハビリの時間にやりなさい。
食器を持って歩き回ったら
転んだりこぼしたりのリスクが増えるだけだ。
道理で部屋中のあちこちに食べこぼしが有ると思った。
※
食べこぼしの中心はテーブルマウンテンの一角である。
”整理”されている”書類”は、食べこぼしを浴びてしまう。
古い写真など、惜しい。
けれど、口を出すと強く抵抗するので、何も言わないことにしている。
あまりにも惜しい物が見つかったら、そっと取って他の所に保管する。
※
テーブルクロスはあっという間と言うか、一回食事をしたら
タレで汚れる。
いちいち交換できないから、友人Mの発案で、ランチョンマット的な布を掛けている。
それもすぐに汚れるが、交換しやすい。
しかし、汚れると本人がその布を外してしまい、
新しい布を置くわけでなく、また食事をする。
結局テーブルクロスが汚れる。
テーブルクロスを洗濯したい。
汚れていると、本人が掃除する。
掃除とは、ビショビショの布巾でそこいらを拭う、ということで、
それはシミと水気を広げる。
本人が気にかけるのに先回りして洗濯したいが、
上に”書類”の山ができているので、なかなかテーブルクロスを交換することができない。
※
ある日、
母がテーブルクロスを畳んでいる。
食卓の上はテーブルマウンテンが残っている。
テーブルクロスだけ抜いたのか。
あんたは堺正章か。
それで代わりのテーブルクロスを掛けるわけでもないのに。
手間が増える。
頭に来るが、当人は「何を怒ってるのかわからない」と言う。
そうだ。分かるわけが無い。
腹を立てても自分が傷付き消耗するだけだ。
と分かっちゃいるけど。
※
外したテーブルクロスは、汚れた面を内側にきちんと畳まれている。
※
何かのときに、「〇〇だよ」と言ったら、
「だよ、だって」と母が言う。
言葉遣いが気に入らないのだ。
戦中戦後の学習院でお育ちあそばされたので、
言葉遣いの価値観がお高い。
「テメエこの野郎クソばばあ」とかなんとか言ったのを注意されるのなら分かるが、
「~だよ」くらいの言葉を指摘されていては、
会話ができない。
しかしこれも初めてのことではない。
こういう人だ、と分かっていて、気を付けていたのだが。
この道はいつか来た道
ああ、そうだよ