犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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憂国のキッド・ボンオドリック、踊らない

2012年07月17日 | 椰子の実の中
昨日は、たいへん迷った末、靖国神社のみたままつりでの盆踊りへ。

九段下の駅を降りて坂道を。

すぐに大鳥居だが、その手前の道端に、署名を集める人たちがいる。
8月15日に、靖国神社をつぶせというデモ集会が計画されている、
それをやめさせるための署名だ、と言う。
30代から60歳くらいの人たちか。
靖国は戦争で亡くなった人たちを祀っているところであり、
みなさんもこうやって平和におまつりに来ているじゃないか。と言う。


駅からの道は十代の子たちでいっぱい。
浴衣も多い。

大鳥居からのだだっ広い参道も、人間でみっちり。
(でも鳥居をくぐる時に礼をする人なんて見なかった。)

疑問が拭えない。
この子たちは、ここがどういう神社か知っていて来ているんだろうか?
近所だから? いや、近所にこんだけ十代は住んでないぞ。
有名だから? なぜ有名なの?
みたままつりってそもそも何だか知ってる?

モヤモヤしているところへ、遊就館の看板が目に入る。
遊就館とは、靖国神社の展示館で、戦争当時の生活を知るような
物であるとか、特攻隊の兵士が母に宛てた手紙とか、
戦争にまつわる品々が見られる。

その遊就館の看板に、今年の展示のタイトルはこう。
「大東亜戦争開戦七十年展
  ‐ 今ここに甦る先人達の殉国の至誠」

○あの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、日本の帝国主義が
もとにある。
○「開戦」を記念しており、戦争が終わったことには目を向けていない。
○「先人」には学ぶべきである。
○「国」に「殉」じたとしている。
○また、そのことは「至誠」であるとしている。

戦争で死ぬことは国のために死ぬことであり
またその戦争をやめる必要は無い、
という意味あいが展示タイトルから充分伝わる。


おまつりに集まったこの子たちは、そういうことを知っているのか?
それともこの子たちはみんな国のために死ぬ覚悟ができているのか?
浴衣を着付けてくれた母親たちは、国のために死なすために
この子たちを育てているのか?


私の祖父は、陸軍の参謀であった。
巣鴨に入っていた。
戦後、在家出家し、"カミ"とされない道を選んだ。
自分が行なった作戦、阻止できなかった作戦により、
多くの兵士が命を落としたことを祖父は負っていたのか。

靖国神社は単に「戦争で死んだ人を祀っている神社」ではない。
「戦争において国のために命を捨てることを名誉として
若者を戦地に送り出す考えを是とすることを拡めるための神社」だ。


私はどうにかそこを削ぎ落として、戦没者のための盆踊りと思えば
いいかと思って出かけてみたが、やはり、踊れなかった。

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