[あらすじ] 老母86歳、ショートステイ中に他の人の話を「ただ聞いていれば良い」と気付く。
14世紀インドの哲人サーヤナも言う。
困難の時はもっと苦しんでいる人を見るべし、幸せな時はもっと恵まれた人を見るべし。
浮かれるのも落ち込むのも、真我の敵だよ。と。
ファミリーレストランで、
斜め向こうのボックス席に、男子がこちら向きに座っている。
ジャルジャルの後藤氏によく似た、たぶん中学生だ。
初めは、何を話しているのかまでは聞こえなかったが、
なんと言おうか、この中学生の話しぶりが
なんともすがすがしいので、気になった。
声の音色が良いと言えば良いのだが、と言うより、
発声そのものが伸びやかで耳に心地よいような感じなのだ。
不思議な魅力に耳が引かれる。
彼の向いに、女性が座っている。
私からはよく見えないが、齢の頃から考えると、彼の母親なのだろうか。
だとすると、自分のことを「私は」と言って話すことが、
少しだけ違和感が有る。
いや、自分の息子に対して、自分のことを「お母さんはね」と言わずに「私は」と言うのは
珍しいことではない。
けれど、何か、この女性はこの中学男子に向かって、
自分の心情を語っている様子なのだ。
その様子からは、この男子に対するこの女性の気持ちの近さが感じられる。
こういうお母さんなら、自分のことを「お母さん」と言いそう、
という私の先入観が有る、というだけだ。
※
すずやかに語る中学男子と、そこに妙に粘り着くような女性の会話。
女性はこちらに背を向けている上、
少し早口で話すので、何を言っているのか分からない。
一人称が「私は」なのは耳に届く、その程度しか聞こえない。
一方、中学男子の語りは、全部ではないが、聞こえてくる。
中学生だろうか?
と、ずいぶん迷った。
ちょっと童顔の大人なんじゃないか。
いやしかしスーツのズボンではなくて制服らしく見える。
体格も、お肌も若い。
しかし、何か落ち着いた印象を与える。
見た目にもどこか落ち着きが有るのだが、
話に耳をそばだてていて、その落ち着きがかなりのものなのだ。
堂々として、向いの女性をリードしているようにも感じる。
やっぱり中学生に見える若い大人なのではないか、
向いの女性は恋人か妻なのではないか、と思ったほどであった。
私は次第にこの少年を敬う気持ちになっていった。
※
以下に中坊の言葉を記すが、その前に、
私が聞き耳を立てる中で知り得たことを挙げてみる。
・「ばれー」がやりたい。
それがバレエなのかバレーボールなのか判別がつくまでの詳しい内容は
聞こえて来なかった。
・それができる高校に行きたい。
どうやら中学3年生らしい。
・たとえば〇〇高校の受験問題は「頭をひねる問題」だから面白い。
ちゃんと準備しているのである。
・向いの席の母親らしき女性は、「ばれー」で彼が成功するわけは無いのだからやめておけ、
と反対している。
・向いの席の女性曰く、「私の経験から見ても、そうやってもうまくいかない。わかってる。
今まで見てきたから、無理だと言っているの。」
※
語録
・〇〇さん(「お母さん」とはっきりとは聞き取れなかった。)の、そうやって決めつけるところがイヤだ。
・「できない」って言っているのは、自分だったらできないから言っているのだ。
自分を見て言っているんだ。
・成功できないとか勝てないとか言うけれど、世界は75億人もいるんだから、
上を見たら優れた人はいっぱいいるし、下を見てもいっぱいいる。
比較していたらキリが無い。
自分のできることを精一杯やるだけだ。
・お祖父ちゃんがお母さんの心配をしている時は、一番苦しんでいるのはお祖父ちゃんだ。
(お母さんの苦しみのために苦しんでいるのではなく、心配することでお祖父ちゃん自身が苦しんでしまっている、という意味)
・あー、そうそう、それほんとにそう思う。最近、気分が落ち込むことが無くなったよ。ほんとありがとう。
※
お母さんの言うことを全部拒絶しているわけではない。
お母さんがためになることを教えてくれたことに関しては、しっかり感謝も伝えている。
それにしてもすがすがしく、
私は大いに影響を受けた。
やりたいことを自分のできる限りやるだけだね。
14世紀インドの哲人サーヤナも言う。
困難の時はもっと苦しんでいる人を見るべし、幸せな時はもっと恵まれた人を見るべし。
浮かれるのも落ち込むのも、真我の敵だよ。と。
ファミリーレストランで、
斜め向こうのボックス席に、男子がこちら向きに座っている。
ジャルジャルの後藤氏によく似た、たぶん中学生だ。
初めは、何を話しているのかまでは聞こえなかったが、
なんと言おうか、この中学生の話しぶりが
なんともすがすがしいので、気になった。
声の音色が良いと言えば良いのだが、と言うより、
発声そのものが伸びやかで耳に心地よいような感じなのだ。
不思議な魅力に耳が引かれる。
彼の向いに、女性が座っている。
私からはよく見えないが、齢の頃から考えると、彼の母親なのだろうか。
だとすると、自分のことを「私は」と言って話すことが、
少しだけ違和感が有る。
いや、自分の息子に対して、自分のことを「お母さんはね」と言わずに「私は」と言うのは
珍しいことではない。
けれど、何か、この女性はこの中学男子に向かって、
自分の心情を語っている様子なのだ。
その様子からは、この男子に対するこの女性の気持ちの近さが感じられる。
こういうお母さんなら、自分のことを「お母さん」と言いそう、
という私の先入観が有る、というだけだ。
※
すずやかに語る中学男子と、そこに妙に粘り着くような女性の会話。
女性はこちらに背を向けている上、
少し早口で話すので、何を言っているのか分からない。
一人称が「私は」なのは耳に届く、その程度しか聞こえない。
一方、中学男子の語りは、全部ではないが、聞こえてくる。
中学生だろうか?
と、ずいぶん迷った。
ちょっと童顔の大人なんじゃないか。
いやしかしスーツのズボンではなくて制服らしく見える。
体格も、お肌も若い。
しかし、何か落ち着いた印象を与える。
見た目にもどこか落ち着きが有るのだが、
話に耳をそばだてていて、その落ち着きがかなりのものなのだ。
堂々として、向いの女性をリードしているようにも感じる。
やっぱり中学生に見える若い大人なのではないか、
向いの女性は恋人か妻なのではないか、と思ったほどであった。
私は次第にこの少年を敬う気持ちになっていった。
※
以下に中坊の言葉を記すが、その前に、
私が聞き耳を立てる中で知り得たことを挙げてみる。
・「ばれー」がやりたい。
それがバレエなのかバレーボールなのか判別がつくまでの詳しい内容は
聞こえて来なかった。
・それができる高校に行きたい。
どうやら中学3年生らしい。
・たとえば〇〇高校の受験問題は「頭をひねる問題」だから面白い。
ちゃんと準備しているのである。
・向いの席の母親らしき女性は、「ばれー」で彼が成功するわけは無いのだからやめておけ、
と反対している。
・向いの席の女性曰く、「私の経験から見ても、そうやってもうまくいかない。わかってる。
今まで見てきたから、無理だと言っているの。」
※
語録
・〇〇さん(「お母さん」とはっきりとは聞き取れなかった。)の、そうやって決めつけるところがイヤだ。
・「できない」って言っているのは、自分だったらできないから言っているのだ。
自分を見て言っているんだ。
・成功できないとか勝てないとか言うけれど、世界は75億人もいるんだから、
上を見たら優れた人はいっぱいいるし、下を見てもいっぱいいる。
比較していたらキリが無い。
自分のできることを精一杯やるだけだ。
・お祖父ちゃんがお母さんの心配をしている時は、一番苦しんでいるのはお祖父ちゃんだ。
(お母さんの苦しみのために苦しんでいるのではなく、心配することでお祖父ちゃん自身が苦しんでしまっている、という意味)
・あー、そうそう、それほんとにそう思う。最近、気分が落ち込むことが無くなったよ。ほんとありがとう。
※
お母さんの言うことを全部拒絶しているわけではない。
お母さんがためになることを教えてくれたことに関しては、しっかり感謝も伝えている。
それにしてもすがすがしく、
私は大いに影響を受けた。
やりたいことを自分のできる限りやるだけだね。
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