犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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中坊聖人

2019年07月30日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 老母86歳、ショートステイ中に他の人の話を「ただ聞いていれば良い」と気付く。
14世紀インドの哲人サーヤナも言う。
困難の時はもっと苦しんでいる人を見るべし、幸せな時はもっと恵まれた人を見るべし。
浮かれるのも落ち込むのも、真我の敵だよ。と。


ファミリーレストランで、
斜め向こうのボックス席に、男子がこちら向きに座っている。
ジャルジャルの後藤氏によく似た、たぶん中学生だ。

初めは、何を話しているのかまでは聞こえなかったが、
なんと言おうか、この中学生の話しぶりが
なんともすがすがしいので、気になった。
声の音色が良いと言えば良いのだが、と言うより、
発声そのものが伸びやかで耳に心地よいような感じなのだ。
不思議な魅力に耳が引かれる。

彼の向いに、女性が座っている。
私からはよく見えないが、齢の頃から考えると、彼の母親なのだろうか。
だとすると、自分のことを「私は」と言って話すことが、
少しだけ違和感が有る。
いや、自分の息子に対して、自分のことを「お母さんはね」と言わずに「私は」と言うのは
珍しいことではない。
けれど、何か、この女性はこの中学男子に向かって、
自分の心情を語っている様子なのだ。
その様子からは、この男子に対するこの女性の気持ちの近さが感じられる。
こういうお母さんなら、自分のことを「お母さん」と言いそう、
という私の先入観が有る、というだけだ。



すずやかに語る中学男子と、そこに妙に粘り着くような女性の会話。
女性はこちらに背を向けている上、
少し早口で話すので、何を言っているのか分からない。
一人称が「私は」なのは耳に届く、その程度しか聞こえない。

一方、中学男子の語りは、全部ではないが、聞こえてくる。

中学生だろうか?
と、ずいぶん迷った。
ちょっと童顔の大人なんじゃないか。

いやしかしスーツのズボンではなくて制服らしく見える。
体格も、お肌も若い。

しかし、何か落ち着いた印象を与える。
見た目にもどこか落ち着きが有るのだが、
話に耳をそばだてていて、その落ち着きがかなりのものなのだ。
堂々として、向いの女性をリードしているようにも感じる。
やっぱり中学生に見える若い大人なのではないか、
向いの女性は恋人か妻なのではないか、と思ったほどであった。

私は次第にこの少年を敬う気持ちになっていった。



以下に中坊の言葉を記すが、その前に、
私が聞き耳を立てる中で知り得たことを挙げてみる。

・「ばれー」がやりたい。
  それがバレエなのかバレーボールなのか判別がつくまでの詳しい内容は
  聞こえて来なかった。
・それができる高校に行きたい。
  どうやら中学3年生らしい。
・たとえば〇〇高校の受験問題は「頭をひねる問題」だから面白い。
  ちゃんと準備しているのである。
・向いの席の母親らしき女性は、「ばれー」で彼が成功するわけは無いのだからやめておけ、
 と反対している。
・向いの席の女性曰く、「私の経験から見ても、そうやってもうまくいかない。わかってる。
 今まで見てきたから、無理だと言っているの。」



語録

・〇〇さん(「お母さん」とはっきりとは聞き取れなかった。)の、そうやって決めつけるところがイヤだ。
・「できない」って言っているのは、自分だったらできないから言っているのだ。
 自分を見て言っているんだ。
・成功できないとか勝てないとか言うけれど、世界は75億人もいるんだから、
 上を見たら優れた人はいっぱいいるし、下を見てもいっぱいいる。
 比較していたらキリが無い。
 自分のできることを精一杯やるだけだ。
・お祖父ちゃんがお母さんの心配をしている時は、一番苦しんでいるのはお祖父ちゃんだ。
 (お母さんの苦しみのために苦しんでいるのではなく、心配することでお祖父ちゃん自身が苦しんでしまっている、という意味)
・あー、そうそう、それほんとにそう思う。最近、気分が落ち込むことが無くなったよ。ほんとありがとう。



お母さんの言うことを全部拒絶しているわけではない。
お母さんがためになることを教えてくれたことに関しては、しっかり感謝も伝えている。

それにしてもすがすがしく、
私は大いに影響を受けた。
やりたいことを自分のできる限りやるだけだね。
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