[あらまし] 母87歳パーキンソン病ヤール4要介護5認知症状少々、
6月末に特別養護老人ホームに入居。
クーラーを使わなくとも、窓を開けていれば
涼しい風が通るようになった。
数年前に、道を挟んだ隣に建売住宅がニョキニョキ生えて、
家族が引っ越してきた。
その家々は、どこも閉め切って、クーラーを使っている。
以前、住んでいた場所からの習慣なのだろうか。
一方、何十年とここに住んでいる、我が家とその両隣は
開けっぴろげである。
我が家の庭を経て南隣の家の生活音も聞こえてくるし、
北隣の家の人の声も庭を越えて聞こえてくる。
※
特に、北隣の家は、庭側の窓近くに電話が置いてあるらしい。
それに、奥さんは若い頃からすばらしくよく通る太い声をしている。
※
かかってきた電話に「ハイ、〇〇です。」と名乗って出る人がいる。
そうすると話が早いからだろうか。
相手に名前をバラシてしまっているではないか。
子どもの頃、電話のかけ方を親に教わった。
「〇〇さんのお宅でしょうか。
××ですが、△△さんはご在宅ですか。」と
まず尋ねるように教わった。
それなのに、相手が「〇〇です。」と出ると、
心の中で練習した「〇〇さんのお宅でしょうか。」を言うでもなくなり、
なんとなく出鼻をくじかれて、オロオロと名乗ることになったりしたものだ。
※
老母にも、注意した。
電話に出ても、絶対にこちらから名乗ってはいけない。
相手は適当に電話をかけていて、
年寄りの声で「〇〇です。」と名乗ったら、名前と年齢を教えているようなものだ、
と。
若い頃から、電話に出てすぐに名乗る習慣が無いから、大丈夫だろうと思っていたが、
ある時、かかってきた電話に自分から名前を言っているのを聞いた。
もう一度よく注意をして、さらに、電話口に
「自分から名前を言ってはいけない。」とメモを大書して貼った。
※
貼り紙をしても、その通りにしないことが多かった。
貼り紙を無視するとか、忘れてしまうとか、そういうことではない。
何かその時に目的が有ると、そのことしか頭に無くなってしまうのだ。
認知症で受診しやすいようにと、「ものわすれ外来」という科名になっているが、
あれも誤解を呼ぶと思う。
記憶の問題ではなくて、注意の問題なのだ。
忘れてしまうのではなく、他の事で頭が一杯になってしまうのだ。
※
そう分かってはいても、記憶していればなんとかなるのではないか、
という思いはなかなか拭い去れなかった。
なんとか記憶にとどめよう、思い出してもらおう、と
繰り返し言ってみたりもした。
不快なことイヤなことは記憶に残りやすい。
イヤなことは回避すべきだからだ。
それに、女性は特に、強い感情が伴うと記憶しやすい、
ということをどこかモノの本で読んだ。
では、とってもイヤな感情とセットだと記憶に残るのではないか、
と思って、
憶えて欲しいことを注意する時に、
感情に訴える芝居をしてみたことが有る。
母の苦手なことをやれば憶えるかな、と
「悲しい」「痛い苦しい」ふりをしてみた。
案の定、母はその時とても感情を揺さぶられ、
「もう二度としない」と言ったが、
他の方法で伝えた時より効果が特に長いというわけでもなかった。
自分がひどく疲れるので、やめた。
※
どうも、演じるのは苦手だ。
ウソでいいから〇〇する、
というのが、介護のコツでよく見られる。
「心をこめなくていいんです。」
という説明をしてくれた人がいて、なるほどと思った。
しかし、どうも演じられない。
「みなさん、ウソをつくことにどうしても抵抗が有るんですよね。」
という説明にも、なるほどと思った。
目的の有る演技でも、ウソになるのでどこか気が引ける、というのだ。
※
隣家から、電話口の声が聞こえる。
八十歳近い奥さんが、
自分の電話番号や、何かの番号などを相手に伝えている。
ふと、心配になる。
それは、大丈夫な相手なのか?
声が止んで数分も経たないうちに、
五十代半ばの娘さんの声が聞こえてきた。
怒っている。
いつも言っているじゃない、と。
どうやら、何度も注意してきたことを
お母さんはやっちまっていたらしい。
「分かった?」
という声が聞こえる。
返事は聞こえない。
※
どうぞご無事で。
6月末に特別養護老人ホームに入居。
クーラーを使わなくとも、窓を開けていれば
涼しい風が通るようになった。
数年前に、道を挟んだ隣に建売住宅がニョキニョキ生えて、
家族が引っ越してきた。
その家々は、どこも閉め切って、クーラーを使っている。
以前、住んでいた場所からの習慣なのだろうか。
一方、何十年とここに住んでいる、我が家とその両隣は
開けっぴろげである。
我が家の庭を経て南隣の家の生活音も聞こえてくるし、
北隣の家の人の声も庭を越えて聞こえてくる。
※
特に、北隣の家は、庭側の窓近くに電話が置いてあるらしい。
それに、奥さんは若い頃からすばらしくよく通る太い声をしている。
※
かかってきた電話に「ハイ、〇〇です。」と名乗って出る人がいる。
そうすると話が早いからだろうか。
相手に名前をバラシてしまっているではないか。
子どもの頃、電話のかけ方を親に教わった。
「〇〇さんのお宅でしょうか。
××ですが、△△さんはご在宅ですか。」と
まず尋ねるように教わった。
それなのに、相手が「〇〇です。」と出ると、
心の中で練習した「〇〇さんのお宅でしょうか。」を言うでもなくなり、
なんとなく出鼻をくじかれて、オロオロと名乗ることになったりしたものだ。
※
老母にも、注意した。
電話に出ても、絶対にこちらから名乗ってはいけない。
相手は適当に電話をかけていて、
年寄りの声で「〇〇です。」と名乗ったら、名前と年齢を教えているようなものだ、
と。
若い頃から、電話に出てすぐに名乗る習慣が無いから、大丈夫だろうと思っていたが、
ある時、かかってきた電話に自分から名前を言っているのを聞いた。
もう一度よく注意をして、さらに、電話口に
「自分から名前を言ってはいけない。」とメモを大書して貼った。
※
貼り紙をしても、その通りにしないことが多かった。
貼り紙を無視するとか、忘れてしまうとか、そういうことではない。
何かその時に目的が有ると、そのことしか頭に無くなってしまうのだ。
認知症で受診しやすいようにと、「ものわすれ外来」という科名になっているが、
あれも誤解を呼ぶと思う。
記憶の問題ではなくて、注意の問題なのだ。
忘れてしまうのではなく、他の事で頭が一杯になってしまうのだ。
※
そう分かってはいても、記憶していればなんとかなるのではないか、
という思いはなかなか拭い去れなかった。
なんとか記憶にとどめよう、思い出してもらおう、と
繰り返し言ってみたりもした。
不快なことイヤなことは記憶に残りやすい。
イヤなことは回避すべきだからだ。
それに、女性は特に、強い感情が伴うと記憶しやすい、
ということをどこかモノの本で読んだ。
では、とってもイヤな感情とセットだと記憶に残るのではないか、
と思って、
憶えて欲しいことを注意する時に、
感情に訴える芝居をしてみたことが有る。
母の苦手なことをやれば憶えるかな、と
「悲しい」「痛い苦しい」ふりをしてみた。
案の定、母はその時とても感情を揺さぶられ、
「もう二度としない」と言ったが、
他の方法で伝えた時より効果が特に長いというわけでもなかった。
自分がひどく疲れるので、やめた。
※
どうも、演じるのは苦手だ。
ウソでいいから〇〇する、
というのが、介護のコツでよく見られる。
「心をこめなくていいんです。」
という説明をしてくれた人がいて、なるほどと思った。
しかし、どうも演じられない。
「みなさん、ウソをつくことにどうしても抵抗が有るんですよね。」
という説明にも、なるほどと思った。
目的の有る演技でも、ウソになるのでどこか気が引ける、というのだ。
※
隣家から、電話口の声が聞こえる。
八十歳近い奥さんが、
自分の電話番号や、何かの番号などを相手に伝えている。
ふと、心配になる。
それは、大丈夫な相手なのか?
声が止んで数分も経たないうちに、
五十代半ばの娘さんの声が聞こえてきた。
怒っている。
いつも言っているじゃない、と。
どうやら、何度も注意してきたことを
お母さんはやっちまっていたらしい。
「分かった?」
という声が聞こえる。
返事は聞こえない。
※
どうぞご無事で。
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