犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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ものわすれじゃない

2020年09月16日 | 介護ウチのバヤイ
[あらまし] 母87歳パーキンソン病ヤール4要介護5認知症状少々、
6月末に特別養護老人ホームに入居。

クーラーを使わなくとも、窓を開けていれば
涼しい風が通るようになった。

数年前に、道を挟んだ隣に建売住宅がニョキニョキ生えて、
家族が引っ越してきた。
その家々は、どこも閉め切って、クーラーを使っている。
以前、住んでいた場所からの習慣なのだろうか。

一方、何十年とここに住んでいる、我が家とその両隣は
開けっぴろげである。
我が家の庭を経て南隣の家の生活音も聞こえてくるし、
北隣の家の人の声も庭を越えて聞こえてくる。



特に、北隣の家は、庭側の窓近くに電話が置いてあるらしい。
それに、奥さんは若い頃からすばらしくよく通る太い声をしている。



かかってきた電話に「ハイ、〇〇です。」と名乗って出る人がいる。
そうすると話が早いからだろうか。
相手に名前をバラシてしまっているではないか。

子どもの頃、電話のかけ方を親に教わった。
「〇〇さんのお宅でしょうか。
××ですが、△△さんはご在宅ですか。」と
まず尋ねるように教わった。

それなのに、相手が「〇〇です。」と出ると、
心の中で練習した「〇〇さんのお宅でしょうか。」を言うでもなくなり、
なんとなく出鼻をくじかれて、オロオロと名乗ることになったりしたものだ。



老母にも、注意した。
電話に出ても、絶対にこちらから名乗ってはいけない。
相手は適当に電話をかけていて、
年寄りの声で「〇〇です。」と名乗ったら、名前と年齢を教えているようなものだ、
と。

若い頃から、電話に出てすぐに名乗る習慣が無いから、大丈夫だろうと思っていたが、
ある時、かかってきた電話に自分から名前を言っているのを聞いた。

もう一度よく注意をして、さらに、電話口に
「自分から名前を言ってはいけない。」とメモを大書して貼った。



貼り紙をしても、その通りにしないことが多かった。
貼り紙を無視するとか、忘れてしまうとか、そういうことではない。
何かその時に目的が有ると、そのことしか頭に無くなってしまうのだ。

認知症で受診しやすいようにと、「ものわすれ外来」という科名になっているが、
あれも誤解を呼ぶと思う。
記憶の問題ではなくて、注意の問題なのだ。
忘れてしまうのではなく、他の事で頭が一杯になってしまうのだ。



そう分かってはいても、記憶していればなんとかなるのではないか、
という思いはなかなか拭い去れなかった。

なんとか記憶にとどめよう、思い出してもらおう、と
繰り返し言ってみたりもした。

不快なことイヤなことは記憶に残りやすい。
イヤなことは回避すべきだからだ。
それに、女性は特に、強い感情が伴うと記憶しやすい、
ということをどこかモノの本で読んだ。
では、とってもイヤな感情とセットだと記憶に残るのではないか、
と思って、
憶えて欲しいことを注意する時に、
感情に訴える芝居をしてみたことが有る。

母の苦手なことをやれば憶えるかな、と
「悲しい」「痛い苦しい」ふりをしてみた。
案の定、母はその時とても感情を揺さぶられ、
「もう二度としない」と言ったが、
他の方法で伝えた時より効果が特に長いというわけでもなかった。

自分がひどく疲れるので、やめた。



どうも、演じるのは苦手だ。

ウソでいいから〇〇する、
というのが、介護のコツでよく見られる。

「心をこめなくていいんです。」
という説明をしてくれた人がいて、なるほどと思った。
しかし、どうも演じられない。

「みなさん、ウソをつくことにどうしても抵抗が有るんですよね。」
という説明にも、なるほどと思った。
目的の有る演技でも、ウソになるのでどこか気が引ける、というのだ。



隣家から、電話口の声が聞こえる。
八十歳近い奥さんが、
自分の電話番号や、何かの番号などを相手に伝えている。
ふと、心配になる。
それは、大丈夫な相手なのか?

声が止んで数分も経たないうちに、
五十代半ばの娘さんの声が聞こえてきた。
怒っている。
いつも言っているじゃない、と。

どうやら、何度も注意してきたことを
お母さんはやっちまっていたらしい。

「分かった?」
という声が聞こえる。
返事は聞こえない。



どうぞご無事で。
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