犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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ただ聞く愉しさ

2019年07月24日 | 椰子の実の中
[あらまし] 同居母86歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。


母は、おしゃべりが好きでない。
友達とぐだぐだとあれこれしゃべることを、楽しまない。

何年か前に、近所の友達とお茶をしに行ったことが有る。
帰って来て、「みなさん、ご近所の話が、好きね。」なんて言っていた。
おしゃべりを軽蔑しているのである。
他人の噂話ばかりをするのはどうかと思うが、
他人の事情をあまり知らないのも問題が有る。



デイサービスやデイケアや訪問介護や訪問看護で、
若いスタッフにお世話になることも多い。
特に二、三十代のスタッフは、
自分の悩みを母に話すことが有る。

職場の人間関係だったり、仕事に関することや、
時には友人や家族との関係についてだったりする。
しゃべりたいだけ、という部分も有るだろう。
母は乱暴なことを言わないし、穏やかに見えるので、
話しやすいのだろう。

しかし、母は長いこと教員をしてきたこともあり、
若い人から’相談‘されたら、何らかの’アドヴァイス‘をしようとする。
まあ、結構なことなのだが、どうも傍から聞いていると気に掛かる。
その‘アドヴァイス’は、当人の状況や視点や要件や考えに基づいているというより、
母の視点や考え方に基づいているように聞こえる。

また、他者を評価する言い方が多いように思う。
「〇〇さんは◇◇する。」というだけなら、単純に受け止めているだけなのだが、
「△△さんは××なところがいけないわね。」などと、良し悪しの判断の言葉が加わるのだ。

母は、他者を評価するところが良くない。
なんつって。
良いとは思わないし、見習おうとも思わないけれど、
それを「良くない」「いけない」ましてや、「だからアイツはダメ」などと
評価することは、他者のあり方をあるがままに見る妨げになる。
言い換えれば、他者を評価する癖が有ると、他者を見誤りがちになる。
自分の価値観フィルターを通して対象を見ているからだ。



ショートステイの感想を聞かれて、ケアマネージャーさんに答えて言う。

「みんなのいる広い部屋で、大きな声で自分の思っていることを話す人がいる。
それに対して、頷いている人もいれば、不快そうに顔をしかめている人もいるし、
相槌を打つ人もいる。
そういうのを、ただ聞いていればいいんだ、ということが分かってきた。
おもしろいと思えるようになってきた。
以前からそういう話を聞くようにしていたけれど、
以前は聞くように努めていた。
今は、楽しめるようになってきた。」

わざわざ「楽しめるようになってきた。」と言うということは、
さほど楽しんではいない、と言っているようなものなのだが、
まあ、前と較べたら楽しみが分からなくもないと言えるようにはなったのだろう。

この「ただ聞いていればいいんだ」というのが、
評価しない見方だ。



まったく、
多くの人が、他の人とおしゃべりをして、
他の人の言葉から自分と異なる感じ方や見方や受け止め方や考え方などを知り、
自分の見聞や物の見方や価値観を広げているのだ。
毎日、何年もかけて。

評価をするのは自分の価値観にこだわり固まることになるので、
広がりを得ない。

それがやっとできるようになってきた、ということだろうか。
もちろん、今までまるでやってこなかったとは思わないが、
軽蔑し排除してきた部分ではあっただろう。

ともあれ、良かったのだと思う。
施設で知り合う人たちとの関わりをイヤだと思ってばかりいたら、
ショートステイ自体がイヤになりかねない。
少しでも肯定的に捉えられるようになったなら、次に繋がる。

人との関わりを面白く感じられるようになったのは、
「ただ聞く」ということがもとになっているわけだ。
今までおしゃべりを面白くなくしていたのは、自分の価値観だったのだ。
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