正月三日は、散歩した。
地元深大寺は元三大師を祀っている。
元三大師(がんざんだいし)とは、正月三日に遷化したところからおくられた名だ。
だから、深大寺にまず寄って、それから足を伸ばした。
15年ほど前まで、水道メーター検針の仕事をしていた。
当時、担当していた地区を通ってみた。
犬を何頭も、庭の檻で飼っている家が有ったっけ。
良い飼い方をされていないのか、犬たちはやたらと吠えた。
その家は無くなって、2軒の新しい家が建っていた。
図書館のシールの貼ってある本が、玄関や門の周辺にうず高く積み上げられている家が有ったっけ。
十年以上前と同じように門の前に自転車がとまっているが、
家に人気は無く、表札は無くなり、本も無くなり、しかし片付いているわけではなく、
玄関周辺にはチラシなどの紙が山のようになっていた。
火事が有った家も無くなり、新しい家が建っていた。
少し類焼した隣のアパートは変わっていなかった。
飛行機事故の跡地は空き地のままになっている。
※
二十代半ばから三十代後半まで、仕事で回った町を歩いていると、
その頃の体調や気持ちや経験をチカチカと思い出す。
検針員の制服を着て、ハンディターミナルを肩から提げて、
手には検針棒を持って。
夏は暑く、冬は寒かった。
ちょうど良い気候は4月と10月だけだった。
朝7時半くらいに出勤して、担当地区へ移動して、
200~400軒くらいの家を回った。
事務所で雑務をして、飛んで帰ってシャワーを浴びて、
30分~1時間くらい昼寝をして、
着替えて中学高校の部活のオーケストラのコーチに行く。
1~2時間の部活を終えて帰宅して、これで一日が終わることも有るが、
バンドの練習が有ったり、ライブが有ったりする。
どちらにしても、帰宅は午前1時過ぎくらいになる。
駐車場に車を入れて、疲れきってそのまましばらくそこで眠る。
これじゃいけないってんで部屋に戻って寝直す。
ってなことをやっていた頃の、朝の寝起きのだるさを思い出す。
担当地区が団地だと、階段を昇る足が重くてたまらなかったのを思い出す。
身体がしんどい時も、精神的にまいっている時も、
仕事だけはした。
猛然と仕事をして、それで切り抜けていた。
担当地区を歩いていると、
そういう若く激しい情動を思い出す。
こんなふうに過去に思いが向いても
いいことなんて一つも有りゃしない。
とは言い過ぎで、まあ、一つくらい有るとしたら、
ああ当時はあの人に世話になったな、
それにあの人もあの人も支えてくれた応援してくれた、
なんてな具合に幾人かの顔と名前と人柄と出来事などを
思い出すのは悪くない。
けれど総じてなんじゃやら感傷的な気分になるのは
どうも弾まない。
水道のメーターというのは、地面に在る。
水道管が地中を通っているから、メーターボックスの蓋が地面に在るのだ。
公共の水道管から各家庭の水道管へ移行する所に
使用量を測るためのメーターが付いている。
だから、道路に近い敷地内にメーターボックスは在る。
というのは原則であって、家によって水道メーターの在る位置は
てんでんばらばらである。
隅っこに在って見付けにくかったり、車の下になっていて見付けにくかったり、
家の裏側に在って見付けにくかったり、上に何かしらが置いてあって見付けにくかったり、
とまあ、おおよそ見付けにくい。
数年も仕事をしていると、次第に勘らしきものができてきて、
メーターに吸い寄せられるように発見できるようになったりする。
そんなことがちょっと楽しかった。
担当していた地区を十何年ぶりに歩きながら、
沿道の家々のメーターの位置を横目で確認していく。
けっこう憶えている。
門を入って右とか、低い塀越しに蓋を開けるとか、庭木戸から入るとか、
身体で憶えているものだ。
地面に在るものを見る仕事だったので、うつむきがちだった。
それを思い出しながら歩くので、うつむきがちになる。
人間は姿勢と感情が連動している。
気分が下向きでなくとも、うつむいていると気分も塞いでくる。
これまたいかん。
担当地区を離れて、知らない道に入ってみることにした。
市内に入ったことの無い道は無い。
と言っても良さそうなくらい、くまなく走り回っている。
十代の頃、自転車であちこちの道を走って、
帰宅してから地図の道を赤く塗りつぶすのが楽しみだった。
その上、二十代三十代では仕事で一軒一軒を回っている。
合わせて地元市内はほとんど踏破しているはずだが、
さすがに30年以上経って忘れている道も有る。
知らない道を行くのが好きだ。
こりゃ素通りしていたわい、という細道なんぞを見付けると
ワクワクして入り込んでみる。
抜けると意外な所に出たり、思った通りの所に出たり、
どちらも楽しい。アホか
忘れていた道を歩き始めて、途端に気分は立ち直った。
先ほど歩いた道を舞台にして、
当時の仕事中に落とした何かを見付けて拾う、
という法螺を書こうかな、なんて具合に
脳味噌が回転して心地良い。
つづく
地元深大寺は元三大師を祀っている。
元三大師(がんざんだいし)とは、正月三日に遷化したところからおくられた名だ。
だから、深大寺にまず寄って、それから足を伸ばした。
15年ほど前まで、水道メーター検針の仕事をしていた。
当時、担当していた地区を通ってみた。
犬を何頭も、庭の檻で飼っている家が有ったっけ。
良い飼い方をされていないのか、犬たちはやたらと吠えた。
その家は無くなって、2軒の新しい家が建っていた。
図書館のシールの貼ってある本が、玄関や門の周辺にうず高く積み上げられている家が有ったっけ。
十年以上前と同じように門の前に自転車がとまっているが、
家に人気は無く、表札は無くなり、本も無くなり、しかし片付いているわけではなく、
玄関周辺にはチラシなどの紙が山のようになっていた。
火事が有った家も無くなり、新しい家が建っていた。
少し類焼した隣のアパートは変わっていなかった。
飛行機事故の跡地は空き地のままになっている。
※
二十代半ばから三十代後半まで、仕事で回った町を歩いていると、
その頃の体調や気持ちや経験をチカチカと思い出す。
検針員の制服を着て、ハンディターミナルを肩から提げて、
手には検針棒を持って。
夏は暑く、冬は寒かった。
ちょうど良い気候は4月と10月だけだった。
朝7時半くらいに出勤して、担当地区へ移動して、
200~400軒くらいの家を回った。
事務所で雑務をして、飛んで帰ってシャワーを浴びて、
30分~1時間くらい昼寝をして、
着替えて中学高校の部活のオーケストラのコーチに行く。
1~2時間の部活を終えて帰宅して、これで一日が終わることも有るが、
バンドの練習が有ったり、ライブが有ったりする。
どちらにしても、帰宅は午前1時過ぎくらいになる。
駐車場に車を入れて、疲れきってそのまましばらくそこで眠る。
これじゃいけないってんで部屋に戻って寝直す。
ってなことをやっていた頃の、朝の寝起きのだるさを思い出す。
担当地区が団地だと、階段を昇る足が重くてたまらなかったのを思い出す。
身体がしんどい時も、精神的にまいっている時も、
仕事だけはした。
猛然と仕事をして、それで切り抜けていた。
担当地区を歩いていると、
そういう若く激しい情動を思い出す。
こんなふうに過去に思いが向いても
いいことなんて一つも有りゃしない。
とは言い過ぎで、まあ、一つくらい有るとしたら、
ああ当時はあの人に世話になったな、
それにあの人もあの人も支えてくれた応援してくれた、
なんてな具合に幾人かの顔と名前と人柄と出来事などを
思い出すのは悪くない。
けれど総じてなんじゃやら感傷的な気分になるのは
どうも弾まない。
水道のメーターというのは、地面に在る。
水道管が地中を通っているから、メーターボックスの蓋が地面に在るのだ。
公共の水道管から各家庭の水道管へ移行する所に
使用量を測るためのメーターが付いている。
だから、道路に近い敷地内にメーターボックスは在る。
というのは原則であって、家によって水道メーターの在る位置は
てんでんばらばらである。
隅っこに在って見付けにくかったり、車の下になっていて見付けにくかったり、
家の裏側に在って見付けにくかったり、上に何かしらが置いてあって見付けにくかったり、
とまあ、おおよそ見付けにくい。
数年も仕事をしていると、次第に勘らしきものができてきて、
メーターに吸い寄せられるように発見できるようになったりする。
そんなことがちょっと楽しかった。
担当していた地区を十何年ぶりに歩きながら、
沿道の家々のメーターの位置を横目で確認していく。
けっこう憶えている。
門を入って右とか、低い塀越しに蓋を開けるとか、庭木戸から入るとか、
身体で憶えているものだ。
地面に在るものを見る仕事だったので、うつむきがちだった。
それを思い出しながら歩くので、うつむきがちになる。
人間は姿勢と感情が連動している。
気分が下向きでなくとも、うつむいていると気分も塞いでくる。
これまたいかん。
担当地区を離れて、知らない道に入ってみることにした。
市内に入ったことの無い道は無い。
と言っても良さそうなくらい、くまなく走り回っている。
十代の頃、自転車であちこちの道を走って、
帰宅してから地図の道を赤く塗りつぶすのが楽しみだった。
その上、二十代三十代では仕事で一軒一軒を回っている。
合わせて地元市内はほとんど踏破しているはずだが、
さすがに30年以上経って忘れている道も有る。
知らない道を行くのが好きだ。
こりゃ素通りしていたわい、という細道なんぞを見付けると
ワクワクして入り込んでみる。
抜けると意外な所に出たり、思った通りの所に出たり、
どちらも楽しい。アホか
忘れていた道を歩き始めて、途端に気分は立ち直った。
先ほど歩いた道を舞台にして、
当時の仕事中に落とした何かを見付けて拾う、
という法螺を書こうかな、なんて具合に
脳味噌が回転して心地良い。
つづく
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