[あらすじ] 動物の骨に占いの結果を刻んだ甲骨文、青銅器に文字を入れた金文、
その後、漢字は篆書-隷書-草書-行書-楷書、という順に発展してきた。
書体の変遷が、思っていたのと逆で驚いた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/43112d66284d41cf52c0696fa68c085e
現代人はすっかり楷書に慣れている。
行書も憶えるルールがいっぱい、草書の道も長そう。
草書のワケわからん形も、楷書から考えるとわからんけれど
元が隷書と知って見るとわかるものもある、という。
だったら先に隷書を練習してみよう。
と思った次第だが、隷書をやってみたら、この魅力にとりつかれた。
隷書は、前漢時代に公式の文字となった。
まだ、紙など無い。
では何に書いていたかというと、竹や木の細長い板や、絹のきれやだ。
こういったものは文字が小さく、発掘は二十世紀になってからだ。
後漢の時代に、石碑が流行った。
あんまり流行ったので、205年には立碑の禁なんて法律まで出た始末だ。
禁じられてもやりたいもんはやりたいので、今度は墓碑が流行る。
まさか「墓を立てるな」という法も出せない。いい抜け道を見つけたものだ。
石も風化するにはするが、竹や木や布きれよりははるかに丈夫だ。
後の時代に、石碑の拓本を取る。
この拓本が、書のお手本となるわけだ。
清の時代には碑学派などという一派もあらわれるくらいだ。
碑学派は最近のこと(18C)のことだから、紙に書いたものも現存している。
しかし、なんでも根源に遡ってみたくなるのが私の性癖だ。
とは言え、まさか中国各地に現存する石碑を自分で見に行って現地で臨書、
なんて雄大なことはしない。
市内の図書館で借りてきた隷書の教科書に、石碑の拓本も載っている。
しかし、初心者ゆえ、拓本の写真が印刷されたものを見ても、
それを筆でどう再現すれば良いのか、まるでわからない。
初心者がそんなだということを先生は百も承知。
自分が臨書した字も隣ページに載せている。
私はまず、こっちを見て臨書する。
それから、拓本のほうを見て臨書する。
まずはこんなことを繰り返してみた。
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