骨に筋肉が繋がっている部分は、
しっかりくっ付くようにザラザラになっていたり、
大きな筋肉が付く場合は骨も大きく丈夫になっていたりする。
だから、骨を見れば、どんなふうに肉が付いていたかを再現することができる。
発掘された骨に、肉付けをしていく技術が近年進んでいる。
どこにどのような筋肉が発達しているから、
どんな動きが可能だったか分かる。
そういう動きをしたということが分かると、
どこでどのような生活をしていたか、という推測に繋がる。
そして、どんな声だったか、言語を持っていたか、
なんてことも推測されたりしている。
※
高校生の時に、同級生の家に電話した。
小学1年生からの付き合いだ。
3歳下の妹がいる。
学校の委員会の連絡網だった。
姉妹の二人とも、私と同じ委員だったので、
どちらかと話せれば良かった。
姉妹は声が似ていた。
少なくとも、電話では似ていた。
電話だと声が似る場合が有る。
もう少し正確に言うと、声の区別がしにくい場合が有る。
電話で伝わる周波数の範囲は、実はちょっと狭い。
しっかりと音色を伝えなければならないもの、
たとえば音楽CDに録音する周波数の範囲は、もっと広い。
電話は、そこまで音色にこだわらなくて良い。
言葉が伝われば良いから、狭めになっているのだ。
本題ではないのでこのくらいで。
電話ということのせいもあって、
私は、電話に出た相手が姉妹のどちらか区別が付かなかった。
相手はこう言った。
「どっちに用ですか?」
私は答えた。
「どっちでもいいんだけど、あなたはどっち?」
相手は答えた。
「私は母です。」
あああああ。
ししし失礼いたしました。
声が似ていたのでてっきりAちゃんかNちゃんかと思って。
※
先日、図書館で発声法の本を立ち読みしていた。
(まあ腰掛けて落ち着いて読めよ
いや、思いがけないことが書いてあったので、
思わず夢中になって読んでしまったのだ。
声が親に似るのは、
赤ん坊や子どもの頃、親の言葉をまねる時に、
声も無意識にまねているからだ。というのだ。
それは大いにありそうだ。
声の高さは文化的な要素が強いと思う。
日本は女性の声が高い文化だ。
高いのが女性らしい声、という通念がはびこっている。
そりゃあ声帯が男性より短いので高くは出るが、
それにしても、出せる低い声を良く出そう、という考え方はあまり無い。
性差を強く出すことを良しとしているのだろう。
※
家庭の中で、どんな声を聞いて、どんな声をまねして育つか、
ということは、人の声を形成する大きな要素になるのだろう。
お手本を外部に、つまり近所の人や親戚や学校の先生などに広げて行く、
その手前の最初の一歩は、親の声、ということになる。
※
そういうもんかいなあ。
そういえば、子どもの頃、録音した自分の声を初めて聞いた時はショックだった。
ふだん聞こえている自分の声とずいぶん違うと思った。
今思えば、兄の声にちょっと似ていた気がする。
※
子どもの頃、父の友人の家に預けられたことが有る。
そこの家の人は、子どもから親からじじばばまで、みんな声が大きかった。
無駄に溌剌としている。
うるさい。
そして私は、
「声が小さいな!もっと元気出して!」と言われた。
早く帰りたかった。
うむ。
やはり、声はご家庭の文化と言えるな。
しっかりくっ付くようにザラザラになっていたり、
大きな筋肉が付く場合は骨も大きく丈夫になっていたりする。
だから、骨を見れば、どんなふうに肉が付いていたかを再現することができる。
発掘された骨に、肉付けをしていく技術が近年進んでいる。
どこにどのような筋肉が発達しているから、
どんな動きが可能だったか分かる。
そういう動きをしたということが分かると、
どこでどのような生活をしていたか、という推測に繋がる。
そして、どんな声だったか、言語を持っていたか、
なんてことも推測されたりしている。
※
高校生の時に、同級生の家に電話した。
小学1年生からの付き合いだ。
3歳下の妹がいる。
学校の委員会の連絡網だった。
姉妹の二人とも、私と同じ委員だったので、
どちらかと話せれば良かった。
姉妹は声が似ていた。
少なくとも、電話では似ていた。
電話だと声が似る場合が有る。
もう少し正確に言うと、声の区別がしにくい場合が有る。
電話で伝わる周波数の範囲は、実はちょっと狭い。
しっかりと音色を伝えなければならないもの、
たとえば音楽CDに録音する周波数の範囲は、もっと広い。
電話は、そこまで音色にこだわらなくて良い。
言葉が伝われば良いから、狭めになっているのだ。
本題ではないのでこのくらいで。
電話ということのせいもあって、
私は、電話に出た相手が姉妹のどちらか区別が付かなかった。
相手はこう言った。
「どっちに用ですか?」
私は答えた。
「どっちでもいいんだけど、あなたはどっち?」
相手は答えた。
「私は母です。」
あああああ。
ししし失礼いたしました。
声が似ていたのでてっきりAちゃんかNちゃんかと思って。
※
先日、図書館で発声法の本を立ち読みしていた。
(まあ腰掛けて落ち着いて読めよ
いや、思いがけないことが書いてあったので、
思わず夢中になって読んでしまったのだ。
声が親に似るのは、
赤ん坊や子どもの頃、親の言葉をまねる時に、
声も無意識にまねているからだ。というのだ。
それは大いにありそうだ。
声の高さは文化的な要素が強いと思う。
日本は女性の声が高い文化だ。
高いのが女性らしい声、という通念がはびこっている。
そりゃあ声帯が男性より短いので高くは出るが、
それにしても、出せる低い声を良く出そう、という考え方はあまり無い。
性差を強く出すことを良しとしているのだろう。
※
家庭の中で、どんな声を聞いて、どんな声をまねして育つか、
ということは、人の声を形成する大きな要素になるのだろう。
お手本を外部に、つまり近所の人や親戚や学校の先生などに広げて行く、
その手前の最初の一歩は、親の声、ということになる。
※
そういうもんかいなあ。
そういえば、子どもの頃、録音した自分の声を初めて聞いた時はショックだった。
ふだん聞こえている自分の声とずいぶん違うと思った。
今思えば、兄の声にちょっと似ていた気がする。
※
子どもの頃、父の友人の家に預けられたことが有る。
そこの家の人は、子どもから親からじじばばまで、みんな声が大きかった。
無駄に溌剌としている。
うるさい。
そして私は、
「声が小さいな!もっと元気出して!」と言われた。
早く帰りたかった。
うむ。
やはり、声はご家庭の文化と言えるな。
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