犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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ブックカバーの郷愁

2023年01月10日 | よみものみもの
[あらまし] 大量の蔵書を処分する。
古書店に買取してもらえたら嬉しい。
お金になるということより、
本は読んでくれる人の手に渡ってこそ
本として存在できるのだと思うからだ。


「今、こういう本を古書店に買いに来る人っていうのが減ってしまっているんですよ。」
そうでしょうねえ。
私自身もそうだもの。

ネットショップなら、検索をかければ、どんな稀覯本だって
在庫の有無が即座に確認できる。
入荷したら通知が来るように設定しておくこともできる。
今までのように、あちこちの古書店に足繫く通う必要なんか無いのだ。

「老舗の北沢書店さんも、ドラマや映画のセットとして
洋書を1メートルいくらとかで売って叩かれたりしてます。」
ひー。お気の毒。
そうでもしないとやっていけない古書業界というわけだ。

我が家の蔵書も、買取がつかない、つまり
古書として値段が付かないとなると、
たとえドラマのセットとしてでもいいから使って欲しい、
という気持ちも芽生えてくる。



そんな話を聞いた後、
テレビ番組『マツコ会議』を見ていたら、
まさにそのような光景が有った。

会議室という設定のセットの壁面は書架になっており、
そこには洋書が並んでいる。

これじゃん。



ファミリーレストランの仕切りの棚にも、
よく洋書が飾ってある。
ただ、あれは本ではなく、
本のようなカバーをした箱であることが多い。

こういう用途の場合、
本物の本なんて、重くて不便なだけだ。



『ハックルベリー・フィンの冒険』などで知られるマーク・トウェインの本を
開いてみたら、肖像が描かれていた。
そして、北沢書店のシールが残っていた。


ムカシの古本屋は、価格シールをこの箇所に貼って、
売れると値段の部分を切り取ったものだった。



書店のブックカバーって、今でも有るのだろうか。

古書店に持ち込むにあたって、蔵書にかかっているカバーを外す作業をした。
亡父の本には、ときどきカバーがかけてある。
表紙を包み込むようにぴったりと折ってある。
手に持って読んでいても、ちょっとやそっとじゃズレたり外れたりしない。

大正14年の生まれで、アメリカ文学を専門としていた。
電車の中で英語の本を読んでいて、知らない男に絡まれた経験が有るようだ。
そんなこともあって、持ち歩いて読んだ本にはカバーが掛けてあるのかもしれない。



カバーを外してみると、それは書店のカバーだけでなく、
百貨店の包み紙の裏だったりもする。

三省堂、書泉グランデ、岩波書店、丸善、
伊勢丹、三越、京王百貨店。


この家に引っ越してきた時に運んだ本も多い。
50年を超える本も多いわけだ。
日に焼けて背表紙の文字の見えない本も有る。

カバーの紙はやけてペシャペシャになっている。
すぐにやぶける。
そのかわり、ブックカバーを掛けてあったものは、
おかげで中の状態は良い。



良い古書店を探し出して、うまいこと売ってほしいものだと思う。
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