犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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そのままにしておく

2017年03月10日 | 椰子の実の中
福祉施設の送迎車の横っぱらなんかに書いてある。

「みんなちがって、みんないい」

ひっかかる。

「みんないい」ってなんだ?
いくない人だってたくさん、どこにでもいるぞ。

「みんなちがって」
の部分は、まあ良しとしておこう。
これも、よーく考えてみると、問題が浮き彫りになってきそうだが。
今回は「いい」という部分について言いたい。

「みんなちがっていい」
というのなら、分かる。
ひとそれぞれが異なることは構わない、という意味になる。
自分とあの人は違っているけれど、そんなもんだ。
自分が思っているフツウとあの人は違うけれど、気にかける必要はない。

これが、「みんなちがって、みんないい」
となると、話は違ってくる。
「いい」というところで、価値を付けている。
いいかわるいか、判断しているのだ。

他者を自分の価値基準で判断すると、受け入れにくい。
自分じゃない人は、自分とは異なった価値観を持っているから、
その行動や考えや言葉は、その人の価値基準によるものになる。
それを外から見ると、なんだそりゃ、ということになる。
しかし当人にとっては、これでいい、のだ。

個人対個人でも、国対国でも、同じことが言える。
政治や宗教などが関係すれば、問題はより強く大きくなる。

自分がこういう生き方をしているからと言って、
他の人にも同じように生きることを求めると、無理が出る。
あの人のやり方は良くない、もっと私たちのようにこうすればいいのに。
というわけにはいかない。
あちらにだって、道筋はある。

こちらの考え方に照らして、あちらのことを「いい」かどうか見ることは、
無意味であり、そこから対立や差別意識が生まれてしまう。
価値観の違うものに接したら、自分の価値観で相手を見ないことだ。
そのままにしておけば良い。

「みんないい」と言ったところで、「いい」という価値判断が入っている。
違うものを「いい」とは思いにくいものだ。
「いい」と思う必要は無い。
「みんなちがう。だからなに?」くらいほっとけば良い。

「みんな」を「いい」とは思いにくいのに、そこまでセットにして
「みんなちがって、みんないい」と言うことで、
「みんなちがう」の部分もやりにくくしていると思う。

みんなちがっていい。
みんなちがう。
だからなんなんだ。
みんなちがうものだ。
いいわるいじゃない。

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