「す~さん、イカレたんですか?」
と聞かれてギョッとすることが、ままある。
どうやら私にどこやらへ行ったか、と聞いているのであることは
そこまでの会話から類推することはできる。
でもね。
私には「いかれたんですか?」は
「あんた遂にハッキョーしましたか」
という意味にしか聞こえない。
ああ、古い耳さ。
動詞の連用形に「れる」をくっつけるだけの
簡便な敬語表現が増えておる。
アタシに言わせりゃそんなの勘弁、不得手である。
助動詞「れる」には、尊敬を表す以外にもお役目が沢山ある。
受身、可能、自発。
可能とは、できる、ってことだ。
「これで一日乗り切れる」
自発は、なんじゃやらどうしてもそうしてしまう、という感じ。
「昔が偲ばれる」「す~さんはイカレたものと思われる」
受身というのは柔道の基本じゃなくって、
誰かが何かをすることの対象になった時の表現だ。
「やきそばパンを買いに行かされた」
受身で重要なのは、日本語の場合、単なる受身というよりは
そこに被害という意味合いが含まれることが多いということだ。
「そんなこと言われても」
だから。
「す~さんはやられたんですか?」
と言われると、私の耳では「犯られた」か「殺られた」に変換される。
「やる」というのがそもそも尊敬に合わない語であるという要素も
働いていると思われる。
動詞にはこのように助動詞を添えて敬語にする方法と、
尊敬の意味の含まれた別の表現で尊敬を表すものがある。
説明するとなんのこっちゃかややこしいが、
「行く、いらっしゃる」「食べる、召し上がる」の類だ。
このように便利な言葉を持っていない動詞に関しては、
ひと工夫して尊敬の意味を持たせる。
これまでは「○○なさる」とか「お○○になる」といった
表現が一般的だった。
尊敬の動詞をセットで持っている動詞なのに、
この方法を用いると、かえって妙に感じたものだ。
「食べなさる」と言うと突然田舎くさくなるし、
「お食べになる」と言うと並の扱いなのか持ち上げているのか
ちぐはぐな感じがする。
ただ、「召し上がる」といった敬語を用いるほど尊敬を表す相手でもない
(とこちらが腹ん中で思っている)場合、
簡便な敬語表現を使いたくなるわけだ。
「食べられますか?」
相変わらず私の耳には、自分が頭っからかじられる絵が浮かぶ。
時の流れによろよろ流され、敬語はだんだん簡便な表現へ
移って行っている。
昭和8年生まれの母は、学生の頃「お○○になる」という表現を
使っていたら、先生が嘆いたそうだ。
そんな言い方があるか、「お○○あそばす」が正しい敬語だ、
というわけだ。
私もそろそろイカレたりヤラレたりに慣れねばならないのだろう。
と聞かれてギョッとすることが、ままある。
どうやら私にどこやらへ行ったか、と聞いているのであることは
そこまでの会話から類推することはできる。
でもね。
私には「いかれたんですか?」は
「あんた遂にハッキョーしましたか」
という意味にしか聞こえない。
ああ、古い耳さ。
動詞の連用形に「れる」をくっつけるだけの
簡便な敬語表現が増えておる。
アタシに言わせりゃそんなの勘弁、不得手である。
助動詞「れる」には、尊敬を表す以外にもお役目が沢山ある。
受身、可能、自発。
可能とは、できる、ってことだ。
「これで一日乗り切れる」
自発は、なんじゃやらどうしてもそうしてしまう、という感じ。
「昔が偲ばれる」「す~さんはイカレたものと思われる」
受身というのは柔道の基本じゃなくって、
誰かが何かをすることの対象になった時の表現だ。
「やきそばパンを買いに行かされた」
受身で重要なのは、日本語の場合、単なる受身というよりは
そこに被害という意味合いが含まれることが多いということだ。
「そんなこと言われても」
だから。
「す~さんはやられたんですか?」
と言われると、私の耳では「犯られた」か「殺られた」に変換される。
「やる」というのがそもそも尊敬に合わない語であるという要素も
働いていると思われる。
動詞にはこのように助動詞を添えて敬語にする方法と、
尊敬の意味の含まれた別の表現で尊敬を表すものがある。
説明するとなんのこっちゃかややこしいが、
「行く、いらっしゃる」「食べる、召し上がる」の類だ。
このように便利な言葉を持っていない動詞に関しては、
ひと工夫して尊敬の意味を持たせる。
これまでは「○○なさる」とか「お○○になる」といった
表現が一般的だった。
尊敬の動詞をセットで持っている動詞なのに、
この方法を用いると、かえって妙に感じたものだ。
「食べなさる」と言うと突然田舎くさくなるし、
「お食べになる」と言うと並の扱いなのか持ち上げているのか
ちぐはぐな感じがする。
ただ、「召し上がる」といった敬語を用いるほど尊敬を表す相手でもない
(とこちらが腹ん中で思っている)場合、
簡便な敬語表現を使いたくなるわけだ。
「食べられますか?」
相変わらず私の耳には、自分が頭っからかじられる絵が浮かぶ。
時の流れによろよろ流され、敬語はだんだん簡便な表現へ
移って行っている。
昭和8年生まれの母は、学生の頃「お○○になる」という表現を
使っていたら、先生が嘆いたそうだ。
そんな言い方があるか、「お○○あそばす」が正しい敬語だ、
というわけだ。
私もそろそろイカレたりヤラレたりに慣れねばならないのだろう。
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