以前は、「正しい」ことは何か、考えていたような気がする。
本当に知りたいのは、「本当」のことは何か、だった。
「真理」という言葉が指すものに近かったと思う。
「正しい」ことの反対側には、間違っていることがある。
何かを軸にして、相対的な状態を言っている。
「正しい」と言っているということは、その何か、ある一定の価値観をもって
ものごとを見て、判断しているということだ。
真実とか真理とかいったものは、そういったこと全てを包括する。
あっち側もこっち側も軸も何も、その全体のことを言う。
なんなら、「あっち側もこっち側も軸も何も」が何種類もある、それ全体のことを言う。
遠く一点の星に見えるのが実は銀河系で、宇宙全体がめったやたらと広いのと同じようだ。
「正しい」物言いや考え方は、ほんのひとつの価値観にのっとった偏った見方に過ぎない。
価値観なんてのは、その人の立場によって無数にある。
その人によって「正しい」ことはそれぞれ違う。
ただ、多くの人が属する立場というものがあれば、その人たち共通の価値観というものが力を持つ。
多くの人が「正しい」と言うようになる。
いま述べてきたように、「正しい」ことはほんの一部分のことでしかないはずなのに、
多くの人に共通の価値観にのっとった「正しい」だと、
まるで全体にとって「正しい」ことのような気がしてくる。
気のせいだ。
たまたま多くの人に共通に見えるが、
国が違ったり、民族が違ったり、国や民族が同じであっても時代が違ったりすれば、
根拠にしている価値観は異なるものになり、そうすると「正しい」ことも変化する。
自分にとって「正しい」ことでも、立場の違う人にとってみれば悪いことだったりする。
相手からすれば、自分は間違っていることになる。
それでも自分の価値観にもとづいて相手を判断するのなら、
喧嘩にしかならない。
「正しい」ことには、そういう裏が付いている。
自分の価値判断を「正しい」という言葉で信じるとき、
他の人の立場を無視していることを忘れる。
「正しい」ことは、他の人の立場を尊重しない。
※
インターネットでしばしば見かける言葉に「正論」というのがある。
読むと、誰かの言い分に賛成するときに使っているようだ。
そんなら、「賛成」とか「私もそう思います」とか「同意します」とか
「もっともだと思う」とか「共感するわ」とか言うのが適当なところだと思う。
ところが、自分の考えがあって、それと同じあるいは似た考えを述べる人がいて、
他にもそれに賛成する人のコメントが並んでいたりすると、
「正論」と言いたくなってくる。
「私とあんたと同じ考え方ね」という程度のものが、「正しい」もののように見えてくるのだ。
「正しい」という保証が付くと、同意する人数は加速度的に増える。
間違ったことじゃない、「正しい」のだから、良い。ってことで、
安心して同意を表して乗っかってくる。
そうやって、多数派ができあがる。
多数派は「正しい」。
※
自分が「正しい」と思ったら、気を付けたほうが良さそうだ。
それは自分の立場からだけ価値判断をしていて、誰かの立場を踏みにじっていかねない。
本当に知りたいのは、「本当」のことは何か、だった。
「真理」という言葉が指すものに近かったと思う。
「正しい」ことの反対側には、間違っていることがある。
何かを軸にして、相対的な状態を言っている。
「正しい」と言っているということは、その何か、ある一定の価値観をもって
ものごとを見て、判断しているということだ。
真実とか真理とかいったものは、そういったこと全てを包括する。
あっち側もこっち側も軸も何も、その全体のことを言う。
なんなら、「あっち側もこっち側も軸も何も」が何種類もある、それ全体のことを言う。
遠く一点の星に見えるのが実は銀河系で、宇宙全体がめったやたらと広いのと同じようだ。
「正しい」物言いや考え方は、ほんのひとつの価値観にのっとった偏った見方に過ぎない。
価値観なんてのは、その人の立場によって無数にある。
その人によって「正しい」ことはそれぞれ違う。
ただ、多くの人が属する立場というものがあれば、その人たち共通の価値観というものが力を持つ。
多くの人が「正しい」と言うようになる。
いま述べてきたように、「正しい」ことはほんの一部分のことでしかないはずなのに、
多くの人に共通の価値観にのっとった「正しい」だと、
まるで全体にとって「正しい」ことのような気がしてくる。
気のせいだ。
たまたま多くの人に共通に見えるが、
国が違ったり、民族が違ったり、国や民族が同じであっても時代が違ったりすれば、
根拠にしている価値観は異なるものになり、そうすると「正しい」ことも変化する。
自分にとって「正しい」ことでも、立場の違う人にとってみれば悪いことだったりする。
相手からすれば、自分は間違っていることになる。
それでも自分の価値観にもとづいて相手を判断するのなら、
喧嘩にしかならない。
「正しい」ことには、そういう裏が付いている。
自分の価値判断を「正しい」という言葉で信じるとき、
他の人の立場を無視していることを忘れる。
「正しい」ことは、他の人の立場を尊重しない。
※
インターネットでしばしば見かける言葉に「正論」というのがある。
読むと、誰かの言い分に賛成するときに使っているようだ。
そんなら、「賛成」とか「私もそう思います」とか「同意します」とか
「もっともだと思う」とか「共感するわ」とか言うのが適当なところだと思う。
ところが、自分の考えがあって、それと同じあるいは似た考えを述べる人がいて、
他にもそれに賛成する人のコメントが並んでいたりすると、
「正論」と言いたくなってくる。
「私とあんたと同じ考え方ね」という程度のものが、「正しい」もののように見えてくるのだ。
「正しい」という保証が付くと、同意する人数は加速度的に増える。
間違ったことじゃない、「正しい」のだから、良い。ってことで、
安心して同意を表して乗っかってくる。
そうやって、多数派ができあがる。
多数派は「正しい」。
※
自分が「正しい」と思ったら、気を付けたほうが良さそうだ。
それは自分の立場からだけ価値判断をしていて、誰かの立場を踏みにじっていかねない。
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