犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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正しい

2017年06月23日 | 椰子の実の中
以前は、「正しい」ことは何か、考えていたような気がする。
本当に知りたいのは、「本当」のことは何か、だった。
「真理」という言葉が指すものに近かったと思う。

「正しい」ことの反対側には、間違っていることがある。
何かを軸にして、相対的な状態を言っている。
「正しい」と言っているということは、その何か、ある一定の価値観をもって
ものごとを見て、判断しているということだ。

真実とか真理とかいったものは、そういったこと全てを包括する。
あっち側もこっち側も軸も何も、その全体のことを言う。
なんなら、「あっち側もこっち側も軸も何も」が何種類もある、それ全体のことを言う。
遠く一点の星に見えるのが実は銀河系で、宇宙全体がめったやたらと広いのと同じようだ。

「正しい」物言いや考え方は、ほんのひとつの価値観にのっとった偏った見方に過ぎない。
価値観なんてのは、その人の立場によって無数にある。
その人によって「正しい」ことはそれぞれ違う。

ただ、多くの人が属する立場というものがあれば、その人たち共通の価値観というものが力を持つ。
多くの人が「正しい」と言うようになる。
いま述べてきたように、「正しい」ことはほんの一部分のことでしかないはずなのに、
多くの人に共通の価値観にのっとった「正しい」だと、
まるで全体にとって「正しい」ことのような気がしてくる。

気のせいだ。
たまたま多くの人に共通に見えるが、
国が違ったり、民族が違ったり、国や民族が同じであっても時代が違ったりすれば、
根拠にしている価値観は異なるものになり、そうすると「正しい」ことも変化する。

自分にとって「正しい」ことでも、立場の違う人にとってみれば悪いことだったりする。
相手からすれば、自分は間違っていることになる。
それでも自分の価値観にもとづいて相手を判断するのなら、
喧嘩にしかならない。

「正しい」ことには、そういう裏が付いている。
自分の価値判断を「正しい」という言葉で信じるとき、
他の人の立場を無視していることを忘れる。

「正しい」ことは、他の人の立場を尊重しない。



インターネットでしばしば見かける言葉に「正論」というのがある。
読むと、誰かの言い分に賛成するときに使っているようだ。
そんなら、「賛成」とか「私もそう思います」とか「同意します」とか
「もっともだと思う」とか「共感するわ」とか言うのが適当なところだと思う。

ところが、自分の考えがあって、それと同じあるいは似た考えを述べる人がいて、
他にもそれに賛成する人のコメントが並んでいたりすると、
「正論」と言いたくなってくる。
「私とあんたと同じ考え方ね」という程度のものが、「正しい」もののように見えてくるのだ。

「正しい」という保証が付くと、同意する人数は加速度的に増える。
間違ったことじゃない、「正しい」のだから、良い。ってことで、
安心して同意を表して乗っかってくる。

そうやって、多数派ができあがる。
多数派は「正しい」。



自分が「正しい」と思ったら、気を付けたほうが良さそうだ。
それは自分の立場からだけ価値判断をしていて、誰かの立場を踏みにじっていかねない。

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