子どもの頃は物語を、十代は文学作品を、ずいぶん読んだ。
二十代はバンド活動に精を出して本を読む量が減り、
三十代は鬱的気分で本を読む集中力を失っていた。
四十を過ぎて、実家に戻って、自分を取り戻したような
気持ちになっているうちの一つに、読書量があると思う。
実家は本だらけだ。
壁という壁は本棚に覆われている。
地震が起きれば、安全でいられる部屋など無い。
人間が作った文物よりも、
天然の物事のほうが当たり前だが遥かに深遠である。
そういう思いがあって、文学作品からは離れて、
自然科学を扱う本を読む方が増えていた。
とはいえ、たまにはなにか痛快なお話でも読みたい、
奇想天外な小説を読みたい、と思って、
図書館で、松浦理英子さんの『犬身kensin』を手に取った。
どんな物語なのか、まったく知らずに借りた。
松浦さんの作品は、今までに『親指Pの冒険』と『セバスチャン』
くらいしか読んだことがないはずだ。
が、松浦作品を選んだのは大正解だった。
フェチズムに近いようなちょっと執拗な感覚についての描写や、
犬という題材や、登場するロックやファンクの楽曲などが
私の好みだということは措いても、
話の筋そのものが、期待どおりに奇想天外であった。
よろこびの時間を与えてくれる、読み終えたくない本だ。
二十代はバンド活動に精を出して本を読む量が減り、
三十代は鬱的気分で本を読む集中力を失っていた。
四十を過ぎて、実家に戻って、自分を取り戻したような
気持ちになっているうちの一つに、読書量があると思う。
実家は本だらけだ。
壁という壁は本棚に覆われている。
地震が起きれば、安全でいられる部屋など無い。
人間が作った文物よりも、
天然の物事のほうが当たり前だが遥かに深遠である。
そういう思いがあって、文学作品からは離れて、
自然科学を扱う本を読む方が増えていた。
とはいえ、たまにはなにか痛快なお話でも読みたい、
奇想天外な小説を読みたい、と思って、
図書館で、松浦理英子さんの『犬身kensin』を手に取った。
どんな物語なのか、まったく知らずに借りた。
松浦さんの作品は、今までに『親指Pの冒険』と『セバスチャン』
くらいしか読んだことがないはずだ。
が、松浦作品を選んだのは大正解だった。
フェチズムに近いようなちょっと執拗な感覚についての描写や、
犬という題材や、登場するロックやファンクの楽曲などが
私の好みだということは措いても、
話の筋そのものが、期待どおりに奇想天外であった。
よろこびの時間を与えてくれる、読み終えたくない本だ。
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