犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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渡し

2017年09月02日 | 日々
昨日は毎月一日の法螺でした。
「地獄に渡し舟」といういい間違えは、していません。

臨死体験は無い。
大きな怪我病気をせずに来た。
臨死体験を身近な人から聞いたということも無い。
ただ、幼い頃に、産まれてくる前のことを憶えていた、という友人はいる。

産まれてくる前にいた所と、死んでから行く所は、同じなのだろうか。
産まれてくる前にいた所の記憶は、成長するにしたがって薄れてやがて忘れてしまうようだ。
大概の人は、産まれるというかなり大きな体験で、それまでのことなんか一気に忘れてしまうのだろうか。

地獄はたぶん無いんじゃないか。
裁きのようなものも無いんじゃないか。
それは人の作った規範だろう。

三途の川のような地形はあるだろうか。
それは有りそうな気もするが、境目という役割ではなさそうな、
ただの地形なんじゃないか。
あの世はたぶん、天でも地下でもないんじゃないか。

まあ、行ってみないとわからない。

東京の調布市に住んでいる。
南に多摩川が流れており、向こう岸は神奈川県川崎市である。
数kmおきに橋が架かっている。
その昔は渡し場が有った。
渡しの有った場所のすぐ近くに現在の橋も架かっている。
陸路がそこに来ているからだ。
渡しが有った名残として、ボート屋が有ったりする。

調布あたりだと、水量の多くない時季ならば、
足で渡れないこともない。
というポイントもある。
歩いて渡ったことがある。
膝上くらいまで濡れる程度で渡れた。

おすすめしない。
どこが浅いか、見て分かるなら良いが、
川をあんまり知らないなら、入らないほうが良い。
急に深く、流れの速い場所もある。

川は容易に渡れるものでもない。
ということは、三途の川もそう簡単には渡れないはずだ。

あれ?
三途の川を渡ろうとして、足をすくわれて溺れたら、
どうなるんだろう?

やっぱり「地獄に渡し舟」は必要そうだな。

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