老母を眼科へ連れて行く。
少しの上下斜視と、輻輳ナントカで、早い話が物が一つにまとまって見えないので、
外眼筋の手術を受けることにした。
80歳、まだまだ本が読みたい。
本の世界で生きてきちゃったから、今さら現世で生きられない。
とまあ、母の生き方の話はおいといて…
※
眼科の待合室の壁に、でっかいテレビが有る。
テレビも点いているが、すぐ横のスピーカーからクラシックも薄く流れている。
こういうのやめて欲しい…どっちかでいいじゃないか?
とまあ、待合室の音の話はおいといて…
※
チャンネルは適当に、国会中継。
参議院予算会議?エネルギー問題の集中討議?
ちっこい頃、「おかあさんといっしょ」を楽しみにしてるのに、
国会中継だとガッカリ不満だったものだ。
今はちょっと興味をひかれ、クラシックの音をかき分けて
テレビの音に耳をそば立てる。
しかし、いつ見てもステキな討論じゃないねー。
大臣じゃないけど、野党議員の質問に「で、何が言いたいんですか?」と
言いたくなるものも中には有る。
その中で、大胆な提案を持って来る議員もいる。
しかし、大胆過ぎて笑いの種になってしまっている。
それでも、やはり批判ばかりでなくて提案もしていくのが
まっとうで健全な議論だと思う。
批判を受けている政権側は、批判されたことに対して「じゃあ」ってんで
新しい提案を持って来るなんてことは非常に期待しにくいからね。
※
翌日も老母の通院。
待合室は電子オルゴールアレンジのJポップと勿論テレビ。
この電子オルゴールはリラックスする音楽と思われているようだが、
私に言わせりゃ音楽でもなんでもありゃしない。
とまあ、電子オルゴールの話はおいといて…
※
ニュースでは大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」という発言に
関して報じている。
首相も、「侵略」という語は定義されていない、ということを言う。
しかし、定義されているかどうかと、戦争の中でのできごとが有ったこととは
別問題。
早いとこ定義をしろ、とも思うけれど、
具体的に問題がある時期に定義を急ぐと、その時の事情によるバイアスがかかりかねない。
そんな時は、外国でどう定義されているか、ということを引っ張って来るのも
ひとつの方法だとも思う。
外国の話になったついでだが、ニュースの中で、どこかの外国が
「日本の政治的指導者」という表現を使っていた。
leaderの訳なのだろうが、少なくともあたしゃ政治家を指導者と思ったことは無いね。
それにつけても、
議論の上で言葉を転がしているばかりで、できごとそのものを直接見ていない。
そして、できごとに関わった人のこころを見ていない。
前日の予算委でも、大間原発建設に当たっての対岸北海道の
市民の「気持ちをどう思っているのか」という質問が有ったが、
大臣はそこには返答しない。
返答しないことで、どのように手続きを完遂したとしても
「気持ち」は見ていない印象を受ける。
一人ひとり、こころを持って億の民が暮らす。
あんまり気持ちを無視してると、怒りが爆発しちゃうぞ。
三輪明宏さん「従軍慰安婦の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=HB5jsFQHkPc
少しの上下斜視と、輻輳ナントカで、早い話が物が一つにまとまって見えないので、
外眼筋の手術を受けることにした。
80歳、まだまだ本が読みたい。
本の世界で生きてきちゃったから、今さら現世で生きられない。
とまあ、母の生き方の話はおいといて…
※
眼科の待合室の壁に、でっかいテレビが有る。
テレビも点いているが、すぐ横のスピーカーからクラシックも薄く流れている。
こういうのやめて欲しい…どっちかでいいじゃないか?
とまあ、待合室の音の話はおいといて…
※
チャンネルは適当に、国会中継。
参議院予算会議?エネルギー問題の集中討議?
ちっこい頃、「おかあさんといっしょ」を楽しみにしてるのに、
国会中継だとガッカリ不満だったものだ。
今はちょっと興味をひかれ、クラシックの音をかき分けて
テレビの音に耳をそば立てる。
しかし、いつ見てもステキな討論じゃないねー。
大臣じゃないけど、野党議員の質問に「で、何が言いたいんですか?」と
言いたくなるものも中には有る。
その中で、大胆な提案を持って来る議員もいる。
しかし、大胆過ぎて笑いの種になってしまっている。
それでも、やはり批判ばかりでなくて提案もしていくのが
まっとうで健全な議論だと思う。
批判を受けている政権側は、批判されたことに対して「じゃあ」ってんで
新しい提案を持って来るなんてことは非常に期待しにくいからね。
※
翌日も老母の通院。
待合室は電子オルゴールアレンジのJポップと勿論テレビ。
この電子オルゴールはリラックスする音楽と思われているようだが、
私に言わせりゃ音楽でもなんでもありゃしない。
とまあ、電子オルゴールの話はおいといて…
※
ニュースでは大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」という発言に
関して報じている。
首相も、「侵略」という語は定義されていない、ということを言う。
しかし、定義されているかどうかと、戦争の中でのできごとが有ったこととは
別問題。
早いとこ定義をしろ、とも思うけれど、
具体的に問題がある時期に定義を急ぐと、その時の事情によるバイアスがかかりかねない。
そんな時は、外国でどう定義されているか、ということを引っ張って来るのも
ひとつの方法だとも思う。
外国の話になったついでだが、ニュースの中で、どこかの外国が
「日本の政治的指導者」という表現を使っていた。
leaderの訳なのだろうが、少なくともあたしゃ政治家を指導者と思ったことは無いね。
それにつけても、
議論の上で言葉を転がしているばかりで、できごとそのものを直接見ていない。
そして、できごとに関わった人のこころを見ていない。
前日の予算委でも、大間原発建設に当たっての対岸北海道の
市民の「気持ちをどう思っているのか」という質問が有ったが、
大臣はそこには返答しない。
返答しないことで、どのように手続きを完遂したとしても
「気持ち」は見ていない印象を受ける。
一人ひとり、こころを持って億の民が暮らす。
あんまり気持ちを無視してると、怒りが爆発しちゃうぞ。
三輪明宏さん「従軍慰安婦の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=HB5jsFQHkPc
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