犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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待合室より

2013年05月15日 | 椰子の実の中
老母を眼科へ連れて行く。
少しの上下斜視と、輻輳ナントカで、早い話が物が一つにまとまって見えないので、
外眼筋の手術を受けることにした。
80歳、まだまだ本が読みたい。
本の世界で生きてきちゃったから、今さら現世で生きられない。
とまあ、母の生き方の話はおいといて…



眼科の待合室の壁に、でっかいテレビが有る。
テレビも点いているが、すぐ横のスピーカーからクラシックも薄く流れている。
こういうのやめて欲しい…どっちかでいいじゃないか?
とまあ、待合室の音の話はおいといて…



チャンネルは適当に、国会中継。
参議院予算会議?エネルギー問題の集中討議?

ちっこい頃、「おかあさんといっしょ」を楽しみにしてるのに、
国会中継だとガッカリ不満だったものだ。

今はちょっと興味をひかれ、クラシックの音をかき分けて
テレビの音に耳をそば立てる。

しかし、いつ見てもステキな討論じゃないねー。
大臣じゃないけど、野党議員の質問に「で、何が言いたいんですか?」と
言いたくなるものも中には有る。

その中で、大胆な提案を持って来る議員もいる。
しかし、大胆過ぎて笑いの種になってしまっている。
それでも、やはり批判ばかりでなくて提案もしていくのが
まっとうで健全な議論だと思う。
批判を受けている政権側は、批判されたことに対して「じゃあ」ってんで
新しい提案を持って来るなんてことは非常に期待しにくいからね。



翌日も老母の通院。
待合室は電子オルゴールアレンジのJポップと勿論テレビ。
この電子オルゴールはリラックスする音楽と思われているようだが、
私に言わせりゃ音楽でもなんでもありゃしない。
とまあ、電子オルゴールの話はおいといて…



ニュースでは大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」という発言に
関して報じている。

首相も、「侵略」という語は定義されていない、ということを言う。
しかし、定義されているかどうかと、戦争の中でのできごとが有ったこととは
別問題。
早いとこ定義をしろ、とも思うけれど、
具体的に問題がある時期に定義を急ぐと、その時の事情によるバイアスがかかりかねない。
そんな時は、外国でどう定義されているか、ということを引っ張って来るのも
ひとつの方法だとも思う。

外国の話になったついでだが、ニュースの中で、どこかの外国が
「日本の政治的指導者」という表現を使っていた。
leaderの訳なのだろうが、少なくともあたしゃ政治家を指導者と思ったことは無いね。

それにつけても、
議論の上で言葉を転がしているばかりで、できごとそのものを直接見ていない。
そして、できごとに関わった人のこころを見ていない。

前日の予算委でも、大間原発建設に当たっての対岸北海道の
市民の「気持ちをどう思っているのか」という質問が有ったが、
大臣はそこには返答しない。
返答しないことで、どのように手続きを完遂したとしても
「気持ち」は見ていない印象を受ける。

一人ひとり、こころを持って億の民が暮らす。
あんまり気持ちを無視してると、怒りが爆発しちゃうぞ。



三輪明宏さん「従軍慰安婦の歌」
http://www.youtube.com/watch?v=HB5jsFQHkPc
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