読書メモ:抜き書き
対談
回り道と観察を大事にしているが、後押ししてもらえた感じ。
※※※※※※※
山中 はたから見たら、僕の人生は、遠回りで非効率に見えるかもしれませんし、
無駄なことばかりやっているように思えるかもしれません。もっと合理的な
生き方が出来たんじゃないの?と思われるかもしれませんが、そうやって
回り道したからこそ今の自分があるんじゃないかと思います。
益川 そう、一見無駄なことが大事なんですね。
山中 私はまだ50歳にもなっていませんし、益川先生を前にして偉そうなことは
何も言えないのですが、人生には二種類あると思うんです。
一つは「直線型の人生」。ある目標に向かってまっすぐ突き進む人生です。
もう一つは、クルクル回転する「回旋型の人生」。いったんやりはじめたことでも
「ダメだ」と思ったら違うことをやり、もっと面白そうなことがあれば
そちらに方向転換するフレキシブルな人生です。
益川 日本人に「どっちの人生がいいですか?」と訊いたら、たぶん
十人中九人が「直線型のほうがいい」と答えるでしょうね。
山中 そうですね。日本人は直線型思考の民族で、よほどのことがない限り、
いったん入った会社は辞めないし、奥さんを途中で替えたりもしない。
それと違うことをすると、「人生の落伍者」のように思われ、自分でも
そう思ってしまいます。
ところが、アメリカで暮らしてみると、回旋型の人生を送っているひとが
たくさんいます。
たとえば、ベンチャー企業を興して失敗した場合、日本人だと、
「もうダメだ」と、お先真っ暗みたいな気持になって立ち直れない人が
多いですが、アメリカでは、「ベンチャーを興して潰した」という
経歴事態が、「すごい経験だ」と評価されます。そんなふうに言われたら、
元気になりますよね。本人も「得難い経験をした」と受け止め、
「よし、次は頑張ろう」と、また新しいベンチャーに挑戦する人が多いのです。
益川 離婚だって同じです。日本でも離婚率は上昇しているとはいえ、
「バツイチ」などと言って、失敗者のイメージがまだまだ強い。
山中 そこへいくとアメリカは、神様の前で「一生をともにします」と
誓っておきながら、50%の夫婦が離婚するという、すごい国ですから(笑)。
益川 直線型の日本の場合は、たった一度のつまずきによって、
人生が大きく変わってしまうんじゃないかな。そこで挫折感を感じて
よそに行ったら、それだけで自分が人生の落伍者のように感じてしまう。
山中 アメリカ社会は、途中で転職することを何とも思っていないんです。
どこが違うのでしょうか。
益川 それは、自分の適性を把握して転職しているからじゃないですか。
日本人の場合は、いまだにブランドに惹かれています。高校で
成績優秀な子は、とりあえず医学部へ行けば箔がつくとか、
大学でよくできる人は、なんとなく大学院に進むものだと思っている。
適性がどうであろうと関係ない。みんな、「とりあえず」「なんとなく」
なのね。
山中 私はアメリカから帰国した後、日米の研究環境のギャップに
苦しんだ時期があるんです。回旋型のアメリカ社会から直線型の日本社会に
突然戻ったことで、ちょっと息苦しさを感じていたのかもしれません。
ちょうどその頃、偶然にも、ノーベル賞を受賞された利根川進先生の
講演を聴く機会がありまして。
益川 利根川先生といえば、もともとは免疫分野の研究をされていたのが、
脳科学に移られたことで有名ですね。
山中 はい。私、そのことを知って、講演会場で勇気を振り絞って
手を上げ、利根川先生に質問をさせていただいたんです。
「日本では研究の継続性が非常に重視されますが、それについて
先生は、どのようにお考えですか」と。すると利根川先生は、
「いったい誰がそんなことを言ってるんだ。重要で面白い研究であれば
何でもいいじゃないか」という趣旨のお話をしてくださいました。
私は、その答えにとても勇気づけられました。
益川 もちろん、一つのことにずっと取り組むことも美徳だと思います。
でも、無駄を省いて全てを合理性で突き詰めた生き方をしていると、
いつか壁にぶつかるんじゃないかな。僕の研究室を見てもらえば
わかるけど、物理の本なんてほんの少ししかないの。いちばん多いのは
数学の本(笑)。精神医学、天文学、いろいろな本が壁一杯ところ狭しと
並んでます。学生時代は六法全書を持ち歩いていたときもあったし(笑)。
でも、「これを物理の研究に役立ててやろう」なんて思ったことは
一度もない。そんなさもしいことは考えません。いつも僕は
目の前にある面白いことで遊んでいるだけなんです。
山中 今は効率が最優先される社会ですが、一見遊びに見えたり、
無駄に見えたりすることの中に、実は豊かなものや未知なるものが
たくさん隠されているのかもしれないですね。無駄なものを
削ぎ落そうとして、そうした未来の種まで捨て去ってしまわないように
したいものです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
話言葉だと、ひとつのことを言うだけでも、分量が多くなる。
今日はこの部分だけ。
つづく。
対談
回り道と観察を大事にしているが、後押ししてもらえた感じ。
※※※※※※※
山中 はたから見たら、僕の人生は、遠回りで非効率に見えるかもしれませんし、
無駄なことばかりやっているように思えるかもしれません。もっと合理的な
生き方が出来たんじゃないの?と思われるかもしれませんが、そうやって
回り道したからこそ今の自分があるんじゃないかと思います。
益川 そう、一見無駄なことが大事なんですね。
山中 私はまだ50歳にもなっていませんし、益川先生を前にして偉そうなことは
何も言えないのですが、人生には二種類あると思うんです。
一つは「直線型の人生」。ある目標に向かってまっすぐ突き進む人生です。
もう一つは、クルクル回転する「回旋型の人生」。いったんやりはじめたことでも
「ダメだ」と思ったら違うことをやり、もっと面白そうなことがあれば
そちらに方向転換するフレキシブルな人生です。
益川 日本人に「どっちの人生がいいですか?」と訊いたら、たぶん
十人中九人が「直線型のほうがいい」と答えるでしょうね。
山中 そうですね。日本人は直線型思考の民族で、よほどのことがない限り、
いったん入った会社は辞めないし、奥さんを途中で替えたりもしない。
それと違うことをすると、「人生の落伍者」のように思われ、自分でも
そう思ってしまいます。
ところが、アメリカで暮らしてみると、回旋型の人生を送っているひとが
たくさんいます。
たとえば、ベンチャー企業を興して失敗した場合、日本人だと、
「もうダメだ」と、お先真っ暗みたいな気持になって立ち直れない人が
多いですが、アメリカでは、「ベンチャーを興して潰した」という
経歴事態が、「すごい経験だ」と評価されます。そんなふうに言われたら、
元気になりますよね。本人も「得難い経験をした」と受け止め、
「よし、次は頑張ろう」と、また新しいベンチャーに挑戦する人が多いのです。
益川 離婚だって同じです。日本でも離婚率は上昇しているとはいえ、
「バツイチ」などと言って、失敗者のイメージがまだまだ強い。
山中 そこへいくとアメリカは、神様の前で「一生をともにします」と
誓っておきながら、50%の夫婦が離婚するという、すごい国ですから(笑)。
益川 直線型の日本の場合は、たった一度のつまずきによって、
人生が大きく変わってしまうんじゃないかな。そこで挫折感を感じて
よそに行ったら、それだけで自分が人生の落伍者のように感じてしまう。
山中 アメリカ社会は、途中で転職することを何とも思っていないんです。
どこが違うのでしょうか。
益川 それは、自分の適性を把握して転職しているからじゃないですか。
日本人の場合は、いまだにブランドに惹かれています。高校で
成績優秀な子は、とりあえず医学部へ行けば箔がつくとか、
大学でよくできる人は、なんとなく大学院に進むものだと思っている。
適性がどうであろうと関係ない。みんな、「とりあえず」「なんとなく」
なのね。
山中 私はアメリカから帰国した後、日米の研究環境のギャップに
苦しんだ時期があるんです。回旋型のアメリカ社会から直線型の日本社会に
突然戻ったことで、ちょっと息苦しさを感じていたのかもしれません。
ちょうどその頃、偶然にも、ノーベル賞を受賞された利根川進先生の
講演を聴く機会がありまして。
益川 利根川先生といえば、もともとは免疫分野の研究をされていたのが、
脳科学に移られたことで有名ですね。
山中 はい。私、そのことを知って、講演会場で勇気を振り絞って
手を上げ、利根川先生に質問をさせていただいたんです。
「日本では研究の継続性が非常に重視されますが、それについて
先生は、どのようにお考えですか」と。すると利根川先生は、
「いったい誰がそんなことを言ってるんだ。重要で面白い研究であれば
何でもいいじゃないか」という趣旨のお話をしてくださいました。
私は、その答えにとても勇気づけられました。
益川 もちろん、一つのことにずっと取り組むことも美徳だと思います。
でも、無駄を省いて全てを合理性で突き詰めた生き方をしていると、
いつか壁にぶつかるんじゃないかな。僕の研究室を見てもらえば
わかるけど、物理の本なんてほんの少ししかないの。いちばん多いのは
数学の本(笑)。精神医学、天文学、いろいろな本が壁一杯ところ狭しと
並んでます。学生時代は六法全書を持ち歩いていたときもあったし(笑)。
でも、「これを物理の研究に役立ててやろう」なんて思ったことは
一度もない。そんなさもしいことは考えません。いつも僕は
目の前にある面白いことで遊んでいるだけなんです。
山中 今は効率が最優先される社会ですが、一見遊びに見えたり、
無駄に見えたりすることの中に、実は豊かなものや未知なるものが
たくさん隠されているのかもしれないですね。無駄なものを
削ぎ落そうとして、そうした未来の種まで捨て去ってしまわないように
したいものです。
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話言葉だと、ひとつのことを言うだけでも、分量が多くなる。
今日はこの部分だけ。
つづく。
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