犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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深谷かほる『夜廻り猫 今宵もどこかで涙の匂い』

2016年07月09日 | よみものみもの
「夢落ち」と「動物が立って歩いてしゃべる」というのは、
マトモな作品ではやってはいけないことだと考えている。
安易にこのような手段に頼ったものは大概は紙屑なのだが、
もちろん例外はある。

家を持たぬ猫、遠藤平蔵は夜な夜な町を廻り、涙の匂いがすると立ち寄る。
時には励まし、逆に諭されることもあり、ご馳走にありつくこともある。
涙の理由の苦しい体験を聞くたびに、平蔵は背中に傷を負う。


野良の世界で、背に傷があるというのは弱い証拠だ。
強い猫は「天下御免の向こうっ傷」とばかりに、顔面に傷を負う。
敵に背を向けないからだ。
弱い猫は追われる。

デビュー直後の『エデンの東北』で1900年頃に深谷を知った。
福島のいなかの、小学3年生くらいだろうかのおねえちゃんと小さい弟、
酒好きのお父さんととにかくおしゃれで美貌のお母さんを取り巻く物語だ。
人間愛にじむ作品だ。

その後、若い夫婦が中心の作品が続く。
葛藤も見え隠れするものの、「結婚ハッピー」な価値観が押し出されているので、
結婚というものにひがみのような感情のある私は、どこか楽しみきれなかった。

『ハガネの女』の前の、『カンナさーん』の連載は楽しみにしていたが、
後半は何か落ち目の匂いがした。どうした。
同じネタが使われていることがあり、作家としてストーリーを作ることが
苦しそうに感じられたし、それを支える編集者の仕事ぶりにも疑問を感じた。

ここ数年、新作が出ないと思っていた。
『夜廻り猫』は、ツイッターで発表していたのだそうだ。

苦労猫遠藤平蔵を描く、作家深谷かほる自身の生き様が
作品の向こうに透けて見える。
作家の人生なんて作品から透かし見ちゃいけないのだが、
見える。
見えるのは、私もそこそこに生きてきたからなのだろう。

こわもての猫が半纏を羽織って頭には猫缶の冠を戴き、
後足で立って腕を組んで歩き、話しかける。
描かれるのは人の生。
ファンタジックなのか現実的なのか。

作品の中でちらりと、離婚したことが知れる。
調べてみると、『カンナさーん』連載後半の頃だ。
苦しかったのだろう。
そういった体験あっての、この作品と思える。

野良のはずなのに、遠藤平蔵と苗字を名乗っている。
かつては家を持っていたのだろうか。
誰かに飼われていたのだろうか。

この世の中で生きていくことはつらくきびしい。
けれど、そこには間違いなく価値がある。

猫と人と老若男女を描ききって、
読む私の胸の中にそんな健やかな思いが生れる。

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