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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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「ミステリと言う勿れ」

2022年03月13日 | よみものみもの
ドラマ化の予告を見て、原作漫画をちょびっと読んだ。
一銭も落としてない。ケチな視聴者読者です。

主人公は天然パーマが爆発しまくっている
そしてふんわりした雰囲気に包まれた
男子大学生。
「バンカラ」なんて言葉がまだ生き残っていた時代の国立大学にちょっとだけ通った私には
久能整(くのう・ととのう)くんは非現実の極み。
不思議ちゃんという言葉も思い出す。
同級生の中でも浮きまくっているという設定のようだ。

周囲から浮いている者にしばしば授かる力を整くんも持っている。
観察力だ。
冷静な観察力を基盤に、その上に推論を積んでゆく。
だから、「ひとのことを言い当てている」ようなことが起こる。

図星なんか突かれたくない。
という人の気持ちを知ってか知らずか、
整くんは自分の推論を開陳していく。
それによって事件が解明していく。
この流れがこの物語の旨みだ。



謎解きのような物語は好きなのだが、
どうも、殺人は好きにはなれない。
人を殺してしまう人の心の動きなども、
どうも怖すぎる。
不安や気色悪さを感じる。

映像化されているほど、触れづらい。

だから、刺激としては、
テレビドラマよりも、原作漫画のほうがマシだし、
漫画よりは小説のほうがマシだ。

けれど、たまに絵で描くよりも言葉で描き出すことのほうが
刺激が強い場合も有る。
セリフよりも、地の文で心理描写しているほうが
キツイことも有る。

作品としてスゴイなあ、とは思うのだが、
読後感が不快過ぎて、楽しみと捉えにくい。

ある程度、しっくりこない表現くらいのほうが
私も楽しむことができるということか。



原作漫画の久能整くんのふんわりほんわかしたイメージを持って
テレビドラマを視ると、
それはたとえ菅田将暉さんという上等な俳優さんが演じていても、
「ちがうんだよなー」という杜撰な感想を持ちながら見ることができる。
現実の男じゃないんだよ久能整くんのふんわかは。
という気持ちが邪魔するくらいが、リアリティが損なわれて私にはちょうどいい。



庭木を伐って、短く切ったり細く割ったりして、
薪ストーブを実用している。

成長の速い木は、スカスカの軽い枝が伸びている。
キョウチクトウはその代表格だと思う。

あんまり成長が早く、日陰が増えて困るので、
去年、ばっさり伐って、根っこも掘り出して、やめてしまった。
毎年々々、枝を伐る作業がたいへんだったのだ。

しかも、樹液に毒が含まれていると言う。
作業中に手に着いたら厄介だ。
そういう用心をしながら毎年の作業をするくらいなら
伐っちまえ。というわけだ。

細い枝を短く切り揃えて、
焚き付けにした。

しかし後々調べてみたら、
燃やしても煙に毒が含まれるのだそうだ。
自治体のゴミの分別法にも、キョウチクトウはゴミに出しちゃいかん
と書いてある。

どうすりゃいいんだ。

そこまでとは知らずに、私は家の薪ストーブで燃やしてしまった。



夾竹桃の毒はミステリでしばしば登場する。
夾竹桃は植木として好まれており、そこいらに有るから手に入りやすい。
だから、素人殺人で使われた、という話に取り入れやすいのだろう。

実際に使われることが多いのかどうか、
調べて
みない。
そんなこと調べるヒマは無いのだ。
薪を作るヒマは有るけど。

ドラマ「ミステリと言う勿れ」の中でも、夾竹桃が殺人に使われた。
暖炉の前の床に、煙を吸ってしまった被害者が倒れている。

いやいや。
なかなかそうはならないだろう。

ストーブの煙がよっぽど室内に洩れないと、
煙を吸うことは無いだろう。

煙突が詰まっていたのか?
物語では、燃えている暖炉に夾竹桃をくべたような表現になっている。

燃えている暖炉の煙は、煙突に抜ける気流ができているので、
まず室内には広がらない。
暖炉の煙がそんなに室内に洩れるようじゃ、実用的でない。



などと思った。

これが、囲炉裏にくべた、ということだったら
煙を吸ったということも起きたのだろうか。

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