犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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古書出張買取

2022年12月25日 | よみものみもの
自宅を埋め尽くしていた、亡父と老母の蔵書を遂に処分することにした。
専門書・学術書の類を買い取ってくれる古書店を探して、来てもらう。
ついでに私の本もいくらか出そう。

私は子どもの頃から本を与えられていて、読むことは好きだった。
中学生くらいからは、小説を読むようになった。
特に太宰治は片っ端から読んだ。

今はすっかり、文学だの私小説だのというものから気持ちが離れた。
15年ほど前から鍼灸師として勉強する中で、
自分だの私だの過去だのにこだわることで心身を病むということを見てきた。
ぐだぐだと思いわずらいを書き綴ったものをわざわざ読むことも無い、
という心持ちだ。

よく、「追体験」として読むがいいと言われたが、
そんなら文学作品というよりは体験記のようなものを読んだほうが良さそうに思う。
あるできごとを、ただ自分の内面を通してのみ見ることは、
思いわずらいのモトになってしまう。
そのような視点で書かれたものをしっかりと客観的に読み解く力を持っていれば
問題無いとも言える。

それでも強力に面白い読み物というのは有る。たくさん有る。
そういう本を読んで、その世界に引き込まれて、
自分の心身をちょっと離脱して遊ぶような感覚は
本を読む楽しみの大きな部分だとも思う。



まあとにかく、
ウチには本が多い。
多過ぎる。
万を超える本は持ち腐れる。

処分じゃ。



午前10時から1人。
黙々と、選んで、重ねて、揃えて、束ねて、結んで、積んで。
午後2時半からもう2人。
朝から来ていた人がやっと休憩に入る。

私は話し掛けたいのを我慢して、ひたすらお任せする。
手元に置いておきたいものは、昨日までに仕分けしてある。



17時前、作業が終わった。
作業というのは、買取対象のものを選び出して、束ねるところまでだ。

それから、地下室から運び上げ、出口に置いたものを、
敷地の外に運び、30メートルくらいの所に停めてある車に運ぶ。

どこかしらどうにかと思って手伝うと、止められる。
「危ないですから」とか、「ここからこう順番になってるんで」とか、
「お気持ちだけで」とか、色々の言葉で。
これは手を出すと混乱させてしまうヤツだ。
おとなしくお任せしたほうがいい。
動きたいけど我慢。



飼い犬ウーゴくんは、一日中落ち着かなかった。
しかし今、17時半の今やっと、いつもの自分の寝床に横になった。
ガラス戸を一枚隔てた向こうでは、バタバタと運搬作業をしているので、
ちょっと気にしてはいるけれど、横になれただけでもずいぶんな進歩だ。




運搬作業1時間経過。
会話が洩れ聞こえてくる。
「いつもより重い気がしますね。」
「湿気を吸ってるからね。」

あー。
ウチの地下室は「通気口」が有る。
そこから湿気が入ってしまっているのだ。
なんだって開きっぱなしの通気口なんか作ってしまったのだろう。
たぶん、法的に決められているのだろう。

いちおう排気口は地面から50㎝くらいの高さは有るけれど、
ちょうどその辺りは庭の隅っこで、木陰で繁っていてとても湿っているのだ。



運搬作業2時間経過。
ゲゲッ。
たくましい野郎ども3人がかりでもこんなに時間が掛かるのか。

今回、買取の対象になったのは、
地下室の本の半分にもならない。

ってことは。
残りの本を私一人で縛って運んで出すとしたら、
えーと

とにかくすごく時間が掛かる。



本を運び出し終えることができたとして、
次はスチール書架を解体して、運び出して、
粗大ゴミなりなんなりに引き取ってもらうとしたら

とにかくすごい労力が掛かる。

とほほに暮れるわ。



今回、手元に残そうと決めた本の中から、
いくつかを今後ご紹介しようかな。

これは楽しい作業になりそうだ。



ウチでくすぶっているより、
古書店で売られて誰かの手元に行って役に立つなら、
これほど嬉しいことは無い。

売りさばいてじゃんじゃん儲けて、
良い古本屋さんとして生き残って行って欲しい。

そんな気持ちで、ぱんぱんに本の詰まったハイエースを見送った。
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