犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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8頭の壁

2020年09月02日 | 犬と暮らす
毎月一日に、法螺を吹くことにしている。
昨日は一日だったので、つくり話を書いた。

良い法螺が毎月吹けるわけでもない。
本当の話にちょっと虚構が混じる程度の話だったりする。
それは、法螺というよりは嘘というレベルのもので、
自分としては不満、不発の感が有る。



九月一日の朝、久しぶりに一人で散歩に出たのは本当だ。
犬の散歩では行かない所まで回ってきても、
せいぜい五千歩足らずで、
犬の散歩の時とあまり変わらない歩数だった。

夕方も出た。
そんな気になれるくらい、涼しい日だった。



田んぼの一角に池が作ってある。

田んぼの周囲には、雑草が生えている。
やつらは、稲に擬態して生き延びているのだそうだ。
イヌビエという。
禾偏に卑しいで稗。
それに、犬。

犬は、「劣る」意味で使われる。
「似て非なるもの」「まがいもの」「本物のような価値は無い」
そんな意味合いだ。
代表的な言葉が「犬死に」だ。
命までかけたけれど全くの無駄だったね、あーあ、という意味である。

イヌビエ。
二重にさげすまれているわけだが、
稲に擬態することで生き延びようという姑息なやつだから仕方ない。



田んぼの向こうに知り合いの犬と飼い主さんが見えたのも本当である。

声をかけるには遠く、追い付くには彼らの足取りは速い。
またの機会に話してみよう。



ジーロのきょうだいの犬が先立った時は、
ジーロが残っていたので、喪失感に包まれるというより、
ジーロの今後の生活ということが先行した。
つまり、さみしくなかった。

複数飼うことは、そういう意味でも、良い。

犬にとっても、良い。
きょうだいで喧嘩することも有ったが、
毎朝ドタバタとじゃれ合い、
留守番も退屈することは無かったはずだ。



仔犬を紹介されて、1頭もらうか2頭にするか3頭まとめて引き取るか
というところが、ウソであった。

今ひとつ法螺として振るわなかったのには、理由が有る。
数を大きくすれば、法螺らしくなる。
101匹わんちゃんみたいな話だ。

ただ、カバサとジーロだけになる前、実際、
私は母犬と7匹の仔犬を引き取って飼っていた。
あの現実の経験が有るので、
本当らしい嘘がどれくらいなのか、
なんだか匙加減が分からなくなっちゃったのである。



今は家に他に誰がいるわけでもなし、
スペースも有るので、
なんなら7匹の仔犬を預かることもできる。

仔犬は一日に6回くらいウンチをする。
それが7匹いると、もう本当に一日中ウンチを拾うだけで過ぎてゆく。

良い経験をしたとあらためて思う。
一度でいいや。



というわけで、1歳くらいで12㎏くらいの犬のご縁を
待っている。
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