犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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孔子廟堂碑

2017年10月17日 | 書の道は
[あらすじ] 書を独習し始めた。

し始めた。なんて言っておりますがね、
遂に一年経ちました。
最初に墨をおろし筆を持って、「一」なんて書いたのが、
去年の10月11日だった。
そして、11月に入って、鍾繇の宣示表や石門頌や泰山刻石から
臨書を始めた。



虞世南(ぐ せいなん 558-638)の書いたとはっきりしているものは、
これくらいしか無いらしい。
碑は唐の太宗皇帝の貞観の初め、629年頃に建てられたという。

中国で盛んな教えというと、道教、儒教、仏教の三つであり、
これは儒教の祖、孔子をたたえる碑だ。

現在伝わる儒教、あるいは唐の時代に信じられていた儒教は、
孔子がそもそも言っていたこととは
きっとずいぶんずれていたんだろうなー、
と、なーんとなく思う。
ここんとこ、あんまり調べていないので、
なんとなく思うことを書き殴っているだけです。

孔子そのものは紀元前500年前後の人で、
有名な『論語』などは著書ではなく、後で弟子たちがまとめたもの。
儒教は秦の時代には迫害されたが、漢の時代には国が推した。
そして後には、儒教の経典をどれだけ読み込んでいるかということが
国家公務員試験の内容になる。

それが、朝鮮半島の歴代国家も経て、日本にも伝わる。
私たち日本人が、目上の人の言うことはよく聞きなさいよ、
なんてことは当たり前に大事なことだ、と思っているのは、
儒教のせいだろう。

家父長制なんかも、儒教がしっかりと固めてきた。
それは、国家経営、政治に都合が良いからだ。
21世紀の日本もいまだその影響のもとに
家族や親戚や地域社会や学校や会社など様々な組織が動いている。

というような、苦々しい感想を持ちながら、
孔子をたたえる文章を臨書していても、
なんとなく、楽しみきれない。
そこで、もう、内容はあまり読まないことにした。
文字だけを追う。
書だけに集中する。
形だけを模す。

なんとなく盛り上がらない。
半分でやめちゃった。
またいつか書こう。

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