犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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万灯と纏と迷子

2017年10月16日 | うつろい
池上本門寺のお会式、万灯練り供養を見物しに行ってきた。
参詣客30万人と言う。
なんせ、池上の駅から寺まで、2km近い道の往路と復路に
ずっと夜店が並んで歩く人も一杯で。
寺も広い。
お堂も境内もでかい。
さすが日蓮さんだな。

そうちょうど幼稚園のお誕生会にティッシュで作るお花みたいな
桜の花を何本も枝垂れさせて、中心には灯りをあしらった塔が、
何基も歩く。
それぞれに、鉦と笛に、団扇太鼓の行列。

賑やかである。

目の前の小学女子が、お父さんに聞いている。
「そこの家の人、どうしてるんだろう?」

窓を開けて見物している家もあるが、わづかなものだ。
練り供養は夜半まで続く。
調べてみると、以前はもっと遅くまでやっていたそうだが、
新しくマンションなどが建ち、引っ越して来た住人の理解が得られず、
12時までで終えるようになったようだ。

池上に住むなら知っておけと思ってみたり、
年に一度だけなんだから我慢できないもんかいなと思ってみたり。
思えば、わが深大寺のだるま市の日、
ムカシは市の朝には昼花火が合図に上がった。
あれは何時だったか。
「パンパン!パン!」
と音が聞こえてくると、わくわくしたものだ。

翌日に、植物園周辺を歩くと、
花火の玉の殻が落ちていて、拾ってみると火薬の匂いが残っていた。

が、
ある年から無くなってしまった。
苦情が有ったらしい。

音がうるさいから、と言って祭りを楽しめない一部の人の苦情に合わせていたら、
お祭りなんかできなくなっちゃうよ。
毎日まじめに働いて、騒いだり暴れたりしないできちんと暮らしているからこそ
祭りの日には鳴り物入れてはじけようってもんだ。

地元の人が、祭りをやっている人たち自身が、
「このお祭りはちょっと常軌を逸しておりますね、おとなしくいたしましょう。」
と言って何かをやめるんならまだわからんでもないような気がしなくもないけれど、
よそから来た人が言うのはなんでございましょうね。

というよりとにかく、常軌を逸するのがお祭りである。
日常にありえない光景が繰り広げられるから、楽しいのだ。

万灯を引く行列が、何組も何組も何組も、何時間も何kmも続く。
それぞれに特徴があっておもしろく、不思議なくらい見飽きない。
どこかのお寺の組はお坊さんを先頭に、檀家のみなさんが
何か唱えながら歩く。
列の先頭を行くのは纏だ。
この回し方も、人それぞれで見て飽きない。
また、どう見ても信心してるわけでもなさそうなただただシュッとしたチームもいる。
すくすくとヤンキーが育っている。
祭りだ祭りだ日本の祭りだ。

寺に辿り着いたら、本堂でお参りをする。
裏に抜けると、万灯の休憩所がある。
その前に、纏を持ったお子がひとり立っているじゃないの。
いなせな祭り衣装に身をかため、小さな纏をしっかりと握ってはなさず。
かわいいものだと、背後から写真を撮りながら、ゆっくり前に回っていくと、
どうも手の甲で目をこすっている様子である。
泣いておるのか少年よ。

どうした?はぐれちゃったの?
「うん」
講の名前は言える?
「&#$)せな。」
せな?(講という言葉は通じなかったか。自分の名前を言っているのだな。)

ちょうど近くに万灯のリストを持った係りの坊さんと女性がいたので、
あとはお任せした。

写真を見て思うが、
子どもが一人で立って泣いていても、人は気付かずに
行き過ぎてゆくものだな。
私も前に回ろうとしなきゃ気付かなかった。
やっぱり、「ママーーー!」と絶叫でもしててくれないとわからん。
せなはこの時、耐えていたのだ。

足もとが不安げでかわいい。

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