犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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母子 文句篇

2016年01月12日 | 日々
[あらすじ] 母と娘の関係は、癒着する。 と、よく言われる。
述語では、共依存などと言う。
雑に言やあ、相手のせいにし合ってる、なんてなことになるだろうか。

私は今、老母82歳と同居している。
医者に現状を説明できないのも、疑問について質問できないのも、
病気に関しては医者の考えが絶対、という父権主義が原因だ。
それというのも、「おとうさま」には口ごたえできない、
明治の家庭に育ったからだ。

質問することは、相手に疑問をぶつけることと感じ、
文句を言う意味と取る。
だから、医者に質問するのは失礼だからできない。
逆に、自分が質問された時も、不快になる。

母の話はわからないことが多い。
「あれ」や「それ」が多いし、
そもそも何の話か言わずにいきなり細かいところから話が始まる。
私はわからないところについて質問する。
「アレって何のこと?」
すると、「いちいち文句を言う」と言い出す。
話のしかたがしばしば唐突だから、話をすれば質問をすることになる。
度重なるので、「いちいち文句」と感じる。

では話のしかたを変えるのもひとつの解決方法だ。
いきなり細部を話すのではなく、
「○○のことなんだけど」と
話題を提示してから話したらわかりやすい。

と言ったところで、急には変わらない。
というか、何年も変わらない。
自分の頭の中の世界がすべてなのだ。
私は同じ物を見て同じことについて考えていない。
だから何の話かわからないですよ。

そう説明すれば、わかるようで、
「そうね、確認しているだけなのね」と言いつつ、
「文句」と感じることはなかなか抜けないようだ。

自分が質問された時に文句と感じるから、他の人へも質問できない
ということになるのだろう。
質問を単純に質問と受け取れるようになったら、
人への質問もしやすくなるのではないだろうか。

なるべく単純な質問をするようにしてみよう。

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