犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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墓参

2017年06月17日 | 流民の窓
センゾの墓がある。

静岡の街中の寺の墓地の中の墓なのだが、
表の「須山家之墓」以外、何も刻んでないので、
誰が納まっているのやら、見当がつかない。

知っている親戚がいるのか、
寺に聞けばいいのか。

私が生まれたときに祖父母はもう他界していたので、
この墓に納まっている人で私の会ったことのある人はいない。
のだろうと思う。

そんな墓に参る。
会っていないとは言え祖父母が納まっているなら、ということと、
墓石がかなり傷んできているので、その様子を見ておこうと思ったのだ。

朝霧高原を挟んで、西に富士を取り巻く毛無山塊のうち、
天子ヶ岳と長者ヶ岳に登った。
翌朝は富士川の河口でサクラエビを干す作業を見物。
そして静岡の街に向かった。

城下町の道は升目状だ。
その中でも一番広い、「本通り」を行く。
[ほントーり]と、ントーのところにアクセントを置いて読むのは東京者。
静岡のアクセントは頭に来る。「ホんとーり」。

片側2車線、広い中央分離帯、余裕のある路側帯、幅2mの歩道。
広い。あまり高いビル無い。
暑い。
風邪ぎみの体にきつい陽射し。

通り沿いにある小さな店が、店先に物を出している。
古本屋?
いや、書道具店だ。
書道店が店先で古本を売っている。
こりゃ寄らねば!

車を停めて、棚や箱の中の本を物色していると、
店員さんが来て、駐車場を案内してくれた。
道は広いが、路上駐車は見ない。
取り締まりが厳しいのだろうか。意識が高いのだろうか。
街の中にはコインパーキングが辻ごとにある。多い。
小さな家が一軒ツブレたら、すかさず駐車場にする。
店の駐車場も、そういうスペースだった。

小さな店内は、壁一面の筆や、種々の紙や、印材や、文鎮や水差しや、
団扇や扇子や、額縁や、手本や字典などで一杯で、
数人の客がいて、店員と話し込む客もいて、
たいそう賑わっていた。

客はジジイから三十代女性まで、広い。
気付けば、どうやら3日間のセールの初日なようだ。
広島の筆メーカーの社員も出張って来ている。

筆も3割引という。
しまった。
今、欲しい筆が無い。
こんなことなら、筆のことを勉強して、物欲を高めておくのだった。

あれこれと目を肥やし、
結局、店先の段ボール箱の中から古本の『説文解字』100円也を買った。

それから寺へ行って、墓参りをした。
店から寺へはほんの400mほどだ。

桶に水を汲み、たわしを借りる。
石は傷んで、表面が剥がれてきている部分もある。
どんな石だったのだろう。
赤みを帯びているのは、珪藻に覆われているからだろう。
たわしでこすると、珪藻独特のにおいがした。

あんまりごしごしやると、欠けてしまうかもしれないな、
などと思いながら、刻んだ大きな文字の溝を指でなぞる。

そのとき、ひらめいた。

つづく

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