唐の時代の玄宗皇帝(げんそう;685-762)は、書をよくした。
宰相に恵まれたんだかなんなんだか、その治世は中国史の中でも最高に栄え、
開元の治と呼ばれる。
しかし最後は楊貴妃に溺れて政治はぐだぐだになってゆく。
玄宗は孝経をよく研究し、自ら注釈書まで書いている。
独特の隷書で書いたこの石台孝経も、本文の間に小さい文字で注が入っている。
楊貴妃が後宮に入ったのが740年、
孝経が石台に刻されたのが745年らしい。
政体を揺るがす安史の乱は755年。
玄宗の命令で妃が自決するのは756年、37歳のとき。
楊貴妃に溺れたと言うけれど、手元に置いて5年後にはまだ
孝経なんか書くくらいの権威は保てていたのか。
それとも、実際のところが女に溺れちゃってるから、
威厳のある石碑を建ててかっこつける必要があったのか。
他に玄宗の書で有名なものというと、行書の鶺鴒頌なんてのがある。
これもいつかは臨書してみたい。
石台孝経の隷書を初めて見たときに、カッコいい字だな!と思った。
整っている。迷いが無い。堂々としている。
さっすが皇帝~、と思った。
書いてみようと思うと、手本は手に入りにくかった。
書帖のシリーズで出版されてはいるのだが、ちょと古い。
地元図書館に、そのシリーズは入っているのだが、全巻揃ってはおらず、
3巻にまたがる石台孝経は無かった。
古本でも出回っておらず、他市の図書館から届けてもらうことになった。
手本を手に入れる間に、あれこれ調べていると、
どうやら書の世界でこの玄宗の隷書は賛否両論のようだった。
私のように「さっすが皇帝、堂々とした字だね」という評価もあるが、
よろしくない評価もあった。
座右に置いている『中国書道史事典』の中で、比田井南谷は以下のように評している。
「玄宗は特に隷書を研究し、かなりの自信もあったと見え、
技巧的にはすぐれた手腕を示している。
後代の批評家には、この作品について、ゆたかで強く、飛動するような勢いがあると
評している者もいる。しかし、当時の他の作家の隷書も同様であるが、
漢隷の素朴、そして直接に訴えてくる筆の強さは失われてしまった。
筆の味は豊かであるといえるが、結体が型にはまりすぎ、
一筆一筆が形を美しくこしらえ上げたような所があって、
漢隷に見られるような各筆画の自然な脈絡がない。
これはいわゆる金持ち趣味の下品な味で、筆も決して活動しているとはいえない。」
最後なんかクソミソな言いようだ。
そんなにひどいかねえ、と疑問に思った。
借りた本をコピーして手元に置いて、ゆっくり臨書した。
3巻全部をコピーするのもちょっと手間だと感じたので、1巻だけにした。
孝経は全18篇から成る。
そのうち、最初は総論から始まり、次に天子、諸侯、郷大夫、士、庶人
つまりそれぞれの身分にとっての孝とは何か、ということを説いている。
ここまでで6篇。
この部分を臨書した。
見ただけでは「かっこいい!肉太で堂々とした、皇帝らしい書」と思っていたが、
書いてみて、ずいぶん感想が変わった。
とにかく、字の形から筆先のコントロールまで、実に整っている。
こういう画はこの形、というふうに、型が完成している。
隷書というと、波勢といって、波打ちつつ先へ進んで行くような筆意があり、
それが一字の中でリズムとなる。
それが無い。
ここがこうだったから次はこう、というふうに呼応している感じが無い。
どの字も同じで、まるで活字、genso-reiとかいう名前のフォントを選択しているみたいだ。
だから、書いていて、つまらない。
形は完成されているので、それを再現しようとすれば技術が要るので、
そこを追窮することは課題としてできる。
しかし、面白みが無いので、何字も書いていると、退屈する。
評価が分かれるのはこういうことだったのか。
納得。
※
さーて、次なる隷書は何を臨書しようかな?
最初にやるべき礼器碑なんかがまだだから、そこらへんかなー。
いや、石碑は今飽きてるところだから、いきいきとした筆勢のやれる木簡かなー。
宰相に恵まれたんだかなんなんだか、その治世は中国史の中でも最高に栄え、
開元の治と呼ばれる。
しかし最後は楊貴妃に溺れて政治はぐだぐだになってゆく。
玄宗は孝経をよく研究し、自ら注釈書まで書いている。
独特の隷書で書いたこの石台孝経も、本文の間に小さい文字で注が入っている。
楊貴妃が後宮に入ったのが740年、
孝経が石台に刻されたのが745年らしい。
政体を揺るがす安史の乱は755年。
玄宗の命令で妃が自決するのは756年、37歳のとき。
楊貴妃に溺れたと言うけれど、手元に置いて5年後にはまだ
孝経なんか書くくらいの権威は保てていたのか。
それとも、実際のところが女に溺れちゃってるから、
威厳のある石碑を建ててかっこつける必要があったのか。
他に玄宗の書で有名なものというと、行書の鶺鴒頌なんてのがある。
これもいつかは臨書してみたい。
石台孝経の隷書を初めて見たときに、カッコいい字だな!と思った。
整っている。迷いが無い。堂々としている。
さっすが皇帝~、と思った。
書いてみようと思うと、手本は手に入りにくかった。
書帖のシリーズで出版されてはいるのだが、ちょと古い。
地元図書館に、そのシリーズは入っているのだが、全巻揃ってはおらず、
3巻にまたがる石台孝経は無かった。
古本でも出回っておらず、他市の図書館から届けてもらうことになった。
手本を手に入れる間に、あれこれ調べていると、
どうやら書の世界でこの玄宗の隷書は賛否両論のようだった。
私のように「さっすが皇帝、堂々とした字だね」という評価もあるが、
よろしくない評価もあった。
座右に置いている『中国書道史事典』の中で、比田井南谷は以下のように評している。
「玄宗は特に隷書を研究し、かなりの自信もあったと見え、
技巧的にはすぐれた手腕を示している。
後代の批評家には、この作品について、ゆたかで強く、飛動するような勢いがあると
評している者もいる。しかし、当時の他の作家の隷書も同様であるが、
漢隷の素朴、そして直接に訴えてくる筆の強さは失われてしまった。
筆の味は豊かであるといえるが、結体が型にはまりすぎ、
一筆一筆が形を美しくこしらえ上げたような所があって、
漢隷に見られるような各筆画の自然な脈絡がない。
これはいわゆる金持ち趣味の下品な味で、筆も決して活動しているとはいえない。」
最後なんかクソミソな言いようだ。
そんなにひどいかねえ、と疑問に思った。
借りた本をコピーして手元に置いて、ゆっくり臨書した。
3巻全部をコピーするのもちょっと手間だと感じたので、1巻だけにした。
孝経は全18篇から成る。
そのうち、最初は総論から始まり、次に天子、諸侯、郷大夫、士、庶人
つまりそれぞれの身分にとっての孝とは何か、ということを説いている。
ここまでで6篇。
この部分を臨書した。
見ただけでは「かっこいい!肉太で堂々とした、皇帝らしい書」と思っていたが、
書いてみて、ずいぶん感想が変わった。
とにかく、字の形から筆先のコントロールまで、実に整っている。
こういう画はこの形、というふうに、型が完成している。
隷書というと、波勢といって、波打ちつつ先へ進んで行くような筆意があり、
それが一字の中でリズムとなる。
それが無い。
ここがこうだったから次はこう、というふうに呼応している感じが無い。
どの字も同じで、まるで活字、genso-reiとかいう名前のフォントを選択しているみたいだ。
だから、書いていて、つまらない。
形は完成されているので、それを再現しようとすれば技術が要るので、
そこを追窮することは課題としてできる。
しかし、面白みが無いので、何字も書いていると、退屈する。
評価が分かれるのはこういうことだったのか。
納得。
※
さーて、次なる隷書は何を臨書しようかな?
最初にやるべき礼器碑なんかがまだだから、そこらへんかなー。
いや、石碑は今飽きてるところだから、いきいきとした筆勢のやれる木簡かなー。
でも、難しいです玄宗の隷書の臨書。
二玄社の書跡名品叢刊の石台孝経ですか?
それとも他のだったら、ぜひ教えてください。
私はまだ、自分でバランスを取ることもよくよくできないので、ただただ似せることで、筆の使い方を知ろうとしている段階です。
左払いはどう筆を使ったらあんなふうになるんですかねえ…。
行書を始めたので、今度はいつか鶺鴒頌を臨書してみたいと思っています。