[あらすじ] 老母84歳、パーキンソン病、要介護1、左股関節全置換。
股関節の手術後に出た脚長差とパーキンソン病による前傾姿勢のため、
足の裏、爪先寄りにウオノメが3つずつできて、余計に歩くのがつらい。
健側の右の靴に、2cmの補高をする。
ケアマネージャーさんの提案で訪問看護に来てもらい、
介護保険ではなく医療保険で受けられることがわかった。
パーキンソン病になる人には共通の性格的な傾向がある、と言われている。
よく言えばまじめで、頑張り屋、悪く言えば頑固で、融通がきかない。
また、症状として、鬱傾向がある。
上記のような性格傾向であれば、鬱も伴いがちだろう。
心配すると、心配事が実現してしまう。
だから心配はしないほうがトクだ。
心配事で懲り固まった頭は、柔軟さを失い、働きが落ちる。
パーキンソン病はそれがドーパミンの流通不足という形で具現化する。
母などその型と言える。
何事も前もって考えて考えて、不安にとらわれて動けなくなる。
鬱傾向の人と同居するというのは、なかなか楽じゃない。
自分の心配だけでなく、同居者の心配までするので、
始終、行動を監視されているような心持ちになる。
前もって考えて納得できないと行動に移せない。
だから靴の補高も何年越しになってしまった。
本人の判断を待っていては、事が動かない。
同じ事柄について、幾度も一から考える。
この要素あの要素を組み合わせ積み上げて、検討し、
結論を出す。
その作業を一緒にやる。
それでも、数ヶ月すると、ときには数日で、
また同じ事について同じ疑問を言い出す。
しかし、認知が下がっているのではないようだ。
こだわりや不安が強い。
問題について検討し結論が出たことによって解決しても、
でもやっぱり心配、というところにすぐ戻ってしまう。
毎日これだと、付き合いきれない。
生活面のみならず、体のことについても、
問題があれば一緒に考える。
何種類かの対策を考えて、提案してみる。
その中に、それならできそう、これなら楽だわ、というものがある。
対話は気持ちよく終わる。
と思いきや、しばらくしてみるとちっとも採りいれていない。
対策を一緒に考えて、あんなにスッキリした感じだったのはなんなのだ?
という思いをすることが、実に多い。
徒労感が募る。
※
訪問看護のボスの説明は、私の事実を鋭く突いてくる。
パーキンソン病というものの特徴をよく知って、
本人だけでなく同居の家族の立場に対する深い理解が感じられる。
なんじゃこりゃ、天の使いか。
ここ2年くらい、追い詰められた気持ちでいたことをあらためて自覚する。
「パーキンソン病にかかる人は性格的に
お部屋を拝見しても、本がたくさんで真面目な勉強家でらっしゃるようですし、
ものごとをよく考えるでしょう。
そして、自分の考えにこだわりが強いです。
だから、周りの方のアドバイスを受け入れないことが多いです。
そうすると、一所懸命アドバイスするご家族の方も、
もうアドバイスする気も失せてくる。
こういうパターンがとても多いんです。」
はい。おっしゃるとおりの型どおりである。
「パーキンソン病の特性として、鬱傾向になります。
一緒になって考えてあげるけれど、その甲斐が無い、という中で、
ご家族の方も鬱になってしまうというパターンがあります。
だから、そういうときは、私たちに任せてください。
いまさら性格は変わりません。
何か心配事を言われたら、
『そうかそうかそれはたいへんだね、専門家に相談しようね』と言って
私たちに振ってください。
そのための緊急看護でもあるんです。」
ありがたや!
巻き込まれなくて良いのだ。
安堵のあまり、抑鬱状態全開。
そうよ私は抑鬱状態よ、ってなもんである。
やる気出ない。―そりゃそうだよね!
呑み過ぎちゃう。―そりゃそうだよね!
作品が作れない。―そりゃそうだよね!
人に会いたくない。―そりゃそうだよね!
開き直り気味。
自覚しないようにしないようにしていることが「抑」鬱だと思うのですが?
母自身は周囲に介護チームがいる。
医師、鍼灸師、歯科医、眼科医、理学療法士、作業療法士、ヘルパーさん、
ケアマネージャーなど、それぞれの立場や関わり方や専門の違いこそあれ、
話相手はいろいろいる。
私もそろそろ専門家に相談したほうが良いか、と思っていたところでもあった。
話を聞いてもらうことならば、友達が充分相手になってくれる。
しかし、病気の特性をよく知って、しかも対応を請け負ってくれるというのは
看護師でなければできないことだ。
もう、訪問看護さまさま。
まだ一回来てもらっただけなのに。
股関節の手術後に出た脚長差とパーキンソン病による前傾姿勢のため、
足の裏、爪先寄りにウオノメが3つずつできて、余計に歩くのがつらい。
健側の右の靴に、2cmの補高をする。
ケアマネージャーさんの提案で訪問看護に来てもらい、
介護保険ではなく医療保険で受けられることがわかった。
パーキンソン病になる人には共通の性格的な傾向がある、と言われている。
よく言えばまじめで、頑張り屋、悪く言えば頑固で、融通がきかない。
また、症状として、鬱傾向がある。
上記のような性格傾向であれば、鬱も伴いがちだろう。
心配すると、心配事が実現してしまう。
だから心配はしないほうがトクだ。
心配事で懲り固まった頭は、柔軟さを失い、働きが落ちる。
パーキンソン病はそれがドーパミンの流通不足という形で具現化する。
母などその型と言える。
何事も前もって考えて考えて、不安にとらわれて動けなくなる。
鬱傾向の人と同居するというのは、なかなか楽じゃない。
自分の心配だけでなく、同居者の心配までするので、
始終、行動を監視されているような心持ちになる。
前もって考えて納得できないと行動に移せない。
だから靴の補高も何年越しになってしまった。
本人の判断を待っていては、事が動かない。
同じ事柄について、幾度も一から考える。
この要素あの要素を組み合わせ積み上げて、検討し、
結論を出す。
その作業を一緒にやる。
それでも、数ヶ月すると、ときには数日で、
また同じ事について同じ疑問を言い出す。
しかし、認知が下がっているのではないようだ。
こだわりや不安が強い。
問題について検討し結論が出たことによって解決しても、
でもやっぱり心配、というところにすぐ戻ってしまう。
毎日これだと、付き合いきれない。
生活面のみならず、体のことについても、
問題があれば一緒に考える。
何種類かの対策を考えて、提案してみる。
その中に、それならできそう、これなら楽だわ、というものがある。
対話は気持ちよく終わる。
と思いきや、しばらくしてみるとちっとも採りいれていない。
対策を一緒に考えて、あんなにスッキリした感じだったのはなんなのだ?
という思いをすることが、実に多い。
徒労感が募る。
※
訪問看護のボスの説明は、私の事実を鋭く突いてくる。
パーキンソン病というものの特徴をよく知って、
本人だけでなく同居の家族の立場に対する深い理解が感じられる。
なんじゃこりゃ、天の使いか。
ここ2年くらい、追い詰められた気持ちでいたことをあらためて自覚する。
「パーキンソン病にかかる人は性格的に
お部屋を拝見しても、本がたくさんで真面目な勉強家でらっしゃるようですし、
ものごとをよく考えるでしょう。
そして、自分の考えにこだわりが強いです。
だから、周りの方のアドバイスを受け入れないことが多いです。
そうすると、一所懸命アドバイスするご家族の方も、
もうアドバイスする気も失せてくる。
こういうパターンがとても多いんです。」
はい。おっしゃるとおりの型どおりである。
「パーキンソン病の特性として、鬱傾向になります。
一緒になって考えてあげるけれど、その甲斐が無い、という中で、
ご家族の方も鬱になってしまうというパターンがあります。
だから、そういうときは、私たちに任せてください。
いまさら性格は変わりません。
何か心配事を言われたら、
『そうかそうかそれはたいへんだね、専門家に相談しようね』と言って
私たちに振ってください。
そのための緊急看護でもあるんです。」
ありがたや!
巻き込まれなくて良いのだ。
安堵のあまり、抑鬱状態全開。
そうよ私は抑鬱状態よ、ってなもんである。
やる気出ない。―そりゃそうだよね!
呑み過ぎちゃう。―そりゃそうだよね!
作品が作れない。―そりゃそうだよね!
人に会いたくない。―そりゃそうだよね!
開き直り気味。
自覚しないようにしないようにしていることが「抑」鬱だと思うのですが?
母自身は周囲に介護チームがいる。
医師、鍼灸師、歯科医、眼科医、理学療法士、作業療法士、ヘルパーさん、
ケアマネージャーなど、それぞれの立場や関わり方や専門の違いこそあれ、
話相手はいろいろいる。
私もそろそろ専門家に相談したほうが良いか、と思っていたところでもあった。
話を聞いてもらうことならば、友達が充分相手になってくれる。
しかし、病気の特性をよく知って、しかも対応を請け負ってくれるというのは
看護師でなければできないことだ。
もう、訪問看護さまさま。
まだ一回来てもらっただけなのに。
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