犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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そして、桜庭一樹『私の男』

2019年09月23日 | よみものみもの
[あらすじ] 映画「私の男」を観た。
中学生から二十代半ばを二階堂ふみさんが演じ、
獣ぽさと優しさを兼ね備える男を浅野忠信さんが演じた。

映画として、このキャスティングが力を発揮し、
世界観ができ上がっていた。
ただちょっとストーリーの中でいくつか気になる点が有ったので、
原作を読んでみることにした。

原作者の桜庭一樹さんが家族を描いたものとして、
『赤朽葉家の伝説』が紹介されていたので、そちらから読んだ。
ジェンダーに関わる表現に、納得するものが有ったので、
面白く読んだ。

回り道したが、さーてやっと『私の男』だ。
ヒマなのか?



原作が有るものの映画化作品で、
原作の筋をちょっといじくって有ると、
大概は、納得がいかない。
先に原作を読んでいても、後から読んでみても、
なんとなく、そういうことが多い気がしている。

なんでだろう。

映画を観てから、原作を読んでみると、
そういった小さな変更が気になったりする。



今回、映画を観てから原作を読んだが、
どちらも、映画として、小説として、楽しむことができた。
結論から言えば、それは、映画では映画でしかできない表現をしており、
小説では小説だからこそ活きてくる技法を用いているからだ、と思う。

映画では、花と男の交わるシーンで、部屋中に血が滴る。
私は、二人の関係を示す映像表現として、有りだと思う。



知っている話を読むのは退屈なのではないか、という不安は、
本のページをめくってしょっぱなの目次を見た時に既に払拭された。

全体は6章に分かれている。
章にはそれぞれ、「〇〇年〇月、××××××」と、
年月と短いタイトルが付けてある。

そして、それは時系列と逆に並んでいるのだ。
また、映画には無かった小道具が、タイトルに入っている。
これは、期待できる。
一体どうやって物語を収束させるのだろう?と。

最後の最後まで、その疑問と期待は続く。
そして、きちんと着地して物語は終わる。
読者である私の気持ちは収まる。

嗚呼、物語の結末は、最初から決まっていたのだ。

物語とはそういうものなのかもしれない、とさえ思わされる。
と言ったら褒め過ぎかなー



『赤朽葉家の』で、通常の意味の「朽ちる」が作品の中で登場するタイミングについて触れた。
今回も、主人公の苗字である「腐野」の「腐る」が通常の意味で使われる箇所について調べた。

私の見落としが無ければ、6ヶ所に「腐る」は有る。
全体に有って、特に使わないようにしているという感じではない。
むしろ多いのか。

流氷に覆われる紋別より、東京の夏のほうがずっと腐臭が似合う。
腐臭の強い時間の側から小説は始まるわけだ。

しかし、さきほど書いたように、結末は最初から決まっているのだとしたら、
いづれ腐るのは、運命だったと言えるか。
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