犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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2019年09月22日 | 介護ウチのバヤイ
[あらまし] 同居母86歳要介護2パーキンソン病認知症状少々。

老母の介護生活について書くことが多くなっている。
他に、自分の興味の有るあれこれについて書きたい。
しかし、脳みその多くの部分を介護生活のことが占めてしまっている。
他の事を考えて文章にまとめようと思っても、うまくいかない日が有る。
目の前の課題というのは存在感が大きいものだ。

日々、老母の介護の話題を書いていると、気が引ける。
私自身が、いやな気持ちでいることについて書いているのだから、
読む人も不快にさせているのではないか。
日々の愚痴や、母の悪口になっていないか。

特に、似て非なる経験をした人が読むと、胸を痛めるのではないかと思う。
障害のある人や病気の人や、その家族。
また、同じ老人介護と言っても状況は十人十色だから、みな違う。

私が書いている事は、私と母に起きた出来事であり、
私の性格や母の性格が有っての出来事だ。
よくあることは起きるが、他のご家庭と同じではない。
読んでご自身の状況と重ね合わせることも有るかもしれないが、
あくまで、他人の家の出来事と受け止めていただければ、と願う。



なるべく、笑い事として書ければ、などとも思う。
面白いと思えることも無くはないが、しかし、しんから笑う気持ちになれない。

ツイッターで、ある介護士さんをフォローしている。
「この仕事をやめられないのは、
利用者さんが毎日なにかしら面白いことをやらかすから。」
と、きっと対応はたいへんなはずの日常の出来事を
面白く受け止めているツイートなどを読む。

こんくらいの余裕を持てば良いのだ、と分かる。
しかしなかなか、身内であり、健康であり、こちらから止めることはできず、
あと何年この生活が続くのか分からない、などと思うと
余裕から遠のいてしまう。



そんな中でも、身近に老人介護経験者の友達がいることは、
大いに救いになる。
愚痴り相手がいるのだ。

お父さんの認知症で苦労した友人、
お祖母ちゃんの介護を十年ほどしていた友人、
姑の介護で翻弄された友人などなど、
私には話し相手が多い。

まずは出来事を話す。
自分の思いを話す。
聞いてもらってだいぶ気が済む。

相手も自分の経験談を話してくれたりする。
思いを話してくれることもある。

やっぱりそう思うよねえ、ということもあれば、
そういう受け止め方も有るか、ということもある。
どちらもそれぞれに効能が有る。



何かしらの出来事が有ると、
しばらくその事が脳みそを離れない。
あれこれ自分で思い巡らせたり、友達と話し合ってみたりした上で、
時には数日おいてから、ブログに書く。

そんなふうに作業している。



久しぶりの友人が、ある用事で連絡をくれた。
ついでにブログの話になった。
毎日読んでくれている、と言う。

「普通だとかなり大変と思うことも、す~さんが書くと淡々といやみなく」
なんて感想をくれる。
いやー、大変は大変な気もするし、淡々と書けている気はしないのだけど、
いやみなくなっているのなら、幸いだ。

「とっても共感させられるけど、愚痴や悪口にはなってない。」
えー、ほんとですか。

「なるほど、毒抜きしてから書いてるのね。
毒抜きを公の場でしてしまうと、見苦しくなるんでしょうね。」
あー、有りますよね、SNSでの叫び。

とかく、身近な友人に恵まれていることがありがたい。
そして、このような感想をもらえたことがまた救いになった。

実生活では怒鳴り散らすことが有っても、
公の場では笑い話ができるくらい、
裏表の有る人間に私はなりたーーい。

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