楷書があたりまえと思ってしまっている漢字だが、
その成立は現存する書体の中ではもっとも新しい。
さかのぼると、楷書、行書、草書、隷書、篆書があり、
さらに金文、甲骨文がある。
甲骨文とは、占いの結果を動物の肩甲骨に刻んだものだ。
金文とは、青銅器の内側などに刻んだり象嵌したりした文字だ。
篆書は今もハンコとして遺っているが、別にハンコ専用文字ではなく、
当時の正式な書体だった。
こういった物はふるくから発掘されていたが、
70年代頃に木簡・竹簡・帛書(絹)といった物が発見されて、
考古学・歴史学はもちろん、書に関しても常識が覆された。
※
漢の時代の石碑に刻まれた文字の拓本を見て、隷書を練習している。
こういう方法を、臨書と言う。
しかしいかんせん、石に刻んだ文字だ。
書いたものとは輪郭も変わるだろうし、
毛筆独特のやわらかさや勢いや抑揚は、
石に鋼の刀で彫ることでは表せない。
隷書の肉筆が見たい。
それも、明や清の時代の作品ではなく、古代の、
隷書が正体であったその時代の書が見たい。
その願いが叶うのが、木簡・竹簡・帛書というわけだ。
写真を印刷した資料は出版されている。
しかし、いまひとつピンとこない。
木簡などは、幅が1cmも無いような細いもので、
そこに細かい字が記されている。
どうも写真では、その表面の感触や、文字の小さい中での筆の勢いなどが
つかみきれない。
実物が見たい。
※
と思っていた矢先のこの展覧会である。
期待どおりに、甲骨はあるわ、青銅器はたくさんあるわ、
竹簡もいくつもあるし、帛書も見られた。
竹簡は、そんな細い物を紐で繋いで、丸めておく。
簀巻きである。
これも、複製品を触れるように展示してあり、
実感することができた。
私が日頃臨書しているのは、拓本をA4程度のサイズの本に
並べ直したものだ。
展示では、どでかい石碑から取ったどでかい拓本が、
壁一面にドーンと掲げられてある。
※
展示物の撮影が許されていたので、
あれこれ撮ってきた。
当分、写真から臨書するという練習ができそうだ。
見たかった物が目の前で見られて、
しかも見たいと思ってすぐに見られて、
たいへんタイミングの良い展覧会だった。
東京富士美術館で、明日まで。
その成立は現存する書体の中ではもっとも新しい。
さかのぼると、楷書、行書、草書、隷書、篆書があり、
さらに金文、甲骨文がある。
甲骨文とは、占いの結果を動物の肩甲骨に刻んだものだ。
金文とは、青銅器の内側などに刻んだり象嵌したりした文字だ。
篆書は今もハンコとして遺っているが、別にハンコ専用文字ではなく、
当時の正式な書体だった。
こういった物はふるくから発掘されていたが、
70年代頃に木簡・竹簡・帛書(絹)といった物が発見されて、
考古学・歴史学はもちろん、書に関しても常識が覆された。
※
漢の時代の石碑に刻まれた文字の拓本を見て、隷書を練習している。
こういう方法を、臨書と言う。
しかしいかんせん、石に刻んだ文字だ。
書いたものとは輪郭も変わるだろうし、
毛筆独特のやわらかさや勢いや抑揚は、
石に鋼の刀で彫ることでは表せない。
隷書の肉筆が見たい。
それも、明や清の時代の作品ではなく、古代の、
隷書が正体であったその時代の書が見たい。
その願いが叶うのが、木簡・竹簡・帛書というわけだ。
写真を印刷した資料は出版されている。
しかし、いまひとつピンとこない。
木簡などは、幅が1cmも無いような細いもので、
そこに細かい字が記されている。
どうも写真では、その表面の感触や、文字の小さい中での筆の勢いなどが
つかみきれない。
実物が見たい。
※
と思っていた矢先のこの展覧会である。
期待どおりに、甲骨はあるわ、青銅器はたくさんあるわ、
竹簡もいくつもあるし、帛書も見られた。
竹簡は、そんな細い物を紐で繋いで、丸めておく。
簀巻きである。
これも、複製品を触れるように展示してあり、
実感することができた。
私が日頃臨書しているのは、拓本をA4程度のサイズの本に
並べ直したものだ。
展示では、どでかい石碑から取ったどでかい拓本が、
壁一面にドーンと掲げられてある。
※
展示物の撮影が許されていたので、
あれこれ撮ってきた。
当分、写真から臨書するという練習ができそうだ。
見たかった物が目の前で見られて、
しかも見たいと思ってすぐに見られて、
たいへんタイミングの良い展覧会だった。
東京富士美術館で、明日まで。
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