旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

東海道散歩日記 白須賀宿~二川宿

2006-12-11 04:30:24 | 歩き旅

愛知県・静岡県県境 (愛知県豊橋市・静岡県湖西市)

平成18年9月9日土曜日12時50分、白須賀宿本陣跡を撮影すると、そのまま休まずに次の二川宿へと歩き続ける。休むのに適当な場所がないのだ。宿場の家々には昔の屋号が書かれた札が掲げられている。宿場を抜け、旧道が新道に合流してしばらくすると、愛知県と静岡県との県境が見えてきた。箱根峠以来となる県境。ふたつの県境の間には15年程の時が流れている。13時08分、境川に架けられた橋を渡り、愛知県に入った。県境は三河と遠江との国境でもある。


一里山・細谷一里塚 (愛知県豊橋市東細谷町)

国道1号線に合流する。交通量の多い、往復四車線の道路である。歩道と車道とはガードレールで隔てられているが、砂が積もり、雑草が生え、信号機付近には弁当殻などのゴミが捨てられている。歩いていて気分がよくない。あたりは畑で、自動車相手のコンビニエンスストアや事業所が点在する程度である。住宅地ではないので、家の前を掃除するということにはならないのだろう。

13時17分、一里塚を通過する。現存する一里塚である。一里を歩くのにほぼ1時間を要している。相変わらず天気は良くて暑い。手拭いで汗を拭くが、車のまき上げる砂埃で少しざらざらする。途中で休憩していたのであろう、自転車氏が再び追い抜いて行く。


立岩と東海道・山陽新幹線 (愛知県豊橋市豊清町)

新幹線が見えてきた。離れていた東海道と鉄道が近づいてきた。向うに大きな岩山が見える。鉄道でここを通る時にも気になっていたが、立岩というらしい。国道と分れて新幹線のガードをくぐる。ようやく旧道となった。在来線を踏み切りで渡ると、宿場らしい風情となった。


豊橋市二川宿本陣資料館 (愛知県豊橋市二川町)

14時20分、二川宿本陣に到着する。文化4年(1807)から本陣職を勤めた馬場家の遺構を改修復原工事したもので、豊橋市二川宿本陣資料館の一部として公開されている。さっそく中に入ろうと思うが、飲食禁止らしいので、近所の商店の自動販売機で飲み物を買って飲み干す。入館料(400円)を支払って、冷房の効いた屋内へ入る。洗面所で顔を洗う。少し日焼けしたようだ。椅子に腰掛けて涼む。資料館には団体さんもいて賑わっているが、東海道を歩いてきた人はいるのだろうか。


座敷がいっぱい (二川宿本陣)

ひととおり資料の展示を見た後は、旅籠屋「清明屋」へ。本陣の東側にある倉橋家の遺構で、改修復原工事をして公開している。つまり本陣、旅籠、資料館の三つが見学出来るのである。靴を脱ぎ、座敷に上がってうろうろする。お膳の見本を見て、旨そうだなと思う。

庶民が泊まった旅籠の次は、いよいよ本陣である。こちらは大名や旗本、公家といった身分の高い人が利用した。その本陣には、今日の道中で何度も見掛けた自転車氏がいて、話し掛けてきた。今日はどこからどこまで行くのかという話をしたが、私を見てこんなに軽装な人は初めてだという。そりゃそうだろう。コンビニ行くみてぇだもん。荷物は浜松駅のコインロッカーに預けてあるので、財布と手拭いとデジタルカメラしか持っていない。自転車氏と別れて、本陣の座敷に上がってうろうろする。こちらは広くて、格式も高くて、部屋数も多い。その中でも一段と高くなっている部屋がある。


上段の間 (二川宿本陣)

貴人の泊まった上段の間である。中には入れないので、部屋の前で胡座をかく。目の前の部屋では、お殿様が脇息に靠れていたのだろう。しばし200年近く昔に思いを馳せてみる。

今日の行程は二川宿までにしよう。といっても、本陣にも旅籠にも泊まれない。宿は浜松にとってある。二川駅へ向かう。15時05分、本陣を出発。街道の風情がよく残っている。駅は宿場の中心から約1km西にある。だから開発から免れて街道が残っている。15時20分、二川駅に到着。これで今日の行程は本当に終わりである。本当に暑かったので、プラットフォームのベンチに腰掛けて飲んだ缶ビールが心底旨かった。 (つづく)


東海道本線 二川駅 (愛知県豊橋市大岩町南元屋敷)