豊橋 (愛知県豊橋市船町)
平成18年10月8日日曜日14時37分、吉田宿本陣跡を過ぎ、次の御油宿を目指す。豊橋市内では盛んに花火の音がしている。街道沿いの公園には警察官が立っている。何か催しがあるのだろう。やがて豊川の土手に出た。この川に架かる橋が豊橋である。
豊橋の町の名ははかつて豊川に架かる橋の名から今橋という名前だった。永正2年(1505)に築かれた今橋城が、天文15年(1546)に今川義元の手に帰し、吉田と変えらた。江戸時代は東海道の宿駅吉田宿として栄え、明治2年(1869)に豊川に架かる橋の名をとって吉田から豊橋へと改名されている。その豊橋を渡って吉田の城下を後にした。
下地一里塚跡 (愛知県豊橋市下地町)
15時04分、下地一里塚跡に到着。飯田線に下地という駅がある。名鉄名古屋本線の線路でもあるが、名鉄の駅はない。さて、二川から歩きつづけていて、用を足したくなった。旧街道沿いにあるサークルKでトイレを借りる。知らない土地でのコンビニエンスストアは本当に助かる。お菓子と缶コーヒーとスポーツドリンクを購入。お行儀が悪いが、店の前で菓子を食い、小休止。
小坂井町・豊橋市境
休憩を終えて歩いていたら、結構な速度で歩く人に抜かれる。恐らく東海道を歩いている人だろう。自分より歳は上のようだが、体力も上のようである。15時38分、小坂井町に入る。東海道本線に西小坂井という駅があり、飯田線にも小坂井という駅があるので、その名には聞き覚えがある。ここから、豊川豊水路に架かる高橋への上りとなる。道幅が狭くなり、車がすれ違えば歩行者の避ける場所は無い。旧街道だか、交通量はそこそこある。先の早足の人は果敢に歩いて行く。自分も道の右端ギリギリの所を歩いて、何とか橋を渡った。橋だけでなく、アプローチ部の盛土も道幅が狭いので、かなりの距離を難儀して歩いた。
伊奈一里塚跡 (愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈)
飯田線の踏切を渡る。左手に小坂井駅が見える。16時12分、伊那一里塚跡到着。休憩したとはいえ、一里に1時間以上を要している。
豊川市・小坂井町境
16時21分、豊川市に入る。御油は豊川市だったのか。豊川といえば豊川稲荷だが、未だお参りした事は無い。そろそろ疲れてきた。名鉄が旧街道に並行しているので、いつでも今日の行程を止める事が出来る。17時になったら終わりにしよう。五時が早いか、御油が早いか。
突然、旧東海道が塞がれた。大きな道路が交差しており、迂回しなければならない。こちらは旧道とはいえ、天下の往来東海道である。面白くない。しかし実際の交通に従わねばならない。左に迂回し、誇線橋のアプローチ部の下をくぐって、反対側に出た。やがて国道1号線に合流し、名古屋本線を誇線橋で渡る。豊川線も見える。ツーリングのバイクの一団が名古屋方面へ走って行く。渡り終えると、高校生の女の子が下校している。日曜日なので部活だろうか。もう五時が近い。こちらも今日の行程を終わりにしよう。結局、御油より五時が早かったか。高校生はまっすぐ国道を国府駅に向かうが、自分は分れている旧道経由で駅に行く。やはり旧道は落ち着く。御油宿はもうすぐだが、17時04分に新栄町2丁目交差点で終了。旧東海道を離れて国府駅へ向かった。
新栄町2丁目交差点 (愛知県豊川市新栄町)
平成18年10月9日月曜日体育の日。昨夜は豊橋のホテルに一泊して、昨日の中断地点に戻ってきた。9時39分出発する。朝から歩くのは気持ちいい。
新栄町2丁目交差点 (愛知県豊川市新栄町)
御油一里塚跡 (愛知県豊川市御油町)
左:姫街道 右:東海道 (愛知県豊川市御油町)
9時44分、御油一里塚跡に到着。つづいて9時47分東海道と姫街道との分岐に到着する。姫街道は、遠州見附宿(静岡県磐田市)より三州御油宿(愛知県豊川市)まで、浜名湖の北岸を廻る脇街道である。この経路なら今切の渡しで船に乗らずに済む。音羽川を渡り、御油宿に入った。右へ左へ地図に従い歩いていると、道路工事の看板が。東海道を歩けないではないか。とりあえず行けるところまで行こう。9時57分、御油宿本陣跡に到着した。 (つづく)