旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

プロの厳しさ

2007-07-11 12:07:11 | 時局雑感

 

 昨日、「甥っ子の囲碁五段昇格祝い」に参加した感想を書いたところ、いつもコメントをくれるTNさんから、「いいはなしですね」というコメントを頂いた。短い言葉の中に、いつも見守ってくれている友の友情を感じて、私は喜びをかみしめた。その喜びの延長線で、少し続きを書いておく。

 
甥がプロ棋士を目指すかどうかについては、本人はもとよりその親(私の末弟)の方が悩んだのかもしれない。成功するかどうかは全く分からない。昨日書いたように、囲碁のプロ棋士には「一年に3人」しかなれない。その頭脳があれば、それなりの大学を出て安泰な生活を送ることは保証されている、と言えるのかもしれない。
 
事実、「東大には一年に2000人入る、しかし“一年に3人しか入れない”プロ棋士の可能性があるのに、なぜそれに挑まないのか!」というのが、甥を取り巻く“選択肢”であったようだ。このような比較に意味があるのかどうかは分からない。将棋の米長名人の兄弟はみんな東大生と聞くが、その中で米長氏は「私はプロ棋士の道を選んだが、兄貴は私より頭が悪かったので東大に行った」と語ったという逸話がある。真偽のほどは知らない。またそのような言が当を得ているのかどうかも分からない。
 
しかしプロの道が、その入り口において極めて厳しいことは言を俟たない。そしてその後はいっそう厳しい道が続くのであろう。
 
甥がその道をどう歩むのか、私は知る由もないが、この祝いの席で見せた一場面に私はひそかな期待を寄せたのであった。それは・・・・・・

 その席での余興に、本人の印象に残る二つの対局の棋譜による大盤解説が行われた。その一局は、大石を捕られて完膚なきまでに負けた碁であり、もう一局は「わずか半目」でかろうじて勝った碁であった。プロの「半目勝ち」には、“余裕を持って勝った”半目も、“やっと勝った”半目も、また負けたつもりが勝っていた半目もあるのかも知らない。しかし、余裕を持って勝ったとしても、半目はいずれにせよ「最小勝利」に違いあるまい。
 
大勝した一局を誇らしげに披露することも出来たであろうが、大敗した試合と、勝ってもギリギリの試合を選んだ甥の姿に、私は「プロとしての厳しさ」を見たのであった。

 その厳しさを持って、彼が崇高な人間形成に向かうことを、ひたすら祈ってやまないのである。
                            


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