一昨日は大阪「純米酒フェスティバル」であった。
プロフィールにも書いたように、私は純米酒普及推進委員(5名)の一人として、年2回東京(椿山荘で春と秋)で、年1回大阪(太閤園で夏)で開く純米酒フェスティバルに参画している。東京では全国50の蔵がブースをかまえ、昼と午後の部に各600人が参加、大阪では20~25の蔵で300名弱が参加してくれる。2000年に始めたので既に7年を経過してますます人気を呼んでいる。
今年から大阪は夜の部だけにしたが、それだけこじんまりと落ち着いた会であった。50の蔵となると、全て回るのは私の飲力では無理であるが、今回の大阪は21蔵の出展であったので、全ての蔵を回りながら、蔵元とも参加者とも親しく語り合いながら純米酒を楽しんだ。
酒の味もさることながら、蔵元や参加者から提起された様々な問題について考えるところが多かった。特に翌日和歌山の海南市にある『黒牛』の蔵を訪ねたこともあり、そこでも純米酒をめぐる様々な問題が提起された。以下に思いだしたまま書き連ねておく。
・純米酒100%の蔵が増えてきたが、地方にあってはまだまだ安価な普通酒を好む傾向が強く、純米への傾斜は地元を犠牲ににすることになる?
・純米酒への傾斜は、酒は金持ちだけが飲めばよいとならないか? それでも純米酒100%を志向すべきか?
・生もと、山廃もと酒が人気が出てきたが、今に「生もとフェスティバル」が開かれるようになるのではないか?
・即醸もとと生もととは、どのくらい味が違うのか? とはいえ、即醸に使われる乳酸は一体何で作られているのか?(一説には石油が原料だとも言われる)
・槽(ふね)で搾るのとヤブタ(機械式の酒搾り機)で搾るのとでは、どのくらい味が違うのか?
などなど・・・
だんだんこだわりが進むにつれて、一億国民を置き去りにするようなことになっては本末転倒になるのかもしれない。ただわれわれは、混ざりもの酒だけは日本酒と呼ぶにふさわしくない、という思いでやっているのであるが・・・・・・。