年賀状はどんな役割を果たし、どんな効果があるのだろうか?
個人的には、年賀状だけでつながっている人がいるので、人間関係を維持していく上ではそれなりの効果があるのだろう。しかし、年賀状だけでつながっている関係って、維持していく値打ちがあるのだろか? その中には、暮れになって身内の方とおぼしき人から「○○は何月何日なくなったので、年末年始の挨拶は省略させていただく・・・」というはがきが来て、初めて亡くなったことを知る人さえいる。葬儀に参列しないどころか、死んだことを後で知る程度の関係である。それは、人間関係とまで至らない関係ではないのか?
ただ、生きている間は互いに、「おお、あいつはまだ元気で、こんなことを考えているのか・・・」ということを確認しあう役割はあるから、年賀状も効果がないとは言えまいが。しょっちゅう会っている間柄では、年賀状は不要であろう。が、かなり交換しあっている。
会社同士の賀状は効果があるか? 年賀状とはいえ会社の宣伝文句が多いので、宣伝効果はあると信じられているのだろう。しかし本当に宣伝しようと思えば、年賀状よりほかの手段のほうがいいだろう。親しい会社同士は、年末年始とも挨拶しあっているから、本来は年賀状など要らないだろう。
結局会社同士は、社会一般のしきたりに応じて、存在を無視されては困るので、お付き合いで出しているのではないか? いわゆる虚礼の最たるものであろう。しかしこれも、一人出さないと「変わった会社」とか「失礼な会社」と思われたり、場合によっては「つぶれたのではないのか」などと思われてもつまらないので、出した方が無難であろう。
わが社も当然出しており、これまで毎年それなりに凝った賀状を作っていた。しかし今年はむしろすっきりと、「明けましておめでとうございます。今年もよろしく・・・」とだけのシンプルなものを起案したところ、若い女性から「なんてセンスのない!」と批判を受けた。そこで、各自で自分の案を作り関係先に心を込めて出状せよ、と指示した。
こうなると、若しかすると虚礼でなく、「心の通った、真に人間関係を維持する年賀状」が現れるかもしれないと期待している。時には逆療法が必要なのだ。