昨年のヨーロッパの旅でお世話になった「ドイツの友」が帰ってきたので、皆で食事をすることになった。どうせなら・・・ということで、両方の家族みんなが集まることになり、総勢十名で横浜の中華街に繰り出した。
久しぶりの大家族主義で、おじいちゃんから孫までの食事は楽しかった。そこで飲んだ酒は、当然のことながら紹興酒--花彫陳年8年古酒
思い起こせばこの酒を飲みに紹興を訪ねたのは15年前の1993年、写真家の英夫妻とわが夫婦の四人で、上海経由3泊3日の旅であった。「どうも日本酒の原型がその辺にありそうだ」などと思いながら、上海旅行の合間に訪ねた旅であったが、ドッコイ! 紹興というのは大変な街であった。
もちろん、紹興酒を生んだ町でもあるが、その歴史、その美しさ、いずれをとっても語りつくせない豊富な内容を持っていた。
織物の集散地として名高い経済都市でありながら、緑と水の豊かな水郷としても、その美しさは想像をはるかに超えた。
歴史においてはもっとすごい。中国史上名高い書家王義之が曲水の宴を開き、その詩集の序「蘭亭の序」を書いた故事で有名な蘭亭や、春秋時代に有名な呉越の争いで、越王匂践が、一度は呉に敗れるが「薪(たきぎ)に臥し、苦い肝(きも)を嘗(な)め」て復讐を誓い、ついに呉に打ち勝つ「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の地こそ紹興である。
魯迅も周恩来もこの地で育った。中でも魯迅は立派な記念館があって、この街の人々は等しく先生と呼んで、魯迅のことを誇らしく語る。
いやもっと古く、夏王朝の大禹が治水に成功して、諸侯を集めて論功行賞を行った場所が会稽山として今も残る(集めて考査することを会稽と呼ぶ)。治水・・・まさに水郷の源淵を見る思いであるが、その水こそが酒の酒質を決定するのは、古今東西変わらない。
その水こそは、市の西北にある「鑒(かん)湖」に発する。
続きは次回・・・。