旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年の見納め、聞きおさめ--①篤姫、宮尾登美子

2008-12-13 14:33:35 | 時局雑感

 

 近くの世田谷文学館で「宮尾登美子展」をやっているので見てきた。
 小説家というのは大変な苦労をしているのだな、と改めて思った。書き続け書き続けて、ようやく賞を得てそれがゴールではなくむしろ始まり、というより、それからの苦労の方が大きいようだ。好きだからやれるのであろうが、名を成すほどにより大なるものを要求され、それに応えられなければ消えていくのだろう。それ以前に、名も成さずに消えていった者はそれに何百倍、何千倍するのであろうが。
 自伝的小説を連載的に書き続けていったようであるが、いくら自伝といっても自己の体験だけを書いていったのでは先は見ている。自己を元にフィクションを重ね、そのうちに自己そのものが発展成長し、一層大きいフィクションを呼び込んでいくのであろう。
 『天璋院篤姫』などの時代小説でも、篤姫という実在を調べつくして、それを豊かな架空の人物に造り上げるのが小説家の仕事だろう。事実から離れてしまえば誰も読まないだろうし、事実どおりに書いてもつまらないのだろう。「事実は小説より奇なり」と言う言葉もあるが。

 そう、NHK大河ドラマ「篤姫」の面白さもあって、私は宮尾登美子展に行ったのだ。久しぶりに大河ドラマを見続けた。それは篤姫という実在の素晴らしさと、それをドラマ化した(つまり実在を超えた人物にした)原作のすばらしさによるのだろう。もちろん演出、出演者もよいからだが。
 中でも一番面白い人物は徳川家定であった。彼の実在がどのような人物であったのか私は知らない。しかし書かれた人物は、政権末期にあって幕府の行く末をすべて見抜き、なおかつその立場から逃げられないがため悟りの境地に立つた人物と思えた。阿呆のまねでもしなければ生きて行けなかったであろう。自伝小説の大家が、歴史上の人物の事実を調べ尽くした上に、どのようなフィクションを重ねて行ったのであろうか?
 家定ともう一人存在感のあった人物は島津斉彬であるが、ドラマの上では既に亡きこの両者が現れる前々回(11月30日)が、この大河ドラマの圧巻、集大成と見た。まさに今年の大河ドラマの「見納め」と思った。
                            


投票ボタン

blogram投票ボタン