「米欧亜回覧の会」のスウェーデン部会について書いたついでに、スウェーデンの福祉について、その考え方について触れておく。
集会でもしきりに語られたところであるが、一般にはスウェーデンを「福祉国家」と呼んでいる。
しかし、スウェーデンは福祉国家なのか?
08年12月31日付本ブログで紹介した『貧困にあえぐ国ニッポンと 貧困をなくした国スウェーデン』によれば、著者竹崎孜氏は、「スウェーデンは福祉国家ではない。貧困をなくした生活国家、生活大国だ」と書いている。
これはどういう意味か?
福祉というのは、貧困を救う手立てのことであろう。貧困が多いほど多大な福祉を必要とする。一方で貧困が拡大すれば、片方でそれを補うための多大な福祉を必要とする。スウェーデンはそんな国ではない。むしろ、多大な福祉をなくした国である、と言っている。
貧困が生じるほど福祉が必要となる・・・そんなことはやっていられない。やがて貧困に福祉が追いつかなくなるであろう。そこでスウェーデンは、その貧困をなくすことに尽力してきた、というのだ。そして現在は、福祉を必要としない--つまり福祉の対象たる貧困をなくした国を築いたというのだ。
だから福祉国家というのはふさわしくなく、「貧困をなくした生活大国」だと竹崎氏は書いている。
このスウェーデンの発想は素晴らしい。原因を放置して結果を防いでいくのではなく、原因をなくすという発想だ。
日本も根本的に発想を変えて、生活大国の建設に取り組まねばなるまい。