土佐が輩出した偉人は多い。日本の近代史は土佐の人々が切り開いたのではないか? 坂本竜馬、中岡慎太郎、武市半平太、板垣退助、岩崎弥太郎、ジョン・万次郎…、はては吉田茂に至るまで。私はその中でひそかに植木枝盛を慕っている。土佐自由党では板垣が有名であるが、その理論的支柱は植木であったと思う。
私がそれを言うと、「酒好きのお前は、植木が全国酒屋会議のストライキを指導したからだろう」と言われるが、それだけではない。確かに植木枝盛が、酒税の増税に反対して立ち上がった明治15年5月1日の「全国酒屋会議」を指導したことは、“幻の酒屋メーデー”として歴史に残るが、植木の業績はそれだけにとどまらない。
土佐自由党が起草した憲法草案は彼の立案によるところが大きく、また婦人層を含めた底辺の人たちを教育して、幾多の婦人活動家を育てたのも彼であった。「自由は土佐の山間(やまあい)より」という有名な言葉は、植木の言とも言われている。
それはさておき、土佐は牧野富太郎という偉大な植物学者を生んでいる。植物学という地味な学問のため、板垣退助や吉田茂などのように華やかではないが、文久2(1862)年に生まれ明治、大正、昭和を生きて、昭和32(1957)年に没するまでの94年の生涯を、植物学ひと筋に捧げた世界的植物学者である。
牧野は、「94年の生涯において蒐集した標本は約40万枚、新種や新品種など1,500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた」(牧野植物園リーフレットより)偉大な人物である。
その業績を語る豊富な資料を展示した記念館を含む「県立牧野植物園」が五台山にある。約6haに及ぶ広大な園地には、牧野ゆかりの野生植物など、約3,000種類が四季を彩るといわれ、すべて回るには優に一日を要する。
私たちは時間の許す限り園地を回り、展示品を眺め、記念館のテラスで食事をとった。これまた、竹林寺の緑にもまして心を豊かにしてくれた。
牧野植物園正面入り口
館内に、牧野の少年期、青年期、壮年期の写真が飾ってあった。少年期の知的な面立ち、青年期の充実感、また壮年期の豊かな風貌が、その成長の跡を物語っていた。
少年期青年期
壮年期