昨日は第18回目の「東京純米酒フェスティバル」であった。思い起こせば2000年に純米酒普及推進委員会を立ち上げ、春に第1回フェスティバルを開いた。以降、春と秋に椿山荘で開催を続け、18回目、9年を経過した。
この間、日本酒を取り巻く環境は確実に変化してきたと思う。シェアーは一貫して下がり続け、生産量4百万石を割り込んだが(ピークは1973年ごろの1千万石)、われわれが主張してきた純米酒は増加を続け、一定の地位を築きつつあると確信する。そして、その対極にあって日本酒離れの主因となったアル添三増酒は、ついに日本酒界から追放されることとなった。
難しい議論はさておき、市井にあって日本酒がどのように扱われてきたかを見れば、いくつかの特徴点が上げられる。私は昨日の純米酒フェスティバル開催前の、出展45蔵元との打合せの席で、次のような挨拶をした。
「10年ぐらい前までは、特殊な地酒専門飲食店を除けば、ほとんどの飲み屋や食事屋で、日本酒は単に“お酒”と表示されていた。全国には2000の蔵があり、何万という銘柄の日本酒が造られているにもかかわらず、すべて“お酒”の一言でかたずけられていた。ところが最近の東京では、ほとんどの飲み屋や食堂で銘柄、産地、酒類(純米酒とか吟醸酒とか本醸造など)が表示されるようになった。私は、これは画期的なことだと思う。
ただ、今でも燗酒だけは“おかん”とか“燗酒”とかの表示で銘柄などの表示は少ない。(中身は大手の普通酒が多い) この燗酒にも銘柄や酒類(特に山廃純米とか特別純米とか)が表示されるようになると、日本酒界はがらりと変わってくるのではないか? 日本人の日本酒に対する意識は、あと一歩で大変革を起こすのではないか? 自信を持って頑張りたい」
私の言いたかったことは、銘柄指定の重要性である。「自分の飲む酒をどれにするか」、「美味しい酒を選び、その銘柄を指定して飲む」ということは、人間としての尊厳の問題と言っても過言ではなく、文化としての食の根本問題である。
私はもう一つ言いたかった(時間がなく言わなかったが)。それは、「飲む酒を選ぶテイスティング」である。(長くなったので次回に譲る)
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