旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ紀行② ・・・ エフェソスの遺跡

2009-10-02 17:11:26 | 

 エフェソスの遺跡は見応えがあった。イタリアをはじめヨーロッパの国々に行くと、何千年も前の遺跡でメシを食ってるなあ・・・とよく思うのだが、ギリシャ・ローマは地中海沿域に次々と殖民国家を築いていったので、あらゆる国々に広大な都市遺跡が残っている。
 しかもエフェソス地方は、キリスト亡き後その母マリアの面倒見ながらヨハネが暮らしたところとか、この大通りはクレオパトラがアントニュースと歩いた道とかいわれが多く、イタリア本国よりロマンに満ちた話が多い。
それらを書き始めるとキリが無いが、面白かった話を二つだけ。
 一つは当時の便所の跡で、オマル状の穴が並んでおる下は水が流れていて既に水洗であった上に、その前に池があり噴水などの水音で排便の音をかき消していたと言うから立派だ。
 もう一つは、遺跡の中でもひときわ目を惹く図書館(写真)にまつわる話。
 驚くべきは図書館の裏側に売春宿が構えられており、男どもは「勉強をしに行く」と図書館に向かい、表から入り中を通って裏から出て売春宿に入り、まさに「社会勉強をして」、再び裏から図書館を通過して表から帰路についたと言う。
 この「男どもの勉強の内容」は、恐らく女性にばれていただろう。とすれば、女どもは全てを知った上で一定の社会的調和を図っていたのかもも知れず、賢明さにおいて女が優れていたことは昔から定まっていたのだろう。
 いや? 男の方もばれていることを知った上で、「これほど苦労して勉強しているのだから、あまりやかましく言わないでくれ」といっていたのかもしれない。

 いずれにせよ、大劇場の設計建築をはじめ、数学、幾何、天文学など人類の到達点は、ギリシャローマ時代に極められていたのではないか? その後、電気や原子力などでスピードや大きさは変化したが、質は変わってないのではないか?
 特に哲学(民主主義を含む)においては、現代の方が低下しているかに見える。
                          

      
エフェソスの大劇場


24節気の酒 ・・・ 秋分 (トルコの酒)

2009-10-01 21:04:16 | 

 このところトルコに振り回されていたが、気がつけば今日は10月1日、「日本酒の日」であるので日本の酒を思い起こした。年初来書き続けてきた「24節気の酒」を書かねばならない。

 9月23日は秋分。24節気は冬至と夏至、春分と秋分で4分される。早いもので今年も4分の3を終えた。昼夜の長さがほぼ同一となる23日から次の24節気である寒露までを秋分とし、秋はいよいよ深まっていく・・・。
 この時節の酒は何か・・・?

 実は、私はこの間とルコに居た。「24節気の酒」は、その日本調の言葉からして日本酒を中心に書いてきたが、この間、日本酒を飲んでいない。(もちろん私はイスタンブールの日本酒を置いてある店を調べて行ったが、ツアーの日程からその店に行く余裕は無かった)
 しかし当然の事ながら「トルコの酒」を飲んできた。出発時点で目をつけてきた酒はほぼ飲んだ。従って、「秋分の酒」はトルコの酒とする。

 トルコにも、醸造酒としてビールとワインがあり、蒸留酒としてラクというスピリッツがある。
 ビールは「エフェスビール」が席巻しており、どこに行っても「EFES」であった。私は店ごとに「Turky Beer without EFES」と注文したが、EFES以外は欧米からの輸入物であった。だから、専らEFESの「Pilsen」と「Dark](黒ビール)を飲んだ。
 美味しいのはワインだ。エフェソスで「KULUP]の白と赤、アンタルヤでは「KAVAKLIDERE]の白、カッパドキアでは待望の赤ワイン「PERIBACASI」と「KOCABAG]を飲んだ。
 そしてパムッカレでは、これまたはじめてのスピリッツ「ラク」を飲んだ。

 トルコのビールはどちらかと言うと淡白、ワインは酸味を主体としたフランスワインより、甘みを重視したドイツワインに近く、私の好みに合った。
 スピリッツ(ラク)は、干しブドウと杏(あんず)を主原料とした蒸留酒であるが、これは、イギリスのウィスキー、フランスのブランデー、日本の焼酎には未だ劣ると思った。

 いやはや、とんだ「24節気」となったが、これもまた酒であり、美味しいトルコ料理とあいまって記念すべき酒となった。
                            


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