旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

後期高齢者健康診断

2013-01-12 13:22:20 | 時局雑感

 

 後期高齢者となると、会社勤めをしていてもその会社の健康保険に入れず、したがって会社の定期検診を受けることができない。杉並区から健康診断を受けるようにとの連絡があり、自分で区内の病院を探して受けねばならない。
 一昨年も昨年も、例の脳梗塞さわぎでいろいろな検査を受けていたので、区の検診は無視していたが、今年は、毎月通っている柴本先生に受けるように言われたので、昨年暮れ、重い腰を上げて柴本先生のところで受けた。その結果が本日判明。

 結果は「ほぼ異状なし」ということになった。唯一異常値は、「γ‐GTPの104」と「GOTの41」であるが、これとて、「前者は常に100から120ぐらいの間だし、後者の41は、正常値40をわずか1オーバーで、まあ誤差範囲内。貴方の酒の量からすれば正常の範囲内、ということにしておきましょう」というのが柴本先生の診断。実に配慮ある有難い診断である。
 もう一つは心電図であるが、「不整脈が一か所あらわれているが、波は小さく、これもまあ心配するほどの結果ではありません」とのこと。「ただ、注意はしてくださいよ」と念を押されたが、この老いぼれにも生きる希望を与えてくれる診断であった。

 もちろん、まだ胃カメラをやっていない。精密なエコー検査などもやっていない。区が定める最低限の検査だ。最低限の検査に引っかからなければ最低限の生活はできるのかもしれないが、いつ何は起こるかわからない、明日死ぬかもわからないという「齢相応の覚悟」だけは持っていよう。


乾杯は日本酒で!

2013-01-11 11:40:49 | 

 

 フルネット社の『Jizake Topics』1月9日号を読むと、冒頭にうれしい記事が載っていた。京都市議会が「乾杯は日本酒で」という条例を可決し、今年1月から施行するというニュースだ。
 議会での可決は全国初めてのことのようで、京都市は今後、市が主催するイベントには日本酒を使うほか、ホテルの宴会などにも日本酒の利用を働き掛けていくということだ。

 私はこのブログでも何度か、「なぜ日本の会合では乾杯酒に日本酒を使わずにビールやウィスキイーの水割りを使うのか?」と疑問を呈してきた。ビールは日本人の飲む酒の70%を占めているのでまだしも、ウィスキーの水割りに至っては全く分からない。
 乾杯のあと食事を取りに行くが、一番長い列のできるのが寿しコーナーだ。それ以外でも刺身類や天麩羅などだ。それらに最も合う酒は日本酒だと思うが、みんなそれを乾杯酒に続くウィスキーの水割りで食べている。(酒も食も好みであるので、文句を言う筋合いにはないが)
 ウェイターが運ぶトレイの上にも日本酒はなく、特別に注文してやっと持って来てくれる。それも大手の普通酒か、せいぜい本醸造酒である。

 あの誇り高きフランスにあっては、ワイン(主としてシャンパン)以外での乾杯など考えられない。日中国交回復を祝う儀式で、周恩来首相が高らかに掲げて田中角栄首相を迎えた酒は、中国が誇る名酒「茅台酒」であった。
 それにつけても昨年4月、当時の古川元久国家戦略大臣が、「日本酒と焼酎を国酒として世界に広めよう」と宣言したことを思い出す。その後、その運動はどうなったのだろうか?今回の京都市議会の動きとあいまって、日本酒の「国酒としての地位」を高めていってもらいたいものだ。


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑱ … 『冬の夜』 

2013-01-08 14:43:37 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 前回の『冬景色』(2012年12月8日付)に続いて、小学校の古い教室を思い出す歌である。これも文部省唱歌で作者は不明。前回も書いたが、こんな素晴らしい歌詞や曲を作った人は、どんな顔してどんな生活を送っていたのだろうかとつくづく思う。それが今や名も残さないところがまた奥ゆかしい。

 燈火(ともしび)ちかく衣縫(きぬぬ)う母は
 春の遊(あそび)の楽(たの)しさ語る
  居並(いなら)ぶ子どもは指を折りつつ
  日数(ひかず)かぞえて喜(よろこ)び勇(いさ)む
   囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
           外(そと)は吹雪(ふぶき)

 囲炉裏(いろり)のはたに縄(なわ)なう父は
 過(す)ぎしいくさの手柄(てがら)を語る
  居並ぶ子どもはねむさ忘れて
    耳を傾(かたむ)けこぶしを握(にぎ)る
    囲炉裏火はとろとろ
          外は吹雪

      (講談社文庫『日本の唱歌(中)』より)

 今年の冬は寒気が厳しく、北陸から東北以北は雪の量も多いようだ。東京にはほとんど目にしないが、北国にはまだこのような原風景が残っているのだろうか? 外は吹雪の荒れ狂う中、とろとろと燃える囲炉裏火を囲む家族の様子を歌い尽くしている。一番の母、二番の父の話に心躍らせる子供たちの姿が目に浮かぶ。
 このような歌に能書きは要らない。ただいつまでも口ずさむのみ。

   
          芦花公園の寒椿


特に計画のない年…

2013-01-06 15:42:22 | 時局雑感

 

 今日でお正月も終わり。門松も片づけた。いわゆる「松も取れた」というやつだ。明日からいよいよ仕事か…、という思いと、改めて今年は何かあったっけ…?、と思いを巡らす。
 仕事の面ではいくつか処理しなければならない悩ましい問題もあるが、これは業務としてはつきもので、いうなれば通常通りということだ。自分の向こう一年の計画を見ると、ほとんど何もない一年といえる。私としては珍しい年だ。

 海外旅行の計画は今のところない。国内旅行も、「春に木曽谷を下ろう」という話が一つあるくらいで、昨年とは様変わりだ。その木曽谷だってどうなることかわからない。予てから、一度ゆっくり辿りたいと思っているコースではあるが。
 酒の話は随時出てくるだろう。すでに年賀状には「ぜひ飲みに行こう」というのが数件あるが、これとて通年ペースだ。酒蔵巡りの」計画も今のところないが、若手蔵元が新しい試みに取り組んでいる蔵で、いくつか行ってみたい蔵はある。
 まあ、例年になく計画のない年で、これも齢のせいかもしれない。神のお達しか?

 そんな中で、娘と「今年は落語と歌舞伎を見よう」と話し合った。娘はミャゴラトーリというオペラ創作集団を主宰しており、専らイタリアオペラを上演しているのだが、単にイタリア文化を引き写しに持ってくるだけでなく、「日本人の視点」を持ちたいというわけだ。
 日本の庶民文化と言えば何といっても落語と歌舞伎だ。娘とともに、「月に一回末広亭に通い、盆と暮れに歌舞伎を見る」、なんてしゃれているのではないか?

    

 


早くも三が日が過ぎた

2013-01-04 10:08:38 | 時局雑感


 好天の続く今年の正月は、早くも三が日が過ぎた。
 元旦。先ず布団の中に新聞を持ち込み、テレビのスイッチを入れて駅伝を合わせ見る。これは例年変わらない。残念なことに実業団の旭化成も大学の早稲田も冴えない。優勝の布石とした旭化成の4区堀畑と早稲田の1区前田がともにブレーキだ。早稲田はその後盛り返して箱根の山登りでは一時トップに躍り出たのでまあまあだったが、旭化成はついに10位にとどまった。(元日のの実業団駅伝と、2日、3日の大学箱根駅伝がごっちゃになって失礼)
 いずれにせよ、この面では不満足な年明けであった。

 家族にせかされ、やがて布団を抜け出し、新年の乾杯をやっておせち料理をつまむ。今年はワイフの計らいで各人一箱あてのおせちだ。12枡に全28品、元旦の朝と夜で完食したのもいたが、私は三が日をかけて酒の肴とした。なかなか好評のおせちであった。

 
            

 やがて年賀状が来る。今年は例年になく、すべての賀状をじっくり読んだ。明るい近況報告もあるが、悲しい知らせもいくつかある。中でも、癌の発病と闘病生活の苦しさを伝える人が多い。不安が迫ってくるが、払いようのない年齢に達してきたのだ。

 夜は、31日の2チャンネル「らららクラシック」、元旦はウィーン「ニューイヤー・コンサート」、3日はNHK「オペラコンサート」と専ら音楽。これも例年と変わらない。つまり、今年も平凡な滑り出しだ。
 


日本は何を目指して生きていくのか?

2013-01-02 15:52:08 | 時局雑感


 新しい年を迎えた。二日間とも雲一つない快晴…、その限りでは明るい年明けであるが。
 ここ半世紀、日本はひたすら量の拡大を求めてきた。それはバブルとなってはじけたが、それでもなお相当な物が残って、これまでのような量の拡大が今後の指標ではあるまい。貧困層の深刻さはあるが。
 国民の幸せとか、生きる喜び・充足感とか、安心とか…、何か質的な「目指すべき物差し」はないのか? これだけ意識が多様化してくれば、一つの物差しでは統一できないのであろうが、少なくともGDPに代わる質的な目標が必要であろう。

 そんなことを考えながら、昨日も今日も散歩に出た。昨日(元旦)は歩いていると上高井戸の第六天神に出たので、30メートルぐらいの列に並んで初詣をした。若者の多いのに驚いた。若者たちは選挙には行かないが初詣には行くのだ。みんな願い事をしておみくじを引いていた。たぶん、幸せを願っているのだろう。私もおみくじを引いたら大吉であった。「おもうがままの運です」とある。おみくじ通りに行ったためしはないが。

 今日は松沢病院を一周した。わが家からの時間を加えて30分。松沢ケヤキ公園のケヤキが美しかった。冬のケヤキもいいものだ。余分なものは何もなく風格をたたえてスッくと立っていた。量より質を感じっさせるのが冬のケヤキだ。

 

  

     
              松沢病院「将軍池」


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