旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

臼杵・阿蘇・久住の旅⑤ … 激変した天候と こぼれ話

2013-12-12 15:52:58 | 

 

 この旅の最大の特徴は天候であったのではないか? 初日は雲も多かったが先ずは晴れ。二日目は、臼杵を発つときは晴れていたが阿蘇に近づくにつれ曇り、やがて雨まじりとなり大観峰では一瞬、雹を伴う豪雨に見舞われた。
 三日目は、コテージを出るときは晴れたが牧ノ戸峠は霧氷に覆われており、夢の大吊橋から晴れ間が出たが湯布院に降りると突如雪、その雪が上がると美しく晴れ渡った。最後は初日と同じ穏やかな晴が続いた。
 この激変は何であったのか? 正に晴女と雨男、雨女と晴男の格闘のごときであった。実はこのグループは、過去3回の旅で、熊野古道で晴と豪雨、秋田西馬音内では晴続き、桧枝岐・尾瀬の旅では雨、と激動が続いている。誰が原因かを見極めるため、次回からメンバーを少しづつ変えてみることにした。

  
 牧ノ戸峠への九重山群の山肌は幻想的な霧氷に覆われ,
    
由布院は美しい紅葉が柔らかい秋の日差につつまれていた
  
  途中、夢の大吊橋(高さ173m、長さ390m)にも行きました


 最後に、この旅の目玉「ふぐ」にかかわるこぼれ話を一つ。
 当初このフルコースの料金は酒など飲み物を含めて1万円を予定した。弟が卸し屋から直接購入、極力廉価を図ってくれたのだが、加えて、諸準備(野菜切りから配膳など)から洗い片づけまで、6人のご婦人参加者が手伝った。6人は東京からエプロン持参で参加したのだ。
 それに感動した弟夫婦は、本来手配すべき賄い婦代が不要になったと料金を8千円にしてくれた。これに感動した我々はお礼として、翌日行動を共にする弟夫婦のホテル代を負担することにした。
 これに再び感動した弟夫婦は、「それでは申し訳ないので…」と参加者全員にカボスを送ってくれることになった。
 結論的には、東京からエプロンを持参してカボス一箱をゲットしたというわけだ。この損得どう軍配を挙げるべきか? ちょっとした心遣いと共同作業でみんな得したのではないか? 


臼杵・阿蘇・久住の旅④ … 文化 とくに文学

2013-12-11 13:05:41 | 

 

 この旅でわれわれは単に食ったり飲んだりしていたわけではない。それぞれの地の多くの文化に触れた。特にその文学について。

 大分空港から臼杵に向かう途中、先ず別府サービスエリアから別府湾を遠望…、眼下に広がる別府市街を眺めながら、有名旅館『赤銅御殿』にまつわる柳原白蓮(歌人、大正の三美人)と伊藤伝右衛門(筑豊の炭鉱王)と宮崎隆介(左翼活動家)の恋物語に思いを馳せた。

  
   別府湾、別府市街から高崎山を望む

 臼杵では野上弥生子記念館を訪れ、その99年の生涯と豊富な資料に触れ、夏目漱石など多くの作家や文化人との交流をしのんだ。弥生子の実家は造り酒屋であり、そこで利き酒もさせてもらったが。

   
     弥生子の生家小手川酒造株式会社

 飯田高原には川端康成をしのぶ碑がある。川端は昭和27年と28年にこの地を訪れ、名作『千羽鶴』の続編『波千鳥』を書いた。それを記念する碑であるが、中央のスェーデン産の黒御影石に「雪月花の時 最も友を思う 康成」と書いてある。ノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」の中の言葉である。

   

 文学をしのぶ圧巻は、阿蘇草千里で三好達治の詩『大阿蘇』を朗読したことである。折しも小雨が降りそそいだが、それは最高の舞台となった。

      
      大 阿 蘇

雨の中に馬がたっている
一頭二頭仔馬をまじえた馬の群が 雨の中にたっている
雨は蕭々(しょうしょう)と降っている
馬は草を食べている
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐっしょり濡れそぼって
彼らは草を食べている
あるものはまた草もたべずに 
きょとんとしてうなじを垂れてたっている
雨は蕭々と降っている
山は煙をあげている
中嶽の頂から うすら黄ろい 
重っ苦しい噴煙が濛々(もうもう)とあがっている
空いちめんの雨雲と やがてそれはけじめもなしにつづいている
馬は草を食べている
草千里浜のとある丘の 
雨にあらわれた青草を 彼らはいっしんに食べている
たべている
彼らはそこにみんな静かにたっている 
ぐっしょりと雨に濡れていつまでもひとつところに 
彼らは
静かにあつまっている
もし百年が この一瞬の間にたったとしても 
何の不思議もないだろう
  雨が降っている 雨が降っている
  雨は蕭々と降っている
  
  草千里と、噴煙ならぬ雨雲のかぶさる中岳を望み『大阿蘇』を朗読
    

 

 


臼杵・阿蘇・久住の旅③ … 食と酒、とくに“ふぐ”

2013-12-09 13:31:03 | 

 

 食べ物で大分県の名産と言えばシイタケやカボス、魚では関アジ、関サバに城下カレイなど。しかし何と言っても臼杵のふぐであろう。そのポイントは“きも”にある。
 ふぐの毒はきもに集中する。したがって一般にはきもを食べることを禁じているが、臼杵はこれを大目に見ている。この旅の初日、臼杵の街を散策したあとわが実家で、この『臼杵のふぐ』を満喫した。

 まず山盛りに出てくるきもを小どんぶりに取り、カボス醤油でドロドロに溶く。それに「ふぐ刺し」(関西では“てっさ”と呼ぶ)の白身をたっぷりまぶして食べる。ふぐといっても白身自体はたいして美味しいとは思わない。むしろヒラメやカワハギの方が美味しいかもしれない。しかしこのカボス醤油で溶かしたきもにまぶして食べるからおいしいのだ。

  ふぐ刺しときも
              

 次に出てくるのが「ふぐチリ」(関西では“てっちり”という)だ。骨付きのふぐの実がたっぷり入っている。それから「ふぐのから揚げ」が出て、最後の「ふぐ雑炊」と続く。酒もまわり満腹となるが、不思議にこれがすべて食べられるのである。

   
       
      

 酒はもちろん臼杵の銘酒一ノ井手『慶』。何度も金賞を受賞した大吟醸酒である。これはみんなに喜んでもらった。加えて一ノ井手『特別純米酒』の「ふぐのひれ酒」。ひれ酒には一般にはいい酒は使わないが、大サービスで特別純米酒のひれ酒としゃれこんだ。
 いやー、美味しかった!

 もちろん大分の食はふぐだけではない。翌日阿蘇に向かう途中立ち寄った道の駅で、野菜や果物の安くて美味しいのに歓声を上げ、それぞれかなり買い込んだことを、他の食品の名誉のために書き添えておく。


絶対に忘れまい 安倍自公政権のこの暴挙を … 秘密法案強行採決

2013-12-06 11:21:29 | 政治経済

 

 安倍自公政権が特定秘密保護法案を強行可決した。これほどの重要法案を、これほど国民各層が問題点を指摘する法案を、衆院審議1か月足らず、参院審議に至っては1週間余の審議で強行可決した。しかも野党の質問時間を残しながらそれを打ち切ってまで強行した。

 今朝の各紙を読むと、日経新聞のように一面下段に「秘密保護法案参院で可決」と、淡々と事実のみを報道している新聞もあるが、東京新聞は一面トップの大見出しで「民主主義の否定」と断じている。
 また毎日新聞は二つの社説を掲げてこの暴挙を糾弾している。一つは「議会政治を壊す暴挙だ」で、もう一つは「反対の声を無視 民主主義と人権の危機」と題する社説だ。

         


 近時、これほど各階層が幅広く反対と慎重審議を呼び掛けた法案はない。法曹界や言論界はもちろん学者や作家、また映画、演劇、芸能各団体、幅広い文化団体がこの法案の危険性を指摘した。マスコミも温度差こそあれ問題点を指摘し続けた
 それをなぜ安倍自公政権は無視したのか? 赤旗は「国民に追い詰められた末の暴挙」と、共産党志位委員長の会見内容を報じている。
 その背景には絶対多数を占める数の論理と、向こう3年間は選挙がなく、国民はそれまでに忘れてくれるだろうという傲慢さがあると思う。
 
 いま一番重要なことは、一刻たりともこの安倍自公政権の暴挙を忘れず、この無法な法律の無効を叫び続けることだろう。


臼杵・阿蘇・久住の旅② … 温泉

2013-12-05 11:01:17 | 

 

 九州は温泉の宝庫である。若い時から阿蘇山、九重山、由布岳などによく登ったが、どこに下りても温泉があった。この旅の目玉の一つも温泉である。
 臼杵市内には昔は温泉がなかったが、最近石仏の深田の里に「臼杵湯の里」という温泉宿ができた。初日はそこに宿泊。もっともふぐを囲む大宴会の後だけに寝るだけになったが…。

 最大の目玉は二日目の『久住高原コテージ』の露天風呂から阿蘇五岳を一望するというものであった。ところが残念ながら悪天候で展望がよくなく、この目玉は外れた。三日目の早朝は五岳を遠望できたが快適とは言えなかった。そこでここには、昨年五月に訪ねたときの写真を掲載しておく。

    
  「久住高原コテージ」の露天風呂から久住高原、阿蘇根子岳を望む
    (2012年5月撮影)

      
  
  コテージ前に勢ぞろいしたご一行(これは今回の写真)


 もう一つの目玉は、今や人気の黒川温泉を「温泉手形」を片手に梯子湯をすることだった。しかしこれも雨模様のために、駐車場に隣接する『南城苑』という湯につかっただけとなった。いずれも思い半ばであった。

        
    
       黒川温泉の風情  

 九州の温泉といえば昔は別府であった。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と言って、1000を超す温泉が湧くと言われている。しかし観光化と大手ホテルの顧客囲い込み(買い物・レジャー施設をホテル内に設け客を独占)から商店街が寂れ、街は沈滞した。
 その陰で由布院が栄え、近時は黒川温泉がブームを呼んでいる。 


臼杵・阿蘇・久住の旅① … 歴史

2013-12-04 14:55:22 | 

 

 既報の通り11月26~28日、中身の濃い九州の旅をしてきた。何度も書いたように「錦秋の阿蘇・久住を回り 臼杵に行ってふぐを食べよう」という旅であったが、この旅で多くの歴史に触れた。

 まず最初に訪ねた臼杵石仏。これは今から約千年前、平安末期から鎌倉時代にかけて彫られた磨崖仏で平成6年国宝に指定された。ただ資料が乏しく彫った人物すら定かでない。
 真名野長者伝説から運慶説まであるがそれは別項に譲るとして、いつ見ても心を鎮めてくれる仏像だ。一行の中には「手を合わせていたら、極楽に行けるお許しをいただいた」と喜んでいた人もいた。

  
          

 ついで臼杵の街を散策する。まず上った臼杵城(別名丹生島城)はキリシタン大名大友宗麟が1562年に築城、宗麟没(1587年)後、福原直高、太田一吉を経て1600年、美濃国郡上八幡より稲葉貞通(5万石)が入封して明治まで続く。その城下町の名残をとどめる臼杵の街を散策した。

           
   

 歴史といえば二日目に訪れた阿蘇山噴火の歴史は30万年に及ぶ。阿蘇山とは、30万年前から9万年前に4回発生した巨大噴火でできたカルデラと、その中に後の爆発でできた五岳を含めた総称である。
 カルデラの周囲は広大な外輪山(旧噴火口)に囲まれ、その広さは東西18キロm、南北25キロmに達する。(北海道屈斜路カルデラに次いで2位) 9万年前の噴火による噴出物は600キロ平米(ほぼ富士山全部の大きさ)といわれている。(以上Wikipediaより)

    
        その日も噴煙を上げていた中岳

 


四半世紀を超える交流 … 三井ホームリンケージ 1,2期生同窓会

2013-12-02 12:54:52 | 時局雑感

 

 このところ年末行事として定着した催しに、三井ホームリンケージ 1,2期生同窓会がある。1、2期生というのは、いわゆる創業期に苦労を重ねた仲間だ。
 私は三井銀行を定年退職して三井ホームに転職、その金融子会社の設立に参画した。会社の設立から商品開発、諸規定、諸書式、伝票一枚から新規に作成するところから始めたので、創業期の人たちにはご苦労をかけた。
 今回参加者は6名だけであったが、既に45歳から51歳となるがみんな昔の容姿をそのまま残している。男は仕事の中堅、女は正に女盛りでますます美しい。
 新宿高島屋近くの『お菜家』でやったが、アッという間に4時間が経過していたのには驚いた。特に開業当時の裏話を披露したので盛り上がったせいもある。
 25年という歳月を越えてなお、このような交流が続くことを心から嬉しく思う。

        
  
            

     


川内優輝選手の激走に拍手! … 福岡国際マラソン

2013-12-01 15:21:59 | スポーツ


 久しぶりに川内選手の激走を見て心が躍った。
 来客があり後半戦しか見れなかったが、テレビのスィッチを入れると川内選手がトップを走っていた。中間点を過ぎペースメーカーが抜けると、川内選手がスピードを上げてレースを作ったという。しかしすでに苦しそうな顔をしていた。
 30キロを過ぎるとケニアの2選手がスパートして、川内は3位グループとなるが、依然として顔をゆがめているので、「さすがに今日はダメかな?」と思いながらテレビを見つめる。
 一時3位グループの最下位を走っていたが、35キロ頃から3位グループを抜け出す。解説者の瀬古氏も、「あの顔でよく力が出るねえ」と感心している。何とか2位を狙って欲しいと、ファンとしては欲を出す。そこまではいかなかったが、最後は2位の選手に5秒差まで詰め寄る激走に拍手を送った。
 アナウンサーによれば、川口選手は「今日のレースに選手生命をかけて、7分30秒を切れなければ、今後日本代表を狙うことはしない」と言っていたそうだ。
 タイムは9分5秒。3位であるが日本人トップだ。立派な日本代表ではないのか? せめて7分台が出なければ世界に通用しないことはわかるが、どんなに苦しくても最後まで力を出し切る川口像が国民的支持を得ているのだ。
 とにかく走り続けて欲しい。そして、実現すかしないかは別にして、今後も日本代表を狙い続けてほしい。国民が期待するのは、日本代表かどうかより彼の「激走する姿」なのだ!


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