旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

高校同窓会「まほろばミーティング」

2014-03-12 14:30:48 | 


 昨日は観音崎灯台に行ったことを書いた。なぜそのような所に行ったかと言えば、高校同窓会で三浦海岸に一泊旅行をしたことによる。
 大分県立臼杵高等学校第6期生であるある我々の仲間は、東京近辺に30人ぐらいは居るのではないかと思われるが、その中の同志が、時折三浦海岸駅近くの『マホロバマインズ三浦』というホテルに集まる。題して「まほろばミーティング」…、何の目的もなくただ集まって杯を交わしつつしゃべるだけだ。
 一時は20人ぐらい集まっていたが、一昨日はわずか9人であった。78歳ともなればどこかに故障が生じ、様々な病名を理由に参加者が減っていく。まあしかし、不参加者の「返信用不参加理由ハガキ」も話題にしながら、時に及んではその席から見舞電話を掛けたりして全員の親睦を深めている。
 今年はみんな79歳…、昔流にいえば傘寿(数えで80歳)を迎えるのだから仕方あるまい。

    

 その翌日、ゆっくり朝食をとって、またしばらくしゃべって、ゆっくり腰を上げて観音崎灯台まで行ったというわけ。
  三浦海岸駅の河津さくらはきれいであったし、ホテルからの眺め「東京湾と千葉県の鋸山」も立派でした。

 
       


快晴、強風の観音崎灯台

2014-03-11 15:31:24 | 


 昨日、三浦半島の観音崎灯台に行ってきた。快晴で空は青く澄み渡っていたが、強風が吹き荒れ東京湾には白波が躍っていた。

   

 海岸沿いに長い石畳の道を歩き(石畳は軍の関係か、相当古い歴史を持つと聞く)、150メートルぐらい登ると灯台に着く。管理のおばさんに「風が強いので注意するように。帽子はもちろん、眼鏡も吹き飛ばされるかもしれないので外したほうがいい」と注意を受ける。「低視力(0.5)の上にメガネをはずされては歩けない」と眼鏡だけはかけて灯台に上る。
 北側にはとても出られなかったが南側は大した風もなく、快晴の下に広がる美しい東京湾を睥睨した。

 説明によれば、観音崎灯台は日本初の洋式灯台で、慶応2(1866)年アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ改税条約(江戸条約)で建設を約束した8か所の灯台の一つで、明治元(1868)年11月1日着工、同2年2月11日完成、点灯したという。
 フランス型の第3等フレネル式レンズ、3重心灯器を使用、光達距離は約26kmだった。また、着工日の11月1日は灯台記念日と指定されている(Wikipediaより)。灯台記念日など初めて知った。映画「喜びも悲しみも幾年月」の記憶はあったが、何ごとも行ってみなければわからない。

  
    


酒とストレス

2014-03-08 20:37:38 | 

 酒は体に悪いのか、それとも、適量の酒は食欲を増しストレスを解消し、むしろ健康維持によいののか…、酒飲み派とそれを阻止しようとする派との不毛の論争が続く。

 漢の王漭(おうもう)の著『食貨志』に、「夫れ塩は食肴の将、酒は百薬の長にして、嘉会の好なり」という言葉がある。「塩は食肴に欠かせぬものであり、酒は百薬の長としてめでたい会合に相応しい」という意味であろう。
 難しいのは「酒は百薬の長」という意味であり、もちろん適量を前提とするのであろうが、果たして酒は害を及ぼさないのか? 適量なら「どのような薬にも勝る」と王漭は言うが、片方に「できることなら飲まないほうがいい」という一般論がある。もちろん、それを言うのは奥様方で、主人の身を案ずる一心からの言であろうが。

 奥様や家族にそれを言われる主人は、何とか酒を断とう、減量しようと日夜苦しむ。それは強烈なストレスとなって心をむしばむ。このようなストレスこそ現代病の元凶であるという有力な説もある。
 王漭はこれらのことが分かって書いたのか? それとも漢の時代にはストレスなどなかったのか? 


確定申告を終えました

2014-03-06 21:03:29 | 時局雑感


 今日、2013年度確定申告書の発送を終えた。昨年のブログを読み返すと、3月6日のテーマが「悪戦苦闘中のインターネット確定申告」となっている。昨年は、今日現在まだ悪戦苦闘していたのだ。
 それから見ると今日の発送には一段の進歩があった。実は今年の申告書の作成は一週間ぐらい前に終わっていた。期限まで余裕があるので今日まで発送を放置していたのだ。
 そう書くと相当に余裕があったようだが、実は今年も会社に持ち込み、何人かの同僚の協力を得ながら作成した。ただ、昨年の経験があるのでずっと楽であった。おおよそシステムの概要を把握した。来年からはもっと楽に作ることができるであろう。

 私のような老いぼれでも、インターネットの使用で少しづつでも進歩するものなのだ。ブログを書き始めて7年になるが、文字打ち込みの速さはもちろん、写真の使い方など格段に進歩している。
 ただ、このインターネットの世界が、その効用に反して異常な世界を作り出して人々を狂わしているのではないかということが気になる。このところ毎日放映されている千葉県柏市の殺人事件など、24歳の若者の狂気はインターネットの世界が生み出したのではないかと気になる。
 ダイナマイトも原子力も、その発想・製作者の意図と全くかけ離れて使用されて来た。世の進歩が、その正反対の退廃を生む。正気のそばに常に狂気が共存する。恐ろしいことだ。
 


風格がただよってぃた超高齢者の外食風景

2014-03-05 14:54:58 | 


 行きつけの飲み屋の一つに『かわしまや』という店がある。八幡山駅の近くで、わが家から3百メートルぐらいの距離にあるのでよく利用する。もう亡くなった先代のころは寿司屋で、これまたよく出向いたり出前を取ったりしてきた仲だ。
 いまは若夫婦が、和食が中心であるが若者向き洋風料理も取りそろえ、酒も日本酒、焼酎、ワインなどが並ぶ。日本酒も各地のいい酒が置いてあるので私の好みにもぴったりだ。

 昨夜、カウンターで「野菜たっぷり湯豆腐」をつつきながら「早瀬浦」の燗酒などを傾けていると、隣の席にご高齢のご夫婦が食事に来た。前から見かける常連客であるが隣り合わせは初めてだ。
 しばらくして言葉を交わすと、ご主人は96歳、奥様は81才とのこと。「今日は体の加減でお酒は飲めないが、この店の料理はおいしいから…」と、数品の料理を注文して二人でシェアーしながら食べている。
 お二人の健啖ぶりにも驚いたが、何といっても96歳になって美味しいものを求めて外食に訪れる姿に、私は感動すら覚えた。元気のもとは「元海軍主計中尉(中曽根元首相の一つ後輩)として第二次大戦を戦ってきたこと」と言っていたが、78歳の私など子ども扱いという風格があった。
 自分は、96歳まで生きること自体ありえないだろうが、もし生きたとしても「美味しい酒と食を求めて」外食に向かう余力と風格を残しているだろうか?


気になるウクライナ情勢

2014-03-03 16:21:11 | 政治経済


 ウクライナ情勢が不安になってきた。プーチンは議会の軍隊派遣承認を得て、ロシアの軍事介入が本格化してきた。
 小国の内政不安の裏には必ず大国の動きがあり、やがては当該国民そっちのけの大紛争に転化していくのは世の常であるが、ウクライナはかつてからソ連の穀倉地帯であり、ソ連崩壊後もロシアと密接な経済関係にあった。それがEUに目を向け、ロシア離れの動きを見せ始めたとなれば、ロシアは黙っているわけにはいかないのだろう。
 さっそくオバマ大統領が軍事介入自粛を呼びかけたが、プーチンは「国益は守る」と介入方針から一歩も引く気配はない。(余談であるが、オバマの電話姿がテレビに写しだされたが、ジーパン・腕まくりの電話姿はカッコ良かったなあ)
 しかも、クリミヤ半島住民の60%はロシア人というから、「国益を守る」という大義名分を引き下げることはないだろう。またまた周辺を含むウクライナの一般国民の生活と平和が大国のエゴに踏みにじられて、戦火にまみれた悲惨な姿を見ることになるのだろう。それだけで心が痛む。
 同時にこのような各地の紛争が、安倍政権の軍事強化政策に口実を与え、集団的自衛権の容認や憲法改悪に拍車をかけることを憂う。何度も書いてきたように、21世紀も戦争の世紀になるのだろうか?


やっと三月…、厳しかった二月をふり返る

2014-03-01 14:21:39 | 時局雑感

 


 やっと三月を迎えたというのに、今日は朝から雨模様…。うすら寒く小雨が降り続く。6日は24節気の啓蟄だが、虫たちは穴から這い出る準備ができているのだろうか?
 庭に目を向けると紅梅が小さい花を保持し続けている。

    

 今年の2月は厳しかったから、さぞつらかっただろうと思う。何といっても観測史上(120年)最大の雪が降り積もり、周囲に雪の塊が残り続けて10日近く続いた。小さい花房に雪が降り積もる姿は見ていても可哀そうであった。

   
       
              2月14日の雪


 まあ、そう心配することはないのだろう。自然を生きる生物たちは、過保護に育った人間のようにヤワではないだろう。120年ぶりの大雪をむしろ楽しみ、新たに生きる糧にしたのかもしれない。
 虫たちも、啓蟄の日を今や遅した待ち構えているのだろう。


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