慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

知恩院散策(11/12/31)

2011年12月31日 | 観光

山門(国宝)

知恩院を大晦日散策しました

知恩院は、全国でも名高い寺院ですが、参拝の機会少なく今回が2回目です
知恩院は、浄土宗総本山の寺院です(寺号華頂山知恩教院大谷寺)
本尊は、法然上人像・阿弥陀如来です
開基は法然上人です

歴史
知恩院は、法然上人が、知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とします
  法然上人は「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意しました
三門、本堂(御影堂)とする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからです
徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、朝廷を牽制する政治的な背景が有りました


御影堂(国宝)

国宝
三門は、高さ24メートルで、現存する日本の寺院の三門のなかで最大の二階二重門です
本堂は、徳川家光によって建立され、法然の像を安置することから、御影堂とも呼ばれています


大方丈


庭園

重要文化財
経蔵は、宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられています
大鐘楼は、大鐘で、除夜の鐘を突く模様は年末のテレビ番組でたびたび紹介されています
大方丈は、入母屋造りの書院建築で、鶴の間を中心に狩野の筆になる襖絵が彩られています
  御影堂から大方丈・小方丈への廊下が、歩くと鶯の鳴き声がするため「鶯張りの廊下」と呼ばれています
庭園は、「二十五菩薩の庭」と呼ばれ、阿弥陀如来が西方極楽浄土から25名の菩薩を従えて
 来迎する様を石と植込みで表現したものです

お陰さまで、2011年6ケ月間は、関西中心のブログが記載できました、
20年間以上生活した、歴史のある関西(特に京都)の素晴らしさを再確認しました
迎える2012年も、『デスカバーエンペラー&京都』のブログ記載致します
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都初詣(11/12/31)

2011年12月31日 | 観光
初詣散策

初詣の起源
「年蘢り」と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に蘢る習慣でした
その後、「年籠り」は大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれました
明治以降では、氏神や恵方とは関係なく有名な寺社への参詣が普通になっています

今回は、大晦日京都で有名な社寺3ケ所の「除夜詣」を実施しました

平安神宮
主祭神 桓武天皇 孝明天皇


平安神宮の大晦日(人出ガラガラ)




平安神宮大晦日(神社関係者の今日の夜の準備の様子)

八坂神社
主祭神 素戔嗚尊(スサノヲノミコト 暦)他




八坂神社の大晦日カウントダウン前(人出ガラガラ)

伏見稲荷
主祭神 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ 稲)他




伏見稲荷の大晦日(人出ガラガラ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本能寺・錦市場散策(11/12/29)

2011年12月31日 | 観光
本能寺・錦市場散策



本能寺

概略
法華宗本門流の寺院です
本尊は、日蓮が定めた久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の曼荼羅です
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られてます

歴史
「本応寺」という寺号で、室町時代の1415年、日隆によって創建されました
本能寺は、種子島に布教していたことから、鉄砲・火薬の入手につき戦国大名との関係が深く
 織田信長はこの寺を上洛中の宿所としていました
豊臣秀吉の命で、現在の寺域へと移転され、現在の御池通と京都市役所を含む広大な敷地でした
 江戸時代には末寺92を数える大寺院になっていました


織田信長廟(本能寺)



安土桃山城跡(JR安土駅=急行も止まらない田舎の駅、時代の栄枯盛衰を感じる駅です)


(バーチャル安土桃山城)

本能寺の変

織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君信長と後継者の信忠を襲い、
自刃させたクーデターです
光秀が反旗を翻した原因については定かではなく、光秀の恨みや野望に端を発するという説、
光秀以外の首謀者がいたとする説も多数あり、日本史上の大きな謎のひとつとなっています

情勢
織田信長は畿内とその周辺を手中に収め、武田氏を滅ぼしました
関東の後北条氏、東北の伊達氏、九州地方の大友氏は信長に恭順を示していました
信長の敵は、中国の毛利氏、四国の長宗我部氏、北陸の上杉氏、九州の島津氏でした
*毛利氏は、織田軍の将・羽柴秀吉の前に後退に次ぐ後退で敗戦状況で有った
*上杉氏は家督争いと相次ぐ家臣の反逆によって疲弊していました
*九州は大友氏や龍造寺氏が信長に属する意志を伝えていました

光秀の行動
光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣し京に向かいました
桂川を渡ったところで「敵は本能寺にあり」と宣言した

変の要因
光秀は『自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、一族家臣は子孫に至るまで信長様への
 御奉公を忘れてはならない』という文を記しており、信長に心服していました

黒幕の存在を想定する説が多いです
*足利義昭説 (自分を備後国に追放した信長に恨みを抱く足利義昭が、旧家臣である光秀に命じたとする説)
*朝廷説(信長は朝廷を滅ぼす意思を持っているのではないかと考え、信長を殺そうとしたという説)
*イエズス会(イエズス会が日本の政権交代をもくろんだとする説)
*羽柴秀吉説(本能寺の変をきっかけに秀吉が天下人となり「もっとも利益をえた者を疑え」という推理の説)
*徳川家康説(天海僧正=光秀、家康が変に賛同し、事後に僧侶として生存していた光秀を匿ったという説)
黒幕などないという説
*本能寺の変後は混乱する近畿を治める絶好の機会であったのに、誰も何の行動も起こしていません
*信長の野望阻止説(光秀の軍勢が本能寺に向かったのは信長の命令で、信長は光秀の軍勢を使って野望を
実行しようとした)

豊臣秀吉廟(京女の近くの山頂、通路は荒廃しており時代の栄枯盛衰を感じました)



錦市場

中京区のほぼ中央に位置する錦小路通のうち「寺町通 - 高倉通」間の商店街です
魚・京野菜などの生鮮食材や、乾物・漬物などの加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都温泉道散策(11/12/28)

2011年12月31日 | 観光
あがりゃんせの湯


概況
滋賀県雄琴温泉に有ります
坂本駅から、無料送迎バスがでています
料金は、1、300円(但しイオンクレジットカード等持参)300円引きです

印象
露天風呂の広さは一番です!京滋最大級です、男湯は琵琶湖が一望できます
露天風呂には、ドリンクバアーが有り、グラス片手に琵琶湖一望は最高です
2Fにマンガコーナーが多数あり、リクライニングシートに腰掛けて、テレビをみれます
マッサージチェアは無料で、素晴らしいサービスぶりです
 *但し休日等は非常に込んでおり、リクライニングシートには残念ながら今回座れませんでした
今回入浴した中で、一番印象の良いお風呂でした

もなこの湯


パチンコ屋、ボーリング場が併設したお風呂です

概況
宇治市大久保に有ります
料金は、500円です

印象
こんな近くにあった利便性の良い!京阪神のアミューズメント温泉です
但し風呂には余り特徴が無いです


露天風呂が有る、広い街中の銭湯って雰囲気、薬草湯はありましたが、温泉はありません
それに、シャンプー・石鹸の備え付けもないです。
但し東京都の公衆浴場の入浴料金は、450円でそれに比べれば、リーゾナブルな温泉です
自分自身が、準備を確りして行けば、料金・環境・利便性等考慮すると2番目に印象の良い風呂でした

伏見やまとの湯



概況
京都市伏見区に有ります
料金は、750円です

印象
ジャグジー湯の種類多く、ジャグジー湯船を散歩できます(7つのジェット浴槽が有ります)
にぎやかなスーパー銭湯遊べる、温泉で露天風呂に使う水は亀山からの運んでいるお湯です
ツルツル感があって湯上がりの爽快度も格別です
今回入浴した中で、3番目の風呂でした

上方温泉 一休 京都本館




概況
京都府城陽市に有ります
料金は、1、350円です

印象
広大な敷地に、自然美を損なうことなく純和風に整えた平屋建築は、老舗旅館の趣きです
山々を借景に、流れる滝を眺める「滝の湯」は趣があります
単純温泉はPh9.4のアルカリ性でツルヌルの浴感があります
今回入浴した中で、料金高く・利便性悪く・アフターシェイビングローション無く4番目の風呂でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする