🌸藤原氏を作った男、中臣鎌足
☆飛鳥時代、日本の歴史を大きく変えた事件「乙巳の変」
*天皇も凌ぐ権勢を誇っていた蘇我入鹿が暗殺された
☆「乙巳の変」政変のキーマンが中臣鎌足
☆中臣鎌足が「乙巳の変」を計画した
*中臣鎌足には、蘇我氏への強い怒りと政治家として野心があった
☆鎌足誕生伝説の真相は、後世の作り話
☆中臣鎌足に「藤原」の氏名が死の間際に与えられた
⛳中臣鎌足のプロフィール
☆飛鳥時代の貴族・政治家中臣御食子の子、母は大伴智仙娘
☆日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖
☆早くから中国の史書に関心を持つ
*儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた
☆鎌足は、中臣氏の家業であった祭官に就くことを固辞した
*密かに蘇我氏体制打倒の意志を固め、擁立すべき皇子を探した
*初めは軽皇子(孝徳天皇)に近づき、後に中大兄皇子に接近した
*蘇我一族内部の対立に乗じて、蘇我氏の一族を味方に引き入れた
☆乙巳の変
*中大兄皇子・石川麻呂らと協力し、蘇我入鹿を暗殺
*入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやった
☆乙巳の変の功績から、内臣に任じられ、軍事指揮権を握った
☆大化の改新を推進する中大兄皇子の側近として活躍した
*保守派の左大臣らと対立した
☆新冠位制度では大錦冠を授与された
*後大紫冠に昇格、天智天皇から大織冠を授けられ内大臣に就任した
☆大化の改新の中心人物
*改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍
☆藤原氏繁栄の礎を築いた
⛳中臣鎌子、藤原氏の名称への変更
☆中臣氏の一族で初期の頃、中臣鎌子と名乗っていた
*その後中臣 鎌足に改名
☆中臣 鎌足は、臨終に際大織冠とともに藤原姓を賜った
*生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用いる
*「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる
⛳藤原鎌足の出生地とお墓
☆出生地は、大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)他諸説ある
☆「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した
☆藤原鎌足の墓どころは定かでない
☆阿武山古墳で発見された棺に入っていた冠帽が発掘された
*当時の最高級の技術で作られ、金糸を織り込んだもの
☆ 藤原鎌足の墓は、阿武山古墳ではないかといわれている
(敬称略)
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⛳出典、BSTBS『にほんの歴史鑑定』
藤原氏を作った男、中臣鎌足
(『にほんの歴史鑑定』テレビ画面他より画像引用)