慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

藤原氏を作った男、中臣鎌足

2021年11月01日 | 歴史
🌸藤原氏を作った男、中臣鎌足

 ☆飛鳥時代、日本の歴史を大きく変えた事件「乙巳の変」
 *天皇も凌ぐ権勢を誇っていた蘇我入鹿が暗殺された
 ☆「乙巳の変」政変のキーマンが中臣鎌足
 ☆中臣鎌足が「乙巳の変」を計画した
 *中臣鎌足には、蘇我氏への強い怒りと政治家として野心があった
 ☆鎌足誕生伝説の真相は、後世の作り話
 ☆中臣鎌足に「藤原」の氏名が死の間際に与えられた

⛳中臣鎌足のプロフィール
 ☆飛鳥時代の貴族・政治家中臣御食子の子、母は大伴智仙娘
 ☆日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖
 ☆早くから中国の史書に関心を持つ
 *儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた
 ☆鎌足は、中臣氏の家業であった祭官に就くことを固辞した
 *密かに蘇我氏体制打倒の意志を固め、擁立すべき皇子を探した
 *初めは軽皇子(孝徳天皇)に近づき、後に中大兄皇子に接近した
 *蘇我一族内部の対立に乗じて、蘇我氏の一族を味方に引き入れた
 ☆乙巳の変
 *中大兄皇子・石川麻呂らと協力し、蘇我入鹿を暗殺
 *入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやった
 ☆乙巳の変の功績から、内臣に任じられ、軍事指揮権を握った
 ☆大化の改新を推進する中大兄皇子の側近として活躍した
 *保守派の左大臣らと対立した
 ☆新冠位制度では大錦冠を授与された
 *後大紫冠に昇格、天智天皇から大織冠を授けられ内大臣に就任した
 ☆大化の改新の中心人物
 *改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍
 ☆藤原氏繁栄の礎を築いた

中臣鎌子、藤原氏の名称への変更
 ☆中臣氏の一族で初期の頃、中臣鎌子と名乗っていた
 *その後中臣 鎌足に改名
 ☆中臣 鎌足は、臨終に際大織冠とともに藤原姓を賜った
 *生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用いる
 *「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる

藤原鎌足の出生地とお墓
 ☆出生地は、大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)他諸説ある
 ☆「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した
 ☆藤原鎌足の墓どころは定かでない
 ☆阿武山古墳で発見された棺に入っていた冠帽が発掘された
 *当時の最高級の技術で作られ、金糸を織り込んだもの
 ☆ 藤原鎌足の墓は、阿武山古墳ではないかといわれている
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、BSTBS『にほんの歴史鑑定』










藤原氏を作った男、中臣鎌足
『にほんの歴史鑑定』テレビ画面他より画像引用)
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「くじ引き将軍」足利義教と神仏の存在(1)

2021年11月01日 | 歴史
🌸「くじ引き将軍」足利義教と神仏の存在(1)

義量、義持の死で「跡継ぎ問題」に直面した鎌倉幕府
 ☆為政者が没した後、その息子が跡を継ぐが、計算違いが起きた
 ☆室町幕府第六代将軍の足利義教も、「計算違い」で将軍になった
 *義持は「そのうち息子ができる」と思って呑気に構えていた
 *義持は急な病で、熱を出し大変苦しんで亡くなる
 ☆幕府の重臣たちは跡継ぎ候補を決めなければと焦る
 *「次の将軍はいかがしますか?」と義持に聞いた
 *義持は「お前らが勝手に決めろ―」と家臣たちに答えた

神の御前で引かれた「くじ」「青蓮院義円」
 ☆幕府の重臣は、義持の遺言より神様に決めてもらおうとした
 *登場するのが、亡くなった義持の四人の弟たち
 *四人の中からくじ引きで決めようと考えた
 *名前が書いてあった人物を次の将軍に据えようとした
 ☆くじに書かれていたのは「青蓮院義円」という名前
 *青蓮院義円は天台宗の僧侶の名
 *青蓮院義円は、くじ引きの後、還俗し六代将軍の足利義教となる
 ☆筆者は、この定説を疑っている

⛳四つのくじを作った男・三宝院満済
 ☆「昭和」という元号を決めるとき
 *三つのくじが用意されて、引き当てられた紙に
 *書かれていたのが「昭和」と言われている
 *どれを引いても『昭和』とも噂されている
 ☆その噂と同じこと、足利義教の将軍就任でも行われていたのでは
 *全てのくじに青蓮院義円という名前が書かれていたと筆者は考える

 ☆くじの作成者は、三宝院満済で真言宗のお坊さん
 *彼が人物の名前を書いたくじを四つ作ったのでは
 *石清水八幡官にくじを持って行って、引いた畠山満家
 *三宝院満済と非常に親交が深い人物
 *二人が組んだら、完全に八百長が出来る
 ☆神頼みのくじ引きをやったのか?疑わしいと思う
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』


「くじ引き将軍」足利義教と神仏の存在(1)
(ネットより画像引用)
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17世紀地政学(覇権国がオランダに交代)

2021年11月01日 | 歴史
🌸17世紀地政学(覇権国がオランダに交代)

 ☆イギリスが覇権国求めて猛追する

オランダが海運業を武器にシーパワーの覇権国に躍進
 ☆オランダは、シーパワーの覇権国へと上り詰めていく
 *オランダは、東南アジアでの香辛料貿易を手中に収めるために
 *東インド会社を設立する
 *ポルトガルの貿易拠点を次々と奪っていった
 ☆ヨーロッパの小国オランダの躍進は、地理的な要因が大きい
 *ヨーロッパでは中世から、ライン川が交通や交易の大動脈
 *オランダはライン川の河口に位置している
 *ヨーロッパ中から商品が集まり、中継貿易の地として栄えていた
 ☆スペインは、度重なる戦争で戦費がかさむ
 *南米から入る銀を借金の返済に充てざるを得ない状態
 *銀はスペインからオランダヘと流れていく
 *結果として、オランダは豊かになる

イギリスが策を巡らしオランダから覇権を奪う
 ☆オランダが海上覇権を握れた要因
 *海運業に力を入れ、商船数で他を圧倒していたから
 ☆イギリスは航海法で、オランダ船の排除を画策する
 *オランダは反発し、三度にわたる英蘭戦争が発生した
 *オランダは勝利を収めることはできなかった
 ☆海上覇権は次第にイギリスに移っていく

17世紀シーパワーの強国になり得た日本の可能性大
 ☆徳川家康は、スペインが開拓した太平洋横断航路を活用し
 *メキシコとの交易を画策した
 ☆日本が他のアジアや南米の国々と異なったのは
 *他国は、ヨーロツパのシーパワーの来襲をなす術もなく受け入れたが
 *日本は、シーパワーとして海外を志向していた時期があった
 ☆結果的には、徳川幕府は鎖国体制を選択した
 *貿易によって西国の大名が強力になることなどを恐れた為
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』





17世紀地政学(覇権国がオランダに交代)
『新地政学』記事より画像引用)
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