慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

公明党「10万円」掲げ総選挙へ臨んだ

2021年11月16日 | 創価学会
🌸公明党「10万円」掲げ総選挙へ臨んだ

 ☆対中国政策には、消極姿勢の公明党
 ☆公明党は、コロナ禍と高齢化で集票力は落ちている


日蓮大聖人生誕800年・800万票
 ☆公明党・創価学会が衆院選挙でなりふり構わぬF票作戦を展開した

 ☆創価学会、今年前半は、コロナ禍で活動が停止していた
 *10月になり、選挙活動を”フル回転″させた
 *長引くコロナで会館を訪れる学会員減っていた
 ☆ 一昨年の参院選は653万票を800万票の目標にしたのは
 *今年が日蓮大聖人の生誕800年だから

公明党税金を財源に”ばら撒き”政策展開
 ☆公明党は今回の衆院選でも、ばら撒き政策を出しまくった
 ☆しかし、政権与党に20年間も入っているにもかかわらず
 *安全保障や外交問題については消極的
 ☆2021「政策バンフレット」の項目
 *外交・安全保障に関する記述がなかった
 ☆中国は、二階氏が幹事長を辞め、中国共産党のパイプが細くなった
 *中国は、池田大作氏との関係を築いてきた
 *現在は、創価学会に頼らざるを得ない
 ☆公明党は、日中関係をクローズアツプすることで
 *対中外交にグリップを効かそうとしている

票集めは功徳になると発破を
 ☆公明党は岸田文雄内閣に
 *斉藤鉄夫副代表を国土交通相として送り込んだ
 ☆国交省は海上保安庁の監督官庁
 *中国海警局と衝突が起これば、重要な舵取りを任せられる
 ☆公明党・創価学会は、野党勢力の結集に凄まじい攻撃を仕掛けた
 *衆院選は、自公連立政権を選ぶのか?
 *立憲民主、共産などの″野合政権”を選ぶか?
 *政権選択の選挙である
 ☆創価学会婦人部から女性部に名称は変わった
 *しかし末端会員が『F票取りの功徳』として、フル回転させられた
 ☆11月からは『財務』もスタートした
 *たとえ10万円が給付されても学会への寄附に回るのではないか?
 ☆会員は、選挙活動に功徳などないことを知るべきだ
 ☆選挙活動に疑問を感じる創価学会員も増えてきた
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS11月号』






公明党「10万円」掲げ総選挙へ臨んだ
『THEMIS11月号』記事他より画像引用)
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小室眞子・圭さん「日本に長くいられなかった?」

2021年11月16日 | 皇室
🌸小室眞子・圭さん「日本に長くいられなかった?」

⛳金銭トラブルにも決着がついたが

 ☆小室眞子さんと圭さん夫妻は米NYへ旅立った
 ☆当初は、圭さんが先に渡米して眞子さんを迎える展開だった
 ☆母・佳代さんの元婚約者との金銭トラブルにも決着がついた
 ☆宮内庁担当記者述べている
 *日本に長くいられなかったというのが正直なところなのでは
 *特に眞子さんの精神状態が不安定だったのでは

⛳複雑性PTSDを発症している眞子さん
 ☆関係者がコメントしている
 *眞子さん、圭さんが留学してから
 *精神面での不調、訴えるようになったと聞いている
 ☆お二人が会えない時間は3年2カ月
 *圭さんの母・佳代さんと元婚約者との金銭トラブルは解決せず
 *眞子さんは『結婚宣言』、圭さんと合作『小室文書』を公表した
 *紆余曲折があり、ずっと国民の関心を集め続けてきた
 *孤立感も味わわれたのでしょう
 ☆眞子さん圭さんの帰国を強く切望していたと言われている
 *圭さんの帰国後は結婚会見の準備、入籍、秋篠宮家からの巣立ち
 *紀子さまの父の死去など慌ただしい日々
 ☆特に眞子さんの複雑性PTSDの場合
 *物事に過剰に反応してしまうという特徴がある

⛳眞子さん、圭さんも「日本に長くはいられなかった?」
 ☆宮内庁の関係者は「司法試験不合格」の影響がと述べる
 *宮内庁、秋篠宮さま、圭さん自身も合格を信じて疑わなかった
 *合格するのを前提に一時帰国や結婚や会見の日程を組んできた
 *不合格が事前にわかっていたら結婚は延期されたはず
 ☆眞子さん・圭さんの結婚が具体的に動き出したのは
 *昨年の秋篠宮さまの誕生日に際した会見
 *「結婚を認めるということです」というご発言だった
 ☆宮内庁は納采の儀など結婚に関する儀式を行うべく努めた
 *『小室文書』への国民の反発が大きいことから断念した
 *儀式ゼロという異例の結婚に突き進んでいく
 ☆その中でも結婚が進展したのは
 *小室さんの就職が決まったという点が大きかった
 *それはには当然、試験合格を前提にしている

眞子さんと圭さん各々の事情が絡んでの渡米
 ☆宮内庁内から聞こえていること
 *”この結婚までの経緯は一体何だったのか?”
 ☆就職先で、想定された額ほど圭さんは報酬を得られず
 *眞子さんの貯金を取り崩すことになりそうだ
  ☆皇籍を離脱されたとはいえ放っておくわけにはいかず
 *現地の領事館は、二人を迎える対応に追われているようだ
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『デイリー新潮編集部』


小室眞子・圭さん「日本に長くいられなかった?」
(『デイリー新潮編集部』記事より画像引用)
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地政学(1945年~89年)東西冷戦

2021年11月16日 | 歴史
🌸地政学(1945年~89年)東西冷戦

⛳社会主義勢力に対抗するため西欧諸国NATOを結成
 ☆第二次世界大戦後、社会主義勢力の拡大を目指すソ連が現れた
 *西欧諸国は、社会主義勢力が攻撃予防に対してNATOを結成した
 ☆NATOにはアメリカも加わった
 ☆ソ連にとっても、西側諸国の存在は脅威だった
 *ソ連はドイツを撃退し占領していた東欧諸国で
 *選挙による国民の同意を得ないまま
 *一党独裁の共産党政権を発足させた
 ☆西欧諸国の侵攻からソ連を守るための防波堤
 *東欧諸国に担わせようとし
 *NATOに対抗してWTOを結成した

リムランドで戦火を交えた西陣営と東陣営
 ☆ソ連や東欧諸国の特徴
 *社会主義勢力でランドパワー勢力でもある
 ☆東アジアでもランドパワーの中国が社会主義国家となった
 ☆西側陣営の盟主アメリカは、シーパワーの大国
 ☆東西冷戦は、シーパワーとランドパワーの勢力争い
 ☆アメリカが特に支援に力を注いだエリア
 *シーパワーとランドパワーが互いに拮抗するリムランド地域

 ☆事実、社会主義勢力と自由主義勢力の衝突の多く
 *リムランドエリアで起きた
 ☆アメリカは社会主義勢力を抑えるためなら
 *独裁政権を支援することもためらわなかった
 *アメリカの自由主義を守るためにその国の人々に対し
 *自由を奪うという矛盾した状況に置かれた

アメリカの軍事的庇護の下で経済発展を遂げた日本
 ☆アメリカは、日本を社会主義勢力の拡大を守る防波堤とした
 ☆日本は、防波堤にするには格好の地理的条件を備えていた
 ☆アメリカは日本を西側陣営に組み入れ
 *経済復興や早期独立を支援した
 ☆日本の独立とともに日米安全保障条約を締結した
 *米軍は引き続き日本に駐留することが可能になり
 *日本は西側陣営の最前線基地となった

⛳二つの社会主義国の大国中国とソ連が対立
 ☆1960年以後、ソ連と中国の対立が激化
 *中ソ国境で武力衝突が起きる
 ☆中国は、過去ロシア帝国の南下政策の被害者でもあった
 ☆中国は、ソ連に対しても警戒心を抱き続けていた
 ☆中ソ対立が顕在化したあと
 *アメリカが中国に接近し、米中和解が実現した
 *以後アメリカは中国とも手を結び、ソ連包囲網を強化していく
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』





地政学(1945年~89年)東西冷戦
『新地政学』記事より画像引用)
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織田信長の「天下布武」が意味すること(2)

2021年11月16日 | 歴史
🌸織田信長の「天下布武」が意味すること(2)

「天下=京都」の説は誤りである
 ☆正しいのなら、信長は越前の朝倉氏を攻める必要はなかった
 ☆朝倉氏が京都に強い影響を及ぼしていたなら
 *朝倉を攻める必要があったかもしれないが、朝倉は京都に無関心だった
 ☆信長が朝倉を攻めたのは
 *日本全体を治めようと考えたから
 ☆越前は美濃に隣接している
 *領土を拡大するなら、越前侵攻はリーズナブル

⛳畿内周辺、明智光秀に丸投げだった織田信長
 ☆「天下=畿内」説への反論の根拠
 *比叡山焼き討ち後に、織田信長が明智光秀に任せた人事
 *坂本を統治するために城主とし明智光秀が選ばれた
 *信長は手に入れた比叡山坂本を部下に丸投げしている
 ☆「天下布武」が京都の統治を意味するなら
 *光秀ではなく、信長自身が丹波を支配するはずだった
 *信長は光秀に京都周辺を任せきり
 ☆軍事的な理解の上でも矛盾が生じる

信長は「天下=日本全体」の統一を目指していた
 ☆比叡山の焼き討ち、室町幕府を再興等、信長は京都を重視した理由
 *政治的な理由ではなく、経済的な理由だった
 ☆京都は、商業経済の中枢だった
 *京都の富を吸収することに信長は注力した
 ☆信長が、畿内に期待していたのは、商業経済
 *京都を支配し、富を蓄積したかった

「戦国大名は上洛を目指す」との考え方が生まれた要因
 ☆幕末の思想家・頼山陽の『日本外史』が原因だ
 ☆『日本外史』幕末の志士の愛読書でもあった
 ☆信長の「天下布武」日本全体を意味する
                        (敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』


織田信長の「天下布武」が意味すること(2)
(ネットより画像引用)
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