慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

週刊誌の激変・週刊誌ネット強化に生き残り賭け

2021年11月14日 | 雑誌・書籍
🌸週刊誌の激変・週刊誌ネット強化に生き残り賭け

 ☆週刊誌流通改革から不祥事続出まで
 ☆街の書店激減など環境はますます厳しい現状


⛳週刊誌トップの『週刊文春』の「文春電子版」の好調

 ☆週刊文春の電子版は月額2千200円
 *1日早くスクープ記事が読める
 *」今後は週刊誌全体がネットに重点を置くことになる
 ☆紙の週刊誌の部数は下落の一途を辿る
 *『週刊文春』実売部数は20万部割れの週もある
 *月刊の『文藝春秋』も15万部前後とされている
 *文藝春秋は、部数の落ち込みで、ムック本を発行する
 ☆文芸春秋『文春オンライン』を立ち上げた
 *デジタル配信で稼ぐビジネスモデル作りつつある
 *編集部はウェブの技術者も含めて30人規模
 *週刊文春の敏腕記者がオンラインに″異動”した

⛳雑誌は定期購入されなくなり
 ☆各社の戦略は、ネットに比重を置くようになってきた
 *街の書店やキヨスクなど駅の売店が激減している現状
 *雑誌や新聞を買う機会が減っている
 ☆06年度に約1万5千店あった書店、19年度は約9千店の状況
 ☆『週刊少年ジャンプ』が最大発行部数を記録したのは
 *94年(653万部)現在はその2割程度の販売
 ☆最も苦しいのは一般の週刊誌
 *『週刊現代』『週刊ポスト』は主な読者層が70代以上
 (紙媒体でないと発信しにくい)
 ☆『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』の経済誌
 *ビジネスマンを上手に紙からネットヘ誘導させてきた

⛳出版社とアマゾンの提携進む
 ☆『文春オンライン』の編集部
 *取材や記事執筆の経験の浅い若手社員が多く配属されている
 *彼らは週3~4本の取材・執筆を担当し、他の取材や張り込みもする
 ☆『週刊新潮』で女性記者
 *読売新聞の男性記者から情報を取っていた内幕を報じた
 *新潮編集部は他社からの取材に箱口令を敷いている
 *本人は気にする様子もなく取材活動を続けている状況
 ☆紙の週刊誌は、今後もネット強化など変革を追られる
 ☆出版界では講談社がアマゾンと組むなど流通革命も進みつつある
 *今後、出版業界では市場縮小の中で
 *コミックや専門書などの種類や発行部数の規模で
 *流通経路が変わる可能性が高い
 ☆週刊誌は、ネットも駆使し生き残りを賭けた戦いが続く
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS11月号』







週刊誌の激変・週刊誌ネット強化に生き残り賭け
(ネットより画像引用)
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地政学(1900~18年)世界第一次大戦

2021年11月14日 | 歴史
🌸地政学(1900~18年)世界第一次大戦

イギリスの後方支援を受けて日本が日露戦争に勝利
 ☆ロシアは19世紀末より、シベリア鉄道の建設を進めていた
 ☆ロシアの南進
 *イギリスは清で築いてきた利権が脅かされるのを恐れた
 *日本は、ロシアの勢力が朝鮮に及べば自国の死活問題になる
 ☆利害が一致した両国が、日英同盟を締結し日露戦争が始まった
 *日露戦争で日本はかろうじて勝利する
 *日本、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を全滅させた
 ☆日本海戦でイギリスが果たした役割は大きかった
 *イギリスは航行中のバルチック艦隊の動向を随時日本に報告
 ☆日本は、シーパワーの覇権国イギリスの後方支援で勝利できた


⛳イギリスの脅威はロシアの次はドイツ
 ☆ドイツは、本来はランドパワーであるが
 *海軍力の増強に取り組み始め、イギリスの警戒を呼び起こした
 ☆ドイツのランドパワー政策
 *ベルリンとイスタンブルを鉄道で結ぶ3B政策(ペルシア湾に出る)
 *イギリスは、カイロ、ケープタウン、カルカッタを結ぶ3C政策
 *イギリスとここでも衝突した
 ☆ドイツとオーストリア、バルカン半島の主導権でロシアと対立
 ☆ドイツとの対立が鮮明になった英仏露は各々同盟を結ぶ(三国協商)
 ☆ドイツは、オーストリアやイタリアと結んでいた三国同盟
 *英仏露の三国協商に対抗した
 ☆二極の対立構造の中で、第一次世界大戦が勃発した

⛳第一次世界大戦がヨーロッパに衰退をもたらす
 ☆第一次世界大戦は、ボスニアの州都サライェヴオから始まった
 ☆この戦争が「世界大戦」呼ばれたのは、世界各地が戦場となったから
 ☆東アジアでは、日本が日英同盟で
 *連合国側としてドイツに宣戦布告した
 ☆日本にとつてこの世界第一次大戦
 *列強が他の戦線に縛られている間
 *アジアで勢力を拡大する好機だった
 ☆世界第一次大戦の主戦場はヨーロッパだった
 *大戦は長期化し、国民全員が戦時体制の総力戦となる
 *ヨーロッパ諸国の消耗は激しかつた
 ☆中立を保っていたアメリカがドイツに宣戦布告した
 *連合国側有利に傾くかと思われた
 *ロシア革命が起きたロシアが戦線から離脱した
 *再び混沌として長期間の戦争となった

巨大な島・アメリカが国際社会の主役に躍り出る
 ☆ヨーロッパ諸国は戦勝国も含め著しく疲弊した
 ☆代わって台頭したのは、国土が戦場にならなかったアメリカ
 ☆アメリカの地理的優位性
 *アメリカ大陸内にはライバルとなる国が存在しない
 *敵対国から本土攻撃を受けるリスクが非常に低い
 ☆アメリカは「巨大な島」とも言える
 *アメリカは、パナマを支配下に収めパナマ運河を完成した
 *アメリカは、国際社会の主役に躍り出てきた
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』





地政学(1900~18年)世界第一次大戦
『新地政学』記事他より画像引用)
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「応仁の乱」3(勝者がいない戦い)

2021年11月14日 | 歴史
🌸「応仁の乱」3(勝者がいない戦い)

細川頼之の一番の政敵は、足利一門の名家斯波
 ☆三代将軍の義満は細川と蜜月関係にあった
 ☆四代将軍の義持は、斯波家と深い関係があった
 ☆細川グループと斯波グループの対立に発展
 *細川派はそのまま権力を持ち続ける
 *斯波派は、義将の子どもの代から力を失っていく
 *斯波派閥は山名グループとなる
 ☆結果、応仁の乱の細川対山名という対立
 *西軍山名の支持は、義満に討伐された土岐や大内
 *東軍である細川の盟友は播磨の赤松と京極
 ☆西軍と東軍の顔ぶれ
 *室町幕府ができた当初の対立構造
 ☆応仁の乱は人間関係が入り組む様にみえるが
 *「細川対山名」の対立で、シンプルな組み合わせ

代々引き継がれてきた「憎き細川」「憎き山名」の恨み
 ☆「あいつらが嫌いだ」の気持ち双方の心の中にくすぶっていた
 ☆双方は「憎き細川」「憎き山名」と恨みを持ち続けていた
 ☆両家には、そんな想いがくすぶつていた
 *畠山家や将軍家の跡取り問題が起きた
 *両者の積年の恨みに火がついた
 ☆幕府は、西軍と東軍という二つの陣営に分裂した
 *双方の陣営に、細川Gと山名Gが味方し応仁の乱が起きた

⛳応仁の乱は11年続いた
 ☆理念なく、憎しみから戦った結果である
 ☆当時の戦いは、本気で戦ったのなら、1日~2日で終わる
 *天下の分け目の関ケ原の戦いも、1日で終わっている
 *応仁の乱は、ダラダラと戦っていたので長期化した
 ☆東軍でも西軍は、本気で「戦った」と言えない
 *大名たちは、戦いで死んでいない
 *全員、戦場ではなく、畳の上で死んでいる
 ☆応仁の乱を「戦い」と呼んでいいのかは、疑問が残る

⛳応仁の乱には勝者はいない
 ☆東軍と西軍の勝者、東軍が勝利したのだと考えられる
 ☆しかし既に、室町幕府は屋台骨が崩壊していた
 *細川家の覇権は長くは続かなかった
 ☆結果的に応仁の乱には勝者はいない
 ☆室町時代の政権構造
 ☆鎌倉幕府の北条氏のように室町幕府は細川の影響が色濃い
 ☆「細川政権」だった可能性が高い
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』


「応仁の乱」3(勝者がいない戦い)
(ネットより画像引用)
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