慶喜

心意気
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立憲民主「野党共闘をやめる選択肢はもうない」

2021年11月20日 | 政治
🌸立憲民主「野党共闘をやめる選択肢はもうない」

 ☆立憲民主の総選挙、共産党を含む「野党共闘」戦略
 *各党の戦略に少なからぬ影響を与えた
 ☆今後の野党共闘の行方は来年の参院選でも焦点になりそうだ
 ☆反自民、法政大学教授山口二郎氏「吠える」

立憲民主党の新しい代表選び
 ☆代表選択選挙、約10万人と言われる党員・党友も参加する
 *共産党との「野党共闘」連合からの反発が強く、争点になっている
 ☆立憲民主に 「野党共闘をやめる」という選択肢はもうない
 ☆立憲の代表選に意欲を示しているとされる4人
 *「野党共闘」で当選した人たち
 *共産党らとの共闘の力を身に染みて感じている
 ☆連合内部の考え方の違いの問題は立憲民主にとっても深刻
 *連合の新会長は「共産党との閣外協力はありえない」と強く反発
 *連合内部では、民間労組と官公労との間に考え方や路線の違いがある
 ☆新会長の民間4産別の支持で就任した会長

連合は結成以来「非自民、非共産」でやってきた
 ☆2019年の参院選
 *自治労、日教組とは別に、民間労組の独自の動きもあった
 *産別や地域別に政党支持を打ち出すことは可能だ
 ☆今の連合指導部の「自民党政権を倒す」政治的目標
 *どれだけ持っているのか、疑問がある

「民主王国」と言われた愛知県
 ☆今度の総選挙で、トヨタ労組が立憲議員への支援を取りやめた
 ☆全国でも労働組合の保守化が目立っている
 *愛知県は、立憲は5議席失った
 *全国でも、連合系の民間労組が動かず
 *最後の数千票の勝負で及ばなかった選挙区もある
 ☆企業別組合は、経営と一体だったから不思議じゃない

野党共闘の成果は明らか
 ☆立憲は109議席から96議席、13議席減らした
 ☆野党は、220近くの小選挙区で候補者を一本化した
 *立憲はこの先では、前回よりも9議席増やした
 *野党系の5議席を合わせると「14議席増」となる
 *野党共闘の成果は明らかです 
 ☆立憲は、比例区では22議席も減らした
 *立憲の敗因は、比例区の結果でした
 ☆選挙前の読売新聞の調査では、一本化52%が賛成していた
 *選挙後の調査で否定的な意見が多いのは
 *自民党支持層の反発の表れです
 *立憲「一本化」に時間をとられて、最後に息切れしてしまった

比例区での敗因の背景
 ☆一桁から伸びない政党支持率が指摘されている
 *「頼りにならない野党」のイメージ
 *枝野代表の「トップダウン」体質
 *組合頼り、風頼みの体質
 ☆立憲民主党は、枝野さん一人で作ったベンチャービジネス
 *国会議員百数十人の大企業に発展した
 *ガバナンスの仕組みはできていなかった
 ☆代表には、ぜひ若い人になっていただきたい
 *支える幹事長には経験ある人が望まれる

共産党ももっと変わってもいい
 ☆志位和夫さんは委員長になって21年
 *若手が新委員長や幹部に抜擢されると、イメージは変わる
 ☆来年は、共産党創設100年の節目
 *野党共闘は、志位さんが言い出したこと
 *この間ずっとぶれずに、共闘路線を進んできてくれた
 *共闘を実質的に支えてくれた

立憲、自公に対抗する経済政策が必要だ 
 ☆新生「立憲民主党」は、支持層をもう少し広げたい
 *リベラルとは言えない有権者の票も集めるため
 *「穏健・中庸イメージ」も必要
 ☆支持者に安定感、安心感をもってもらうためには
 *自公に対抗する経済政策を練る必要がある
 ☆「安倍・菅政治の9年」
 *円安で輸出企業が少しもうかっただけ
 *技術は衰弱するし、政府にぶら下がって利権をむさぼる
 *中抜きビジネス、随意契約みたいなものがはびこっていた
 ☆立憲民主、「安倍・菅政治の9年」を批判したうえで
 *エネルギーを中心としたイノベーションをしっかり起こす
 *日本人が食っていけるだけの産業を創り出すメッセージが必要
 * 「新しい資本主義」も争点にしたい
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『AERA』



立憲民主「野党共闘をやめる選択肢はもうない」
(『AERA』記事、ネットより画像引用)
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東シナ海支配を狙う中国(日本領海への侵入繰り返す)

2021年11月20日 | 韓国・中国
🌸東シナ海支配を狙う中国(日本領海への侵入繰り返す)

 尖閣は19世紀末から日本領
 ☆1895年、日本は尖閣を
 *どの国に属さない事を確認し沖縄県に編入した
 ☆東シナ海支配を目論む中国
 *領海や領空への侵入を繰り返している
 ☆中国海
警法の成立後
 *中国船の動きは激しくなっている
 *日本政府は中国側に抗議するが改善されていない
 ☆中国にとり尖閣諸島や東シナ海一帯
 *資源の確保の点、軍事上の理由で
 *制海権を確保したいエリア

東シナ海一帯を狙う中国
 ☆中国の侵入繰り返す理由
 *中国は中国大陸からこの沖縄トラフまでの海域
 *中国大陸からの大陸棚が沖縄トラフまで続いている
 *中国の排他的経済水域(EEZ)と主張している
 ☆排他的経済水域
 *その国が海底資源の発掘や漁業を自由に行える水域
 *中国のこの水域には尖閣諸島も含まれていると主張
 *この水域は、日本の領土から200カイリ内にある部分
 *日本のEEZと重なっている

日本は、日中の中間線で境界設定を中国に申し入れている
 ☆中国は話し合いを拒否
 ☆自国の主張を押し通そうとしている
 ☆中国は東シナ海を完全に自国の内海にすることを目指している
 ☆中国が、この海域を譲ることはまず考えられない
 ☆尖閣諸島を中心に、日中の攻防が今後も続く
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』




東シナ海支配を狙う中国(日本領海への侵入繰り返す)
『新地政学』記事より画像引用)
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3D仮想空間メタバースとは

2021年11月20日 | ネット
🌸3D仮想空間メタバースとは

 ☆「メタ(超)」と「ユニバース(宇宙)」を合わせた造語
 ☆インターネット上に作られた3D仮想空間
 ☆SF作家のニール・スティーヴンスン氏の小説が起源
 *『スノウ・クラッシュ』

メタバース空間 (隣にいるような感じ)
 ☆自分のアバターを自由に動かす
 ☆相手のアバターに近づけ簡単に話しかけられる
  ☆テレワークでも活発なコミュニケーションツールとなる

将来インターネット環境が到達する領域
 ☆メタバースに、アバターを介してアクセスする
 ☆ ユーザーは、自由な風貌に設定したアバターで仮想世界に入る
 ☆ユーザーは、その中で種々の物を提供される
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『WIKIPEDIA』他








3D仮想空間メタバースとは
(ネットより画像引用)
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異なる「幕府成立年」の定義(2)

2021年11月20日 | 歴史
🌸異なる「幕府成立年」の定義(2)

各時代の担当者同士が、話し合わずに作られる「歴史教科書」
 ☆鎌倉幕府の成立年の変更に伴い
 *室町幕府も見直そうという動きが生まれた
 ☆幕府「成立年」は、教科書では必ず触れられる話し
 *「幕府の成立年の定義」は統一性を取るべきだ
 ☆各々のパートの歴史研究者達は妥協しない
 *中世には中世の教え方、近世には近世の教え方と
 *教わるほうの子どもたちも面食らってしまいます
 ☆中世の幕府成立年が変わっても、江戸幕府が成立した年変わっていない
 *徳川家康が征夷大将軍になった1603年と教科書に記載している

⛳鎌倉時代と江戸時代、朝廷の力雲泥の差があった
 ☆徳川家康が朝廷と関係を持ち、征夷大将軍に任命された
 *それを、江戸幕府の成立年とすること自体がおかしい
 ☆源頼朝の時代の朝廷と徳川家康の時代の朝廷の力は雲泥の差がある
 *家康が、征夷大将軍に任命で、幕府が成立したとするのは不思議です
 ☆源頼朝が生きた時代と徳川家康が生きた時代を比較すると
 ☆源頼朝のほう が朝廷の力は大きい
 *頼朝は朝廷の影響をかわすために、鎌倉で細々と幕府を立ち上げた
 ☆徳川家康の時代の朝廷の力は弱かった
 *徳川家康は「禁中並公家諸法度」を制定し上から目線で宣言している
 *天皇が関わるのは学問だけ
 *天皇は政治と経済にタッチしてはいけない
 ☆相変わらず近世では、徳川幕府成立を
 *1603年をエポツクメーキングな年と考えている
 *これはどう考えても矛盾している

徳川家康が全国の武将と主従関係を結んだ1600年
 ☆「幕府とは、将軍権力とは何か」を考えると理解できる
 ☆将軍権力は「軍事と政治」です
 ☆軍事とは、命をかけて戦った代償として
 *主人からご褒美をもらうことができる
 *具体的には、主人が土地を与えてくれる
 *そこではじめて、主従関係が生まれる
 *将軍権力と主従関係というものは、切つても切れない要素です
 ☆江戸幕府に関して
 *諸大名が徳川家康に「私はあなたのために戦います」と忠誠を誓う
 *徳川家康が「では、お前にはこの土地を与えよう」と約束する
 *それが、将軍の役目であるはずです
 ☆徳川幕府が開かれたのは
 *征夷大将軍に任命されたことよりも
 *全国の大名たちが、徳川様を主人と仰いだ時です
 ☆諸大名が徳川家康のために命を投げ出して奉公すると宣言したのは
 *「関ヶ原の戦い」の前後です
 *徳川家康は、功績に見合う形で、褒美を上げたり土地の没収をした
 *「論功行賞」と呼ばれている行為です
  ☆1600年の段階で、家康に切腹を命じられ従う大名が出てくる
 *家康は、武将たちの生殺与奪の権利を持つていた
 *両者の間に主従関係が成立していた
 ☆幕府成立の理解と統一性を取るのなら
 ☆江戸幕府成立は、1600年が正しい
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』
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